集英社新書プラス

宇都宮直子 スケートを語る 第16回

唯一無二






フリーの6練の時、結弦さんは確かに鼻血を出していましたね。
練習を終えてバックステージに引き上げる時、まだ出血が止まり切っておらず、気にしている様子が映像にもしっかり映っています。

緊張のせいか、久しぶりの試合で興奮したのか?
10代の少年だった結弦さんが、試合で興奮して鼻血を出したことを思い出してしまいました。
体調が悪いので無ければ良いがと、テレビの放送を見ながらちょっとハラハラしました。

本番の演技を見たら、私の心配は杞憂だったようで、圧巻のパフォーマンスに全て吹っ飛びましたが。

宇都宮さんが、結弦さんのいるリンクを豪華だと書いています。全面的に同意です。
宇都宮さんのその言葉を見て、私は2014年12月29日を思い出しました。
2014年。ソチ五輪後、結弦さんが初めてオリンピックチャンピオンとして臨んだ全日本。会場は昨年と同じ、長野ビッグハットでした。
GPシリーズ中国杯の事故、NHK杯の台落ちからGPファイナル連覇というなんともドラマティックなシーズンでしたね。
その年、私は全日本の試合のチケットが取れず、辛うじてMOIのチケットだけ当選。
毎日、結弦さんのスケートを生で見る日を指折り数えて待っていました。
が、MOI前日、私の耳に飛び込んで来たのは、「羽生結弦、体調不良で精密検査のため入院。メダリストオンアイス欠場」のニュースでした。

ショックーーーーー!!

入院?!
精密検査!!!
どうしたの大丈夫なのー?!

不安を抱えて、それでも長野に向かいました。

結弦さんのいないスケートリンクの、なんと寂しいことか。
いつもわくわくしながら見つめていた広いリンクが、その日ばかりは、まるでがらんどうのように見えました。
寒々しくて、虚しくて、色が消えたようでした。


あの人がいるだけで、試合の空気が変わる。
良い意味での緊張感が増す。
リンクに何かがピンと張りつめる。
白い氷が華やぐ。

羽生結弦というスケーターは、まさに唯一無二であると私が心底実感した最初の日であったと思います。

その後、2016年以降全日本やMOIのチケットを取って現地観戦するたびに、門真でも飛田給でも、「羽生結弦がいないアイスリンク」、「羽生結弦がいない試合」と言うのをずっと見て来て、その度に彼の存在の大きさを思い知って来ました。
そして2019年の代々木で、「羽生結弦がいる全日本」を見た時、また更に深く彼の存在の大きさを思い知った気がしました。
それ以前にも、もちろん彼の出場する試合を現地で観戦する機会は何度かあったのだけれど、アイスショーでも生で演技を見てはいたのだけれど、全日本の試合の演技を現地で見ることが出来たのは、初めてでした。
「全日本は特別」とよく選手が言うのを聞くけれど、確かに独特。
自国のチャンピオンを決め、世界に出て行くための試合。
周りは、普段一緒に練習しているリンクメイトや幼い頃から同じ試合で顔を合わせて来た知り合いや友達ばかり。それが、全員「敵」になる。
考えるとちょっと怖いです。
そして、全日本の会場は家族や親戚、友達が多勢応援に来ていることも多く、所属クラブの先輩後輩や大学のスケート部員なども応援に来ています。
その中にあって、海外に練習拠点を置いており、大学も通信制の結弦さんは、ほぼアウェイのような状況。(もちろん、誰よりもたくさんのファンが応援に来てはいるでしょうけれど。)
否応無く高まる緊張感。
孤高の戦士、なんて言葉が思い浮かんだりして。
そんな状況下で、更に大きな存在感を示す、一際まばゆい光が羽生結弦という人。


羽生結弦というスケーターは、美しい容姿で目を奪い、高い技術で驚かせ、演技で心の琴線に触れ、魂を掴んで天上に連れ去る。
高山真さんも、天国から結弦さんの演技を見ていたでしょうか。
高山さんだけでは無い。私もこよなく愛する羽生結弦というスケーターは、アスリートとしても人間としても、この上無く綺麗で美しい。


改めて高山真さんのご冥福をお祈りします。



高山真さんの著書。
フィギュアスケートと羽生結弦というスケーターへの愛が詰まった本です。