また、季節がめぐりました。忘れられない、忘れてはならない
不条理…です。
どうして…どうして…神様はいつも私を悲しみに浸すようなことばかりをなさるのでしようか。
私は…ここにきてやっと、自分と向き合えたのに…。やっと自分を自分として認められる場所に…人たちに出会えたというのに。
『男女ーおとこおんなー』
可愛らしい女の子でなかったことはわかっています。けれども語尾を強めても、勉強や運動を頑張っても男の子になれるわけではないのは、わかっていたこと。
ならば、せめて強い女性になってみせようと悔しくて…悔しくて…髪の毛を伸ばして…強くなりたくて。
男の方なんて、嫌いです…そう強がって…それでも私を迎えてくれたみなさんがいたから…やっと一つ…前に進めたと、思っていたのに。
「…七海ちゃん…行きましょう?」
震災発生から…おおよそ三週間…不足していたガソリンなどが…手にはいるようになり、私たちは、ようやく…お互いに会いに行くことができるようになりました。
「あ…はぃ。」
「ほら、ほら、七海!行こう!今日は亜水弥さんがおごっちゃうからさ!」
「…コンビニ…ですけどね。」
苦笑いをしながら、三人で目をあわせたい…でも、視線があうのは…私と亜水弥ちゃんだけ。
亜水弥ちゃんが…来てくださってよかった…内心で私はため息をついていました。
三週間。
三週間もたったというのに…咲也さんとの連絡はついていなかった。
『大丈夫!兄さんは強いから…きっとどこかで頑張ってるんだよ…』
と気丈にも泣き虫さんな七海ちゃんが電話やメールで繰り返してきた…それでも、不安じゃないはずはない。電車は彼女の住む町でずっと止まっていて…運転のできない七海ちゃんはどんなに探しに行きたくても、その場から行けるところは限られていました。
限界が見えてきていて…七海ちゃんの様子を、見に行くことになったのです。
私たちは、互いの家族に紹介されていない…大抵が、問題を抱えてきたままに…生きてきてしまったから。
『目に見えない絆』
があるから、誰が証明しなくても…私たちは
『みんなでおっきな一つの家族』
だから、大丈夫。
誰に認めてもらえなくても…変わらない思いを貫く。…今回は、それがはっきりと仇になって出てしまったのです。
これはきっと
団員全員が感じていたことでしょう…
大切な人が…
…家族以上に寄り添ってきた人が…
生きてきた理由をくれた人が…
連絡がとれなかったとしても…
連絡がつかなくなったとしても…
その人の存在を知っているのは…
その人との関係を見てきたのは…
自分と…その人。
たまに…夢じゃないのか?って思ってしまうくらいに…
現実から、どこか外れた…うたかたの…存在
一度離れてしまうと…
誰にも不安を…語れない
何よりも大切なものを、守る方法を…私たちは知らないから、何回も何回も間違って…涙を流すのです。
「あ…七海ちゃん、少し遠回りをいたしましょう。桜が咲き始めたのですよ?」
「そうそう、七海桜が大好きなのにまだちゃんと見てなかったでしょ?」
「…あ…はぃ…もぅ春なんですね。」
「今年も、見事だよ~!寒くてもちゃんと花は咲く~」
…時間の経過を思い出させてしまうことを、本当なら口にしたくはなかったのですが…それ以上にコンビニへとむかう道の途中に…私はどうしても七海ちゃんに見せたくない風景があったのです。
すがるものすら…手からすり抜けていってしまう中でいずれは目にすることになったとしても…できることなら隣に…せめて彼がいる時であってほしかったのです。
それは、
私がこの町に来て思わず、言葉を失ってしまった光景でした。
「…神社…本殿は無事でしたのね…」
小さな小さな神社でした。神主さんなどいない…
そんな町の一角にある小さな神社。
それでも、私たちにとっては思い出に満ち溢れた場所。
受験の時に、学校からの帰り道毎日のように100円玉を握りしめて通っていた七海ちゃん。
