NIKKEI STYLE


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負けた時ほど人間性が表れる。

そういう意味で、結弦さんは本当に人として成熟しているし、心根がきれいでまっすぐなのだと思います。

限界まで努力したからこそ、「何かのせい」にしない潔さもある。


負けた時、思うようなパフォーマンスが出来なかった時に、メディアを避けたり、バットやラケットと言った大切な道具に八つ当たりしたりするアスリートをたまに見かけますが、見苦しいことこの上無い。

自分が競技をする上で、絶対必要な道具を大切に出来ない。自分が発信したい時に、その言葉を伝えてくれるメディアに感謝出来ない。そういう人は、アスリートとしてというより、人として何かが欠けている気がします。



平野歩夢選手の言葉は、全てのスポーツ、特に採点競技に関わる人全てに深く胸に刻み、肝に銘じておいて欲しいと思います。


【平野は「今回はどこを見ていたのかという説明を改めて聞くべき」「競技をやっている人たちは命を張ってリスクを背負っている」「もっとしっかり評価するべき」と述べ、採点基準の見直しや明確化を促した。】


平野選手も、大きな怪我をして、大変な時期がありました。

一度痛い目に遭うと、恐怖が植え付けられてしまう。それを克服して、命をかけて勝負しているんですよね。

スノーボードのようなダイナミックかつアクロバティックな競技は、一つ間違えば本当に命を落としかねません。

フィギュアスケートで失敗して命を落とすことは無い?

そんなことは無いと思います。

転倒時の打ち所によっては命の危険もあります。

アイスダンスやペアの、リフトやスロージャンプなど見ていると、怖いと思うこともよくあります。

身体的な「命」は落とさずとも、アスリート生命を失うこともあるでしょう。


どんなスポーツでも、危険と隣り合わせ。選手たちは皆、命を削る思いで日々研鑽を積んで、命とプライドをかけて戦いに臨んでいること、忘れないで欲しい。いつも心の何処かに、置いておいて欲しい。




こういうことを、アスリートがもっと自由に発言出来ると良いのですけれど、フィギュアスケートの世界はジャッジの裁量任せの部分が大き過ぎて難しいのでしょうか?


オリンピックを見ていたたくさんの人の心に、選手たちの言葉は響きました。

肝心な人たちの心には、届いているでしょうか?