15年前のノート♡ | ஐ La vie ‪ஐ‬ 〜❁*.゚ありがとう♡だいすき.゚*❁〜

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ஐLa vie‪ஐ‬とはフランス語で命・人生 の意味です。

✧*。この世界で出逢ってくれて、ありがとう大好きだよ✧*

日々の“ありがとう”と“”大好き”を綴るブログです。



この記事は無駄に長い回顧録なので読まないでね。

(*^^*)ブログを覗いて下さったかたありがとうございます♡

本を探していたら
15年くらい前のノート📓が出てきました❁⃘*.゚



あ、このノートあったよね〜( ¨̮ )❁︎

お気に入りで大事にしてたんだよね。(╹◡╹)


と、ペラペラめくったら

そういえば使ってた〜!

    すごい乏しい記憶力だな( ᵕ̩̩ㅅᵕ̩̩ )




そうだったな〜( ˘ ˘).。o()


子育ててんてこ舞いのころ



あの頃、頭で理解できても
それをいきいきとイメージするのが心許なくて

そのイメージを
はっきりと視覚化したら
濃く強くイメージできるのじゃないかなと

絵を書いたのでした。。。



その絵がこちら↓


で~ん🙉‼️🤣



なんて幼稚な絵だ💦💦あはは( •́ .̫ •̀ )

自分と母と子供達とニャンたちを書いたうえに

カラーセロファンを貼り付けて丸で囲んでいます。(//∇//)
感謝と愛で包み込むイメージね♡




あの頃の漠然とした不安をかなり和らげて大丈夫にかえてくれたように思う♡



子育ての不安や重圧を子供たちに被せてしまうことから

母を近く失うのではないかという言い知れぬ不安から
(それは予感だったのだと今はわかるのだけど、どうしたらいいのかわからずただ不安だった)



こうして絵のように愛する人を包み込むイメージをすることで



自分の意識を意識することもわかりやすくなって




視野の狭い我意識だけで突っ走ろうとする自分ともう一人の自分を

離して立たせる🧍‍♀️✨🧍‍♀️訓練でもあったように思う。


子供育てながら訓練してもらってたのです(o_ _)o


本当に親というのは 我が子のこととなると近視眼的になってしまいやすいんだよね(;´д`)

私だけではないとおもう、、、

いま、できて欲しい

いま、出来ないとって、、、

自分が不安なんだよね。。





それが(不安<信頼)少しはできるようになったかなと自分で思えるまで5、6年はかかった。。





それでもいま振り返ると


それをしないままとでは




だいぶ違っていたのじゃないかなと思える


(こんな私の元で、よく育ってくれたなぁ、、、長男くんよ 君がいちばん被害を被ったね。本当にごめんね。君がいちばんに産まれてそしてそんな私の子供として全てを浴びて息子でいてくれることにとてもとても感謝しています。)


当時でさえ、もう◯◯は◯才になっちゃったよ

今更遅いよ〜!っと思ってたけど



そうだとしても

何歳からでも 例えば、子供が大人になっていたとしても

親の意識が変わっていくと

それは子供の奥に伝わるのじゃないかなって感じます。



あの頃、自分が子供達を管理しなきゃ!

それが親の務め!って気持ちが強かったなぁ。


あと、自分がヘナチョコだから、そんな自分の子供を信じることが怖かったんだよな〜


大丈夫よ〜^^*って優秀なお子さんを育て上げた素晴らしい先輩お母さんに言われても

だってそれは、そうは言っても、優秀なあなたのお子さんだかでしょう('З')💦ってえーん


(うちの子はちがうねん、あなたじゃなくて私の子なんだからァって(。-_-。))




長男になんて

もう背中に目がついてるのってくらい

背中むけてても意識は張り付いてたから。。

きつかっただろうなぁ

包むより、監視する、縛り付ける意識だったから

ほんとに超絶マイペースくんなおかげで長男は潰されずにすんだのかもしれないなぁ

でもそれさえも、そんな風になっちゃうのは長男がこんなんだから、私が管理しなきゃって思ってたからねぇ(>_<)


それを剥がしていくのはなかなか最初は難しかったなぁ


少しずつ少しずつ出来るようにはなっていったけど

子供たちのおかげだなぁ。



今ではすっかり、ほったらかし!になったけど。。


あ、諦めの境地と悟りの境地は紙一重?なーんちゃって♪


なんでも中庸が1番なのかも(*^^*)


(逆に今は、上の2人が県外なので、手元を離れた子供たちと意識では繋がっているように、距離が離れている分意識は繋がっているようにほったらかしだけど、信頼と愛意識で包むように意識しています。何があっても大丈夫だよ〜、あなたは私の子。愛しているよ( ´ ▽ ` )ノノ)


離れていても親の意識って届いています。




何だかとても長くなってしまいました。


最後にあのころなかなかできなかったこと





ノートから   ( 子育て編 )



ー丁寧に接してゆくことです

   そうすれば高学年になった頃には

     自然と学問への興味が湧いてきますー


これこれ、なかなか出来なかった〜忙しさの中で丁寧になんてなかなかできずそんな 信じて取り返しのつかないことになったらどうすんねんってあせるし、、、

(なぜか関西弁 (笑))

でもこれ、本当だとおもう。


丁寧とはその子の心を感じ、いま、なにがその子の心と精神に必要なのか判断し接してゆくこと、、、


なかなかできなかったから書いとこう。





ー自分の感情(心の中でも!)

子供に向かってもっとああすればいいのに、こうすればいいのにと押さえつけないー



これも〜

必死な時って、心の中で先回りしてぎゃあぎゃあ叫んでたね〜(;´д`)



あ、あと

遺伝を超えてゆく


っていうのもあったな〜

今思うと深い言葉だなぁ〜!



過去の自分から未来の今の私へのプレゼントのように

感じる。

受け取ったよ✧︎〜( ´ ▽ ` )ノ✨



もしかして、最後まで読んでくださった方がいらっしゃったら


ありがとうございます♡

ˊo̶̶̷ᴗo̶̶̷`)੭✧❀(*´▽`*)❀(⋆ᵕᴗᵕ⋆).+*ペコ