「私にとっては、ここが一番なんです。私だけの…神様みたいで。」
大きな木に囲まれた、町の人にも忘れられてしまっているのではないかと思うような神社を本当に七海ちゃんは大切にしていました。私たちに何かあったときには、そこに何度も何度もお祈りをしたり…目に見えるゴミを拾っていたり…そうしている姿を見ているうちにそこは私たちにとっても「特別な意味」を持つ場所になっていたのです。
趣のある小さな小さな神社…そこは、私にとってもとても心地よく、つい足を運んでしまう場所でした。
その神社の塀や…石畳の崩れている様子は…本殿が無事だったことを素直に喜ばせてはくださらないような…そんな景色でした。
すがる場所をまた一つなくしてしまった…そんな思いが胸を締め付けてきました。
「…また、みなさんとお掃除に参りますからね…必ず…」
なにかできるわけでもなく、私は、せめてもに握りしめていた100円玉にそう未来への約束を込めて頭を下げたのでした。
亜水弥ちゃんも私があえて「時間の経過」
を感じさせる桜の見える道を選んだことを不審に思わなかったところを見ると…恐らく、同じ光景を目にして来たのだとわかりました。
…私たちは…なんて無力なのでしょう…。
大切な場所すら、こんなにも簡単に…失ってしまい…それを隠すことしかできないなんて…。
まだ、あちこちに爪痕が残る町を見つめながら私たちはだんだん言葉をなくしていきました。
「あ…」
私たち二人の後を、ゆっくりと歩いていた七海ちゃんが不意に走りだし、道路に座り込みました。
「七海、具合悪いの!?」
「大丈夫ですか?」
驚いて駆けつけた私たちの前で、七海ちゃんはしゃがみこんで痩せ細った猫の体をさすっていました。
「猫さん…お姉ちゃんどうしよ?猫さん吐いちゃってるみたい!!」
見ると、口や鼻になにかがついているのがわかりました。
強い風が吹く度に、ゆらゆらと体が揺れる猫さんの姿は本当に今にも消えてしまうのではないかと言うほど弱々しく見えました。
「困りましたね…せめて珱稚さんがいらっしゃれば…」
「なぎー、私電話してみるよ。」
「行く…」
私たちが、医学の知識のある珱稚さんに連絡をしようと話し合っている間に、七海ちゃんは今までにない瞳の強さで、コートを脱ぐと猫さんを抱え込んで立ち上がったのです。
「えっ?」
「七海ちゃん?」
「動物病院!!いつもうちのワンコさんが行ってるところ、近いから連れていく!!」
「七海、この子どこかのおうちの猫かもしれないし、野良猫さんかもしれないんだよ?」
自然に任せた方がよいと…言いたげな亜水弥ちゃんに七海ちゃんは涙を浮かべながら言い切ったのでした。
「…治療費ならちゃんと、自分でだします。飼い主さんがいるなら見つかるまで…いないなら、元気になるまで…ちゃんと毎日…様子見ます。だから…」
目の前にある衰弱しきった命。
何もできない私たち。
そこに…自分を重ねていたのかもしれません。
「…行きましょう…大丈夫ですよ。もしもの時は、私が飼いますから。」
二人が驚いているのがすごくよくわかりました。
けれど、無駄なことをと言われても助けたい思いは一緒でした。三人で、猫さんを連れて走りました。
いつもの神社。
…崩れてしまった私たちの思いでの場。
「美味しいから食べるのにゃ~」
七海ちゃんは牛乳とコンビニで見つけた高い猫缶をなんとか猫さんに食べさせようと格闘していました。
「…腎機能が低下しているから…食べれないとは思うけどせめて美味しいものを食べさせてやりなさい、かぁ。」
亜水弥ちゃんが不服そうに呟きました。
必死になって連れていった先で、お医者さんが言ったのは『どうあがいても長くは生きない』ということでした。
「美味しいものと言われましても…私たちには分かりませんしね。」
動物病院に行く道の途中にこの神社はありました。
…七海ちゃんは、すでに事実を知っていました。
