気になったフレーズや文章を子供のころ
ブログテーマ【本の付箋】は
そんなノートがわりのブログです。(*^^*)
〜ゲド戦記は子供達にぜひ、本の形で読んで欲しいなぁ(電子書籍でもね)と思います^^* 〜
ある方に
ケド戦記読んだ?ときかれて、アニメは見たけど、、と答えたらぜひ小説を読んでみてと勧めてもらい読みました。(*^^*)
原点回帰になるかと思います。
大人にも、ぜひ☕📖
P195
「そうじゃ。もしも、このまま、先へ先へと逃げてゆけば、どこへいっても危険と災いがそなたを待ち受けておるじゃろう。そなたを駆り立てているのは向こうじゃからの。今は、向こうがそなたのゆく道を決めておる。だかな、これからはそなたが決めなくてはならぬ。そなたを追って来たものを、今度はそなたが追跡するのじゃ。そなたを追ってきた狩人はそなたが狩らねばならん。」
P196
「そなたに名前を授けたのはアール川の水源だったな。あの川は山から落ちて海へと注いでおる。人は自分の行き着くところをできることなら知りたいと思う。だがな、1度はふりかえり、向きなおって、源までさかのぼり、それを自分の中にとりこまなくては、人は自分の行きつくところを知ることはできんのじゃ。川にもてあそばれ、その流れにたゆとう棒キレになりたくなかったら、人は自ら川にならねばならぬ。その源から流れ下って海に到達するまで、その全てを自分のものとせねばならぬ。ゲドよ、ソナタはゴントへもどってきたあ。わしのところにもどってきた。さあ、きっぱりと向きなおって、その源と、その前にあるものを探すのじゃ。そこにこそ、力となるものが発見できようぞ」
P243
「光は力だ。偉大な力だ。われわれはそのおかげでこうしてあるんだもの。だけど、光はわれわれが必要とするからあるんじゃない。光はそれ自体で存在するんだ。太陽の光も星の光も時間だ。時間は光なんだ。そして太陽の光の中に、その日々の運行の中に、四季の運行の中に、人間の営みはあるんだよ。たしかに人は暗闇で光を求めて、それを呼ぶかもしれない。だけど、ふだん魔法使いが何かをよんでそれがあらわれるのと、光の場合とはちがうんだ。人は自分の力以上のものは呼び出せない。〜〜」
P246
「これだけは教えて。もしも、秘密でないこどだったら。光以外に大きな力と言うと、ほかに、どんなものがあるの?」
「それだったら、秘密でも何でもないよ。どんな力も、すべてその発するところ、行きつくところはひとつなんだと思う。めぐってくる年も、距離も、星も、ろうそくのあかりも、水も風も魔法も、人の手の技も、木の根の知恵も、みんな、元は同じなんだ。私の名も、あんたの名も、太陽や、泉や、まだ生まれてない子供の真の名も、みんな星の輝きがわずかずつゆっくりと語る偉大なことばの音節なんだ。ほかには力はない。名まえもない。」
P270
ゲドは勝ちも負けもしなかった。自分の死の影に自分の名を付し、己をまったきものとしたのである。
全てをひっくるめて、自分自身の本当の姿を知る者は自分以外のどんな力にも利用されたり支配されたりすることはない。彼はそのような人間になったのである。もはやゲドは、生を全うするためにのみ己の生を生き、破滅や苦しみ、憎しみや暗黒なるものにその生を差し出すことはないだろう。この世の最古の歌といわれる『エアの創造』にも歌われているではないか。「ことばは沈黙に、光は闇に、生は死の中にこそあるものなれ。飛翔せるタカの、虚空にこそ輝ける如くに 」と。
P278(清水真砂子後書きより)
幼い時から両親を通して文化人類学の世界に触れ、豊富な知識と、既成の概念にとらわれない自由なものの考え方を身につけていたル=グィンは、持てる力を存分に発揮して、アースシーを創造し、そこに自らの手で、アースシーにしかない草木を生やし、ケモノを走らせ、海には魚を泳がせました。
文学とは「個たる人間の根源においてその社会、世界、宇宙とのつながりを全体的に把握しながら、人間であることの意味を認識してゆこうとする言葉の作業である。」といわれます。影との戦いに始まる「ゲド戦記」三部作はまさにこのような意味で真の文学と呼ぶべきものであり、ファンタジーの可能性をあらためて世に示した作品といえましょう。
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