人間科学研究 補遺号 2021 1-7(2021)

 特別寄稿

無線・慣性センサー式モーションキャプチャシステムのフィギュアスケートでの利活用に関するフィージビリティスタディ
羽 生 結 弦

A Feasibility Study on Utilization in Figure Skating by A Wireless Inertia Sensor Motion Capture System

Yuzuru Hanyu
(School of Human Sciences, Waseda University)

https://waseda.repo.nii.ac.jp/index.php?action=repository_action_common_download&item_id=64787&item_no=1&attribute_id=162&file_no=1&page_id=13&block_id=21




SOIが無事閉幕して一段落ついたので、もう一度読み返しました。

某女性週刊誌がいち早く、この特別寄稿された原稿の内容を入手して、人目を引きそうな見出しをつけた記事を出したりしていましたが、見当違いな内容で笑止。

結弦さんが現行の採点システムやジャッジングに苦言を呈し、自分が受けた理不尽な採点に対する怒りや不満をぶちまけたかのような書き方。
全然あの論文の主旨を理解していないし、する気も無いと見ました。
怒りをぶつけてなどいないし、不満や文句など、何処にも書かれていないと思いますが?

現在の採点システムでは、ジャッジの裁量に任されている部分が非常に大きいけれど、年々高度化するジャンプなど様々な要素を正確かつ冷静に判定するのは、もはや人の眼では困難である。
より正確、冷静な採点のためにAIを導入し、有効活用することは可能か?と言う実験、研究ですよね?
もし上手く活用出来れば、より正確な判定が出来、ジャッジの負担を軽減することも出来る。

結弦さん、いわゆるチートジャンプに言及しています。
かなり踏み込んだ内容で、現役の選手がこれを書くのは相当な勇気と覚悟が必要だったのではないかと思います。
現に、某女性週刊誌のような視点で記事を書かれたりしていますし。
それでも多忙な中、実験を重ね、コツコツとデータを集めて、膨大な文字数の論文を書いたのは、ひとえにフィギュアスケートへの愛ゆえ。

穴だらけの採点、判定によって、正しい技術で技が実行されていなくても高得点を与えられる。
そして、間違った技術がまるで正しい技術であるかのように指導され受け継がれてしまう。
これではスポーツの発展などあり得ない。
そしてまた、採点競技であるのにその採点が信用出来ない。
スケーターからも、ジャッジ等の有資格者からも、疑問視されるような採点がまかり通る。
何よりも、ジャッジが定められた採点基準や判定の規定を正しく理解し運用出来ていないことが大きな問題だと思います。
スウェーデンのアレクサンドル・マヨロフ君も、現行の採点システムに思うところがあるようで、SNSでAI導入を提唱していました。

疑惑の判定。
どう見てもおかしな謎採点。
それでも競技者が抗議も出来ないし、なぜその判定をされたかジャッジに質問して、確認することも出来ない。
なかなかおかしな世界です。

フィギュアスケートはスポーツであり、競技です。
芸術的要素の採点は、ジャッジも人間ですからどうしても好き嫌いが影響して来るし、明確な基準を設けるのも難しい。
けれど、技術に関しては、明確な基準があります。
それが正しく判定されないで得点が決まり、勝敗が決まる。それはもう競技ではない。

結弦さんは、自分は理不尽な採点をされたとか、自分の得点はもっと高いはずだ、とか、そんなことは一言も書いてはいません。
怒りも不満も、書いていません。
そもそも、これは可能性を探る実験、研究。
フィギュアスケートの世界にAIが導入される可能性は無くはないでしょう。けれど、そこに辿り着くまでには長い時間がかかると思います。
今現在、ISUではAI導入に関する議論がされているとか、導入を検討しているとか、そういった情報は、少なくとも一般には伝わっていません。
結弦さんが現役のうちにAI導入が実現することは、おそらく無いでしょう。
そして、結弦さん自身、それを知っている。

結弦さんは、自分の得点や勝敗をどうこうしたくてこの研究をしたわけではないと思います。
誤魔化しやいんちきが正しい技術としてまかり通ってしまうことによって、正しい技術が壊れ、或いは失われて行くこと。
おかしな採点によって、勝負の結果がねじ曲げられる。それによって、見る人がフィギュアスケートという競技をスポーツとしての価値は無いものと感じ、離れて行くこと。
ひいては、フィギュアスケートという競技が廃れて行くこと。
結弦さんの懸念はそこにあるのではないか?
自分のためではなく、自分が愛するフィギュアスケートのために、競技としての発展のために、正しい技術を守りたい。誰もが納得できる採点が為されるようになって欲しい。ファンの競技に対する信用を失いたくない。
それが結弦さんの願いでは無いのか?
そしてまた、正しく努力をして正しい技術を身につけた競技者が報われる世界であることを願っているのかも知れません。
結弦さんの胸中はご本人しかわからないので、あくまで私の勝手な思いではありますが。
結弦さんは、フィギュアスケートの未来を守るためにこの論文を書いたのだと思っています。