お百度詣りをしようと、一人目を盗んで来たことがあったと。ショックだったけど、通る度に…みんなを守ってくれるようにお願いしていたこと。
二人が神社のことについて気にかけてくれていたことが嬉しかったと。
「あ、見てみて、お姉ちゃん!!」
「ん?あ、舐めてるね~可愛い!」
「…良かったですね。」
「良い子だにゃ~、ほらペロペロ頑張って!!」
猫缶は無理でしたが、七海ちゃんが指につけた牛乳を猫さんは少しずつ舐め始めていました。
三人で、猫さんを囲んで笑っているときに…私はなにか大きなものに守られているような気持ちを感じていました。
……しばらくして、亜水弥ちゃんが七海ちゃんを家に送りに行っている間、私は猫さんの様子を見ていることになりました。相変わらず、すぐにでも倒れてしまいそうでしたが…私が立ち上がると小さく、声を出すようになりました。
小さな命も必死になって命を繋げている。
強い風が吹いて、神社の木々がざわめきます。
…私は、静かに参道のはじめにまで戻り靴を脱ぎました。
髪の毛を結い直し、大きく息を吸い直すと、ガタガタになってしまった道を本殿へと向かって歩きます。
手を叩いて、頭を下げ…また道を戻る。
途中、猫さんが不思議そうにヨロヨロとついてくることもありました。
私の祈りが…届くのだとしたら、ここが一番の場所だから…そう感じたのです。
何度も。
何度も、何度も。
心が空っぽになってしまうくらいに、私はその行為を繰り返しました。
時おり、吹く風にどこからか桜の花びらが混じっていました。
ー早く帰ってこられないと…みなさんでお花見をするのが涼風ですから…ー
連絡のつかない数人。
今も、懸命に力を尽くしている人たち。
…残念なことに…もう帰ってこられなくなってしまった方。
たくさんの方の顔が頭に浮かんで、私の目の前は知らず知らずにぼやけていました。
これではいけない。
…袖で目をぬぐってもう一度歩き始めた瞬間に、ひときは強い風が吹いて、私は思わずよろめいてしまいました。
「…きゃぁ…」
「あぶねっ!!セーフ…しかし、渚さんも可愛い悲鳴あげるんだな。」
「えっ…!?」
足元には、心配したようにすりよってきた猫さんが小さく鳴いていて…転びかけた私の体を支えていたのは…猫の毛の様な髪の毛を風になびかせた…思い出よりももっと痩せて…でも強い眼差しをした青年。
「怪我、ないですか?まったく無茶しないでくださいよ…七海がいるかと思って覗いてみたらまさか渚さんがお詣りしてるなんて…おわっ!!」
「…触らないでくださいますか?」
「久しぶりでも、容赦ないですね」
まいったと頭をかきながら、私に添えていた手が離れていくとき…本当は今日だけは…そのままでいてくださってもよいように感じていました。
「…あなたと言う方は…どこまで人を心配させたら気がすむのですか…」
ボロボロの靴。
汚れきった服…傷跡の見える体…普段の彼からは想像もつかないような身だしなみ。彼はいったい…どこであの笑顔で人を支えてきたのでしょう。
「…お帰りなさい…みんな待ってましたよ…早く行ってあげてください」
少し照れたように、微笑んだあと、咲也さんは私の手を引き、猫さんを抱き抱えて走り出しました。
「渚さんも、ついてきてください!!話したいこと、聞きたいことばっかですから!!」
いつも…いつも迷い立ち止まる私たちの先陣を切ってきた青年。
…今日だけは…このまま手を引かれていきましよう。
私も聞きたいことばかりですから。
にゃぁ~…小さく鳴く猫さんを守るように抱き締める青年は変わってませんでした。
靴を履きながら、私は境内を振り返り…ここが、私たちにとってこれからもずっと大切な場所であることに感謝しました。
「…みんなで、お掃除に参りますからね…」
呟きに応じるかのように、また一度…新しい季節の到来を告げる風が強く吹き抜けていきました。
