こんばんはかおりです
きょうは、思いやりの石碑の思い出をかこうとおもいます
小学3年になるとき、
新しい小学校が近くに出来て
私の住む地域は新しい校区にはいり
小学校4校目のお引越しだったのですが
(そこからはずっとその小学校でした)
真新しい小学校の、
真新しい体育館で、
校長先生が
(顔は覚えていないけど。。)
「◯◯◯小学校の校訓は
「おもいやり」です」
と話されたこと
「中庭の築山に[おもいやりの石碑]があります」と話をされたのを
その言葉だけくっきり覚えていて
それからずっと事あるごとに
きになっていました。。。
小学生の頃はそれこそ
中庭を通って靴箱だったので
毎朝、毎夕、
あ、思いやりの石碑 って
よくおもってみていました。
‘思いやり,って
‘重いヤリ(槍)?,じゃなくて~って
おもいやりってなんだろうって
小学生の頭でよく考えていました。
その時の私にとって、おもいやりって
[相手の立場に立って感じること]
そしてそれは私にとって
自分からその人へ
なんというか
ヒョイッと意識を移すことでした
自分が空っぽになって
その人の意識になることでした。
その人の意識で
その人の感覚を感じる
その人のところから周りを見渡す感じ、、、
へたっぴな絵ですね(^_^;)
そういうことをよく
自分の中でイメージしていました
ヒョイっと移す、
そこからみる
すると、
いまのわたしが消えて
私の見ている実際の景色のさきに
その子の景色のようなものがみえて
いろいろな
その子の、わくわくやほわほわやぐちゃぐちゃや痛みや悲しみや
なんだかうまく言葉には出来ないけれど
そういうものが頭ではなくて感覚で感じる、、、 ような気がしていました
その子の、世界をみている
その先もその周りもぐるり、そこから広がる感じ、、。
想像の世界のことなのですが
でも、いまこうして
まさよさんの
まさよ式透視タロットを学ぶ中で
思いやりの石碑 という入り口は
私にとって、スピリチュアルでいうチャネリングとか透視とかの入り口だったのかもしれないなぁって思います。
透視タロットをしているときの感覚に似ている気がします。
子供の頃の、無になって→移す、感覚って
どこか上の方を通してみていたのかもしれません。
みなさんは
そんな経験ないですか?
きっとみなさんもありますよね
ふと書きたくなったブログです
お付き合いしてくださり
ありがとうございます。
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まさよさんの透視タロットでは
タロットはあくまでチャネリングの補助的ツールとして使用します。
私のできる限りで誠心誠意みさせていただきます
よろしくお願いします
~
あ、きょうは、節分でしたね!
みなさんに、福がいっぱいきますように
鬼さんも福鬼さんになりますように
~