「橋をかける」美智子さまの本 | ஐ La vie ‪ஐ‬ 〜❁*.゚ありがとう♡だいすき.゚*❁〜

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ஐLa vie‪ஐ‬とはフランス語で命・人生 の意味です。

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日々の“ありがとう”と“”大好き”を綴るブログです。


まだ小さな子供であった時に
一匹のでんでん虫の話を聞かせてもらったことがありました。
不確かな記憶ですので、
今、恐らくはそのお話の元はこれではないかと思われる、
新美南吉の「でんでん虫のかなしみ」にそってお話いたします。

そのでんでん虫は、
ある日突然、
自分の背中の殻に、
悲しみが一杯詰まっていることに気付き、
友達を訪ね、
もう生きていけないのではないか、
と自分の背負っている不幸を話します。
友達のでんでん虫は、
それはあなただけではない、
私の背中の殻にも、
悲しみは一杯詰まっている、
と答えます。
小さなでんでん虫は、
別の友達、
又別の友達と訪ねて行き、
同じことを話すのですが、
どの友達からも返ってくる答は同じでした。
そして、
でんでん虫はやっと、
悲しみは誰でも持っているのだ、
ということに気付きます。
自分だけではないのだ。
私は、悲しみをこらえていかなければならない。

この話は、
このでんでん虫が、
もうなげくのをやめたところで終わっています。

あの頃、私は幾つくらいだったでしょう。
母や、母の父である祖父、
叔父や叔母たちが本を読んだりお話をしてくれたのは、私が小学校の二年くらいまででしたから、
四歳から七歳くらいまでの間であったと思います。
その頃、
私はまだ、大きな悲しみというものをしりませんでした。
だからでしょう。
最後に嘆くのをやめた、と知ったとき、
簡単に、ああよかった、と思いました。
それだけのことで、
特にこのことにつき、
じっと思いをめぐらせたということでもなかったのです。

しかし、この話は、
その後何度となく、

思いがけない時に私の記憶に甦ってきました。
殻いっぱいになる程の悲しみということと、
ある日突然そのことに気付き、
もう生きていけないと思ったでんでん虫の不安とが、
私の記憶に刻み込まれていたのでしょう。

少し大きくなると、
はじめて聞いた時のように、
「ああよかった」だけでは済まされなくなりました。
生きていくということは、
楽なことではないのだという、
何とはない不安を感じることもありました。
それでも、私は、
この話が決して嫌いではありませんでした。



❈❈❈1998年 IBBYー第26回世界大会ーにおいてビデオテープによって上映された皇后美智子さまの基調講演より抜粋❈❈❈

ほんの数ページの短いお話。

他にいくつかのお話と一緒に入っている中のひとつ。



最初のページに掲載されている詩





榊参考資料
美智子さまの基調講演を収録した
「橋をかけるー子供時代の読書の思い出ー」より



ーー生まれて以来、人は自分と周囲の間に、一つ一つ橋をかけ、人とも、物ともつながりを深め、それを自分の世界として生きています。
この橋がかからなかったり、かけても橋としての機能を果たさなかったり、時として橋をかける意志を失った時、人は孤立し、平和を失います。
この橋は外に向かうだけでなく、内にも向かい、自分と自分自身との間にも絶えずかけ続けられ、本当の自分を発見し、自己の確立をうながしていくように思います。

         「橋をかける」より抜粋


ーー「橋をかける」のなかに、そのような日々の中で浄化された、誰のものでもない皇后さまの世界があり、しかもその中に、誰もが自分を重ね合わせられる普遍的な部分がありました。
文学だと感じ、本にさせていただきたいと思いましたーー

(文庫版によせてー皇后さまのご本ができるまで
すえもりブックス代表 末盛千枝子)より一部抜粋


「橋をかけるー子供時代の読書の思い出ー」は、サブタイトルー子供時代の読書の思い出ーですが、その枠をこえて、美智子さまというお人柄や人としての生き方やご自身のありよう、平和を願うお心が随所に伺える
 ご公務をこえた1番素に近い美智子さまのお心が伺える 美智子さまから全ての人々にむけたお手紙のように思えます。

パステルパステルパステルパステルパステル
長くなってしまいました。
読んでくださりありがとうございますにこ

庭から摘んできた水仙が良い香り*krkr*



寒紅梅の花とお月さま