ー信じていれば…必ず…思いは…明日へと繋がるー
不条理…です。
どうして…どうして…神様はいつも私を悲しみに浸すようなことばかりをなさるのでしようか。
私は…ここにきてやっと、自分と向き合えたのに…。やっと自分を自分として認められる場所に…人たちに出会えたというのに。
『男女ーおとこおんなー』
可愛らしい女の子でなかったことはわかっています。けれども語尾を強めても、勉強や運動を頑張っても男の子になれるわけではないのは、わかっていたこと。
ならば、せめて強い女性になってみせようと悔しくて…悔しくて…髪の毛を伸ばして…強くなりたくて。
男の方なんて、嫌いです…そう強がって…それでも私を迎えてくれたみなさんがいたから…やっと一つ…前に進めたと、思っていたのに。
「…七海ちゃん…行きましょう?」
震災発生から…おおよそ三週間…不足していたガソリンなどが…手にはいるようになり、私たちは、ようやく…お互いに会いに行くことができるようになりました。
「あ…はぃ。」
「ほら、ほら、七海!行こう!今日は亜水弥さんがおごっちゃうからさ!」
「…コンビニ…ですけどね。」
苦笑いをしながら、三人で目をあわせたい…でも、視線があうのは…私と亜水弥ちゃんだけ。
亜水弥ちゃんが…来てくださってよかった…内心で私はため息をついていました。
三週間。
三週間もたったというのに…咲也さんとの連絡はついていなかった。
『大丈夫!兄さんは強いから…きっとどこかで頑張ってるんだよ…』
と気丈にも泣き虫さんな七海ちゃんが電話やメールで繰り返してきた…それでも、不安じゃないはずはない。電車は彼女の住む町でずっと止まっていて…運転のできない七海ちゃんはどんなに探しに行きたくても、その場から行けるところは限られていました。
限界が見えてきていて…七海ちゃんの様子を、見に行くことになったのです。
私たちは、互いの家族に紹介されていない…大抵が、問題を抱えてきたままに…生きてきてしまったから。
『目に見えない絆』
があるから、誰が証明しなくても…私たちは
『みんなでおっきな一つの家族』
だから、大丈夫。
誰に認めてもらえなくても…変わらない思いを貫く。…今回は、それがはっきりと仇になって出てしまったのです。
これはきっと
団員全員が感じていたことでしょう…
大切な人が…
…家族以上に寄り添ってきた人が…
生きてきた理由をくれた人が…
連絡がとれなかったとしても…
連絡がつかなくなったとしても…
その人の存在を知っているのは…
その人との関係を見てきたのは…
自分と…その人。
たまに…夢じゃないのか?って思ってしまうくらいに…
現実から、どこか外れた…うたかたの…存在
一度離れてしまうと…
誰にも不安を…語れない
何よりも大切なものを、守る方法を…私たちは知らないから、何回も何回も間違って…涙を流すのです。
「あ…七海ちゃん、少し遠回りをいたしましょう。桜が咲き始めたのですよ?」
「そうそう、七海桜が大好きなのにまだちゃんと見てなかったでしょ?」
「…あ…はぃ…もぅ春なんですね。」
「今年も、見事だよ~!寒くてもちゃんと花は咲く~」
…時間の経過を思い出させてしまうことを、本当なら口にしたくはなかったのですが…それ以上にコンビニへとむかう道の途中に…私はどうしても七海ちゃんに見せたくない風景があったのです。
すがるものすら…手からすり抜けていってしまう中でいずれは目にすることになったとしても…できることなら隣に…せめて彼がいる時であってほしかったのです。
それは、
私がこの町に来て思わず、言葉を失ってしまった光景でした。
「…神社…本殿は無事でしたのね…」
小さな小さな神社でした。神主さんなどいない…
そんな町の一角にある小さな神社。
それでも、私たちにとっては思い出に満ち溢れた場所。
受験の時に、学校からの帰り道毎日のように100円玉を握りしめて通っていた七海ちゃん。
