~迷ったときは、ゼロティブ思考。より~
あえあえ。
会いたくなるのは、
会えなくなるなら、
会えたとしたら、
もっと会いたくなる。
会ったら、もっと会いたくなる。
会えなくても、会いたくなる。
どっちにしても、会いたいんですよね
~ぼくがあなたを好きなわけより~
ふたりで続けるから、好き。
好きをはじめるのは一人で、
好きをつづけるの二人です。
恋愛の中で最も幸せな瞬間のひとつ。
好きな人を”好きだ”と気づく瞬間ですよね。
そのときは、相手のことなど関係なくて、
自分本位でただただ純粋に好きになるわけです。
一方通行のよさは、そういう部分かもしれません。
比べるものも、測るものも、ジャマするものもないから、
自分の中で思いっきり好きな気持ちを味わえるのです。
でも、少しずつ時間がたってくると、
好きだという気持ち以外にも欲しいものが生まれてきて、
それを手に入れるためには乗り越えなきゃなものもあって。
失敗することもあれば、成功することもあると思うのです。
仮に成功したとしても、”片思い”時代のままのほうが、
けっこう幸せだったかもしれないな、って感じたり。
もちろん、成功して、それが成就しつづけることが、
何よりも一番の幸せであり望みなのかもしれませんが。
でね、思い返してみると、片思い=不幸ではないはずです。
たしかに、その人を好きだと思える自分が、
やっぱり幸せだったと感じていたはずなのですね。
もし片思いがつらいな寂しいななんて思ってたら、
好きになったときの気持ちを、
もう一度、思い返してみてほしいのです。
その人の一挙手一投足が、幸せのミナモトで、
声かけられたり、触れられたりしたら、
もう天にさえ届くような気分だったかもしれません。
あきらめたわけではなくて、好きなのです。
手に入ろうが、手に入らなかろうが、
もしかして嫌われていようが、好きなことに、
きっと、この先もずっと、変わりはないのだと。
片思いが辛くなったら、好きになったときの気持ちを思いだしてみる。
これってすごく大事なことですね。
だんだん、相手を好きな気持ちだけじゃない感情が出てきていることに気付ける
思い出にならないくらい、好き。
守らなきゃならないもの、
ちゃんと、しっかり、守らなければ。
たとえ、
いくら考えても、
コタエは出ないし、
失ったものと、
同じものなんてない。
もっと早く、いつも常に、
守ってるという意識と、
それに伴う行動と。
僕らが生きてる場所は、
何があるか、ほんとにわかりません。
尋常じゃないことばかり。
深く考えると、
怖いから、足すくむから、
自分はだいじょうぶだ、
自分だけは、なんて
思っちゃうのですね。きっと。
100%相手が悪いことは
わかってたとしても、
そして、その相手に
どれだけの制裁を加えても、
元には戻れません。
僕らも時間も生きています。
大切であれば、大切であるほど、
かけがえのない、
そのものの大きさを痛感する。
ああすればよかった。
こうしなければよかった。
いくつもいくつも、過去の自分を、
さげすみ、追い込み、責めるのですね。
でも、でも、やっぱり、
コタエは出ません。
時間のチカラを借りなければ。
借りても出ないかもしれません。
コタエが出ないことを受け入れるほかに、
もしかしたら、
次に進むすべは残されてないのかも。
今、僕には守りたいものがあります。
守りたい「人」と言ってもいい。
たぶん、誰にでもあると思います、それは。
それを、守るために、何をしてるのか。
何があるかわからないから、と、
怯えて閉じこもってしまうのか、
敵も味方も関係なく、やみくもに攻撃するのか。
自分自身とにらめっこしたままか。
「しょうがない」からといって、
しょうがないですむことなんて、
実は、ひとつもありません。
確かに便利な言葉だけど、
とてもやるせない逃げ言葉です。
守るべきものを、ちゃんと守ります。
方法なんて、いくらでもあるハズ。
取り囲んだ防壁を、
壊されたとしても、
すりぬけられたとしても、
越えられたとしても、
それでもまだ、
何度でも守り抜くという、
これでもか精神と、
取り越し苦労を惜しまぬ意思。
持ち直します。今すぐ。
思い出になんか、させたくないから。
好きだった人との時間を、好きだと思えた自分の感情を、思い出になんかしたくないです。
特に、今は。思い出になんてしたくないから、必死になりたいな。
その人との未来が見えるから、好き。
いかにも暗そうな、
薄ぼんやりした未来だとして、
そのことを考えるのは、とても怖いです。
ましてや、そのことに関する何かを、
今の時点で決断するなんて不可能に近い。
だからだとは思うのですが、
「今だけをなんとか乗り切ろう。」
「足元を見ないで、先ばかり見ててはダメだ。」
なんて声すら、聞こえてきそうです。
もちろん、それだって大事なこと。とても。
たとえ一瞬だとしても、
その先のことは一切わかりません。
100%なんてないのかもしれない。
絶対が、絶対ないのが、未来さん。
だから、
そう思われても仕方のないことです。
でもやっぱ、未来を信じる信じない、
そんなものは別として、
どうしたいか、どうするつもりか、
それが、いちばん大切だと思うのです。
がんばっても、がんばらなくても、
行きたいと願う先にしか、行けないのです。
1キロしか望んでない人が、100キロ先には行けません。
たとえ、その能力や環境や運をもっていたとしても。
1ミリでも近づくためには、
1ミリでも近づきたいと強く願うしかない。
その願いの先には、行動だったり、方法がある。
でも、まずは、願うこと。
ちゃんと願うことを、しっかり実現しつづけること。
それに尽きると思うのですね。
だから、僕は、
どれだけ無謀だと思われようが、
どれだけ敵を作ろうが非難されようが、
周りから不幸だと言われようがなんだろうが、
自分の意思で、自分の道を選びます。
僕の道には、僕のしあわせが待ってます。
それは、他の誰にもわからないのです。
他の誰も手に入れることができないのです。
だから、僕は今は、願うことを叶えつづけます。
そして、「ほらね」と、告げるのです。
いつの日かの未来の、隣のあなたに向けて。
未来なんて、どうなるかなんて、絶対誰にも分からない。
今自分が一緒にいたいって思える人と、一緒にいれるかも分からない。
だけど、それを望んでいたい。
自分が望む未来になっていて欲しい。
隣で笑っているのがあの人であって欲しい、なんて、全力で思っているみーたんです。