「私にとっては、ここが一番なんです。私だけの…神様みたいで。」
大きな木に囲まれた、町の人にも忘れられてしまっているのではないかと思うような神社を本当に七海ちゃんは大切にしていました。私たちに何かあったときには、そこに何度も何度もお祈りをしたり…目に見えるゴミを拾っていたり…そうしている姿を見ているうちにそこは私たちにとっても「特別な意味」を持つ場所になっていたのです。
趣のある小さな小さな神社…そこは、私にとってもとても心地よく、つい足を運んでしまう場所でした。
その神社の塀や…石畳の崩れている様子は…本殿が無事だったことを素直に喜ばせてはくださらないような…そんな景色でした。
すがる場所をまた一つなくしてしまった…そんな思いが胸を締め付けてきました。
「…また、みなさんとお掃除に参りますからね…必ず…」
なにかできるわけでもなく、私は、せめてもに握りしめていた100円玉にそう未来への約束を込めて頭を下げたのでした。
亜水弥ちゃんも私があえて「時間の経過」
を感じさせる桜の見える道を選んだことを不審に思わなかったところを見ると…恐らく、同じ光景を目にして来たのだとわかりました。
…私たちは…なんて無力なのでしょう…。
大切な場所すら、こんなにも簡単に…失ってしまい…それを隠すことしかできないなんて…。
まだ、あちこちに爪痕が残る町を見つめながら私たちはだんだん言葉をなくしていきました。
「あ…」
私たち二人の後を、ゆっくりと歩いていた七海ちゃんが不意に走りだし、道路に座り込みました。
「七海、具合悪いの!?」
「大丈夫ですか?」
驚いて駆けつけた私たちの前で、七海ちゃんはしゃがみこんで痩せ細った猫の体をさすっていました。
「猫さん…お姉ちゃんどうしよ?猫さん吐いちゃってるみたい!!」
見ると、口や鼻になにかがついているのがわかりました。
強い風が吹く度に、ゆらゆらと体が揺れる猫さんの姿は本当に今にも消えてしまうのではないかと言うほど弱々しく見えました。
「困りましたね…せめて珱稚さんがいらっしゃれば…」
「なぎー、私電話してみるよ。」
「行く…」
私たちが、医学の知識のある珱稚さんに連絡をしようと話し合っている間に、七海ちゃんは今までにない瞳の強さで、コートを脱ぐと猫さんを抱え込んで立ち上がったのです。
「えっ?」
「七海ちゃん?」
「動物病院!!いつもうちのワンコさんが行ってるところ、近いから連れていく!!」
「七海、この子どこかのおうちの猫かもしれないし、野良猫さんかもしれないんだよ?」
自然に任せた方がよいと…言いたげな亜水弥ちゃんに七海ちゃんは涙を浮かべながら言い切ったのでした。
「…治療費ならちゃんと、自分でだします。飼い主さんがいるなら見つかるまで…いないなら、元気になるまで…ちゃんと毎日…様子見ます。だから…」
目の前にある衰弱しきった命。
何もできない私たち。
そこに…自分を重ねていたのかもしれません。
「…行きましょう…大丈夫ですよ。もしもの時は、私が飼いますから。」
二人が驚いているのがすごくよくわかりました。
けれど、無駄なことをと言われても助けたい思いは一緒でした。三人で、猫さんを連れて走りました。
いつもの神社。
…崩れてしまった私たちの思いでの場。
「美味しいから食べるのにゃ~」
七海ちゃんは牛乳とコンビニで見つけた高い猫缶をなんとか猫さんに食べさせようと格闘していました。
「…腎機能が低下しているから…食べれないとは思うけどせめて美味しいものを食べさせてやりなさい、かぁ。」
亜水弥ちゃんが不服そうに呟きました。
必死になって連れていった先で、お医者さんが言ったのは『どうあがいても長くは生きない』ということでした。
「美味しいものと言われましても…私たちには分かりませんしね。」
動物病院に行く道の途中にこの神社はありました。
…七海ちゃんは、すでに事実を知っていました。
お百度詣りをしようと、一人目を盗んで来たことがあったと。ショックだったけど、通る度に…みんなを守ってくれるようにお願いしていたこと。
二人が神社のことについて気にかけてくれていたことが嬉しかったと。
「あ、見てみて、お姉ちゃん!!」
「ん?あ、舐めてるね~可愛い!」
「…良かったですね。」
「良い子だにゃ~、ほらペロペロ頑張って!!」
猫缶は無理でしたが、七海ちゃんが指につけた牛乳を猫さんは少しずつ舐め始めていました。
三人で、猫さんを囲んで笑っているときに…私はなにか大きなものに守られているような気持ちを感じていました。
……しばらくして、亜水弥ちゃんが七海ちゃんを家に送りに行っている間、私は猫さんの様子を見ていることになりました。相変わらず、すぐにでも倒れてしまいそうでしたが…私が立ち上がると小さく、声を出すようになりました。
小さな命も必死になって命を繋げている。
強い風が吹いて、神社の木々がざわめきます。
…私は、静かに参道のはじめにまで戻り靴を脱ぎました。
髪の毛を結い直し、大きく息を吸い直すと、ガタガタになってしまった道を本殿へと向かって歩きます。
手を叩いて、頭を下げ…また道を戻る。
途中、猫さんが不思議そうにヨロヨロとついてくることもありました。
私の祈りが…届くのだとしたら、ここが一番の場所だから…そう感じたのです。
何度も。
何度も、何度も。
心が空っぽになってしまうくらいに、私はその行為を繰り返しました。
時おり、吹く風にどこからか桜の花びらが混じっていました。
ー早く帰ってこられないと…みなさんでお花見をするのが涼風ですから…ー
連絡のつかない数人。
今も、懸命に力を尽くしている人たち。
…残念なことに…もう帰ってこられなくなってしまった方。
たくさんの方の顔が頭に浮かんで、私の目の前は知らず知らずにぼやけていました。
これではいけない。
…袖で目をぬぐってもう一度歩き始めた瞬間に、ひときは強い風が吹いて、私は思わずよろめいてしまいました。
「…きゃぁ…」
「あぶねっ!!セーフ…しかし、渚さんも可愛い悲鳴あげるんだな。」
「えっ…!?」
足元には、心配したようにすりよってきた猫さんが小さく鳴いていて…転びかけた私の体を支えていたのは…猫の毛の様な髪の毛を風になびかせた…思い出よりももっと痩せて…でも強い眼差しをした青年。
「怪我、ないですか?まったく無茶しないでくださいよ…七海がいるかと思って覗いてみたらまさか渚さんがお詣りしてるなんて…おわっ!!」
「…触らないでくださいますか?」
「久しぶりでも、容赦ないですね」
まいったと頭をかきながら、私に添えていた手が離れていくとき…本当は今日だけは…そのままでいてくださってもよいように感じていました。
「…あなたと言う方は…どこまで人を心配させたら気がすむのですか…」
ボロボロの靴。
汚れきった服…傷跡の見える体…普段の彼からは想像もつかないような身だしなみ。彼はいったい…どこであの笑顔で人を支えてきたのでしょう。
「…お帰りなさい…みんな待ってましたよ…早く行ってあげてください」
少し照れたように、微笑んだあと、咲也さんは私の手を引き、猫さんを抱き抱えて走り出しました。
「渚さんも、ついてきてください!!話したいこと、聞きたいことばっかですから!!」
いつも…いつも迷い立ち止まる私たちの先陣を切ってきた青年。
…今日だけは…このまま手を引かれていきましよう。
私も聞きたいことばかりですから。
にゃぁ~…小さく鳴く猫さんを守るように抱き締める青年は変わってませんでした。
靴を履きながら、私は境内を振り返り…ここが、私たちにとってこれからもずっと大切な場所であることに感謝しました。
「…みんなで、お掃除に参りますからね…」
呟きに応じるかのように、また一度…新しい季節の到来を告げる風が強く吹き抜けていきました。
ー信じていれば…必ず…思いは…明日へと繋がるー
