地鳴りがする。
その度に…悲鳴のような声が、繰り返される。
数秒の感覚で、繰り返される激しい揺れ…瞬間…自分がどこにいるのかすら、わからなくなった。
落ち着け…。
俺がパニックを起こしてもなにもならない。
今まで、見てきたものを考えれば…この程度で立ち止まるような俺ではない。
もう…誰かに…守られている自分はいらない…俺は、『守る側』に立つ。
そうだ…それなら、強くあるべきだ。
大丈夫だ…大丈夫。
ただ、ただ…今はそれを繰り返し自分に言い聞かせるしかなかった。
…守ることは…俺にとっては生きることだ。
目の前が、回る…。
だが…確信していた。
これは、地震から来る目眩ではない…。
一瞬にして、非日常にそまった町を歩き…一人ではたてなくなった人に手をかしたりしながら、たどり着いた避難所の片隅で…アラーム音以外の音が携帯から流れた。
驚いてしまい、思わず名前を確認することもせず…通話ボタンを連打した。
「…もしもし?」
「…信也、話がある。」
帰ってきた声は…予想などしていなかった声だった。背中を、嫌な汗が伝うのを感じた…。
タイミングが…良すぎる。そうだ…毎回…毎回…。
そのまま、なにも答えられずに静かに電話からの無機質な声を聞いていた。
地震直後…何事もなかった俺は、たまたまいた町の避難所へと誘導され…そこで事務作業などを手伝っていた。
まわりからは
『手際がいいですね!』
などと感心された。…だてに自衛隊の幹部であった親父から、幼い頃から厳しい教育を受けていたわけではない。
気がついた時には、すでに…レールはひかれていた。
二年ほど…留年をすることにはなったが俺を応援してくれ…解き放ってくれた人たちがいたから…『自由』をもらえた。
だが…違う。
大学に通うために自衛隊から離れてはいたが…気持ちは常にあの場にあるように感じていた。
むしろ…逆にいまだにあの場に、縛り付けられている自分を知ることとなった。
あの言葉にしがたい辛さが…誰かの明日へと繋がるのなら…喜ぶべきだろう。
体力には自信がある…そして非常時の対応も教わっていた。
今、まさしくその力を活かす時だと思った。
「覚悟を決めろ…どうするかはおまえにまかせる。」
簡単な説明。
どうやら…原発に問題が起こりかねないらしい。
情報がなかった俺は…あのあと、巨大な津波が多くのものを…奪い去っていったことすら知らなかったのだ。
最後には…そう言い切って電話は切られた。
遠くにいる息子の安否を確認するための…電話ではなかった。
それを…恨んではいない。はじめから、期待もしていなかった。
昔から、そう言う父親だった。
『覚悟』
どうやら…かなり良くないことが起こっているらしい。直感的に…悟ることになった。
地震から間もなく…団員たちからの連絡を待っていた俺の携帯には…よりにもよって最初に親父からの電話があった。
事態が深刻なことは…いくらなんでも、俺にだってわかっていた。
嫌すぎるくらいに・・・だ。たくさんの人たちが…恐怖に震えながら、寄り添っていた。
ここで、できることには限りがある。
『覚悟』
あぁ、まただ。
その単語が、何回もリピートされた。
冷静になりたい。
頭に血が…たまっていくような…奇妙な感覚がした。
…頭を冷やすために、空を見上げた…嫌みのように雪がふってきた。
暗くなりはじめた。
たくさんの人間が…各々に何かを話している…。
頬に…冷たい…とても冷たい雪のかけらが、触り…
『自由に、生きたらな。』
ひどく…懐かしい…声がした。
思わず…姿を探す。
わかっている。
いるはずが…ない。
溶けた雪が…頬を…伝う。
『…ありがとう。信也だけだ…。』
優しい…微笑み…。
一瞬、世界から音が消えた。
そして…俺は…静かに空へとむかって敬礼をした。
さぞかし、奇妙な姿だっただろう。
だが…俺の迷いは、そこではっきりと無くなった。
頬を伝う…そこには、いつの間にか涙が…混ざっていたことを…誰にも見られていないことだけを祈りながら…。
俺は、静かに…携帯電話を取り出した。
それは…俺の決意だったのだと思う。本当は、この時には…自らの進む道なんて…決めていたんだ…。
だからこそ、きっと…あの声が…最後の一歩を踏み出せずにいた…俺の背中を押したのだ。
晴一…晴一を空へと送り返した日も、確か季節外れな雪が降っていた…。
走馬灯。
そう言うのだろうか?
不意に頭のなかに…蘇る光景。
忘れもしない…。
晴一と過ごした…一年にも満たない期間だが…それは、俺にしたら何年分もの価値があった。
エイズに感染していた…そう知った時…俺は、晴一を拒絶した。
はじめて…咲也に殴られたこと。
あの時、俺は
「晴一を助けるためなら…おまえは俺の意見を…切り捨てるのか?それが…おまえのいう『みんなを守ることか?』」
と聞いた。
あの瞬間の、咲也の顔が…忘れられなかった。
それは、致命的なミス…というべきだろう。
あんなことを言ってしまったが…俺はすべてを守ろうとする咲也の生き方を、尊敬していた。
咲也のように…生きてみたかった。
いつも、最小限の犠牲に納めることだけを…教えられてきた俺には…絶対にたどり着けない…そんな信念だったからだ。
「今も…昔も…俺は誰も助けられない…。」
咲也のマネをしてみても、俺は…やっぱり俺でしかなかった。
口調を変えた、髪を染めてみた…背伸びをしていた。親父に…勘当された。
振りかえれば…それはただの…ガキすぎた俺の…反抗期の悪あがきにしか見えない。
無口で、何を考えているのかわからない…頭が固く…柔軟性がなく、1を助けるよりも10を助けるために…仲間すらも…犠牲にする。
それが、神山信也だった。
本当は、自分で選ぶことが怖かった…だから…親父に…従って生きた。
…冷酷だ。
紛争がおこった国に、親父に連れられ援助活動行かなくてはならなくなったとき…俺は、すべてをアキラメタはずだった。
涼風は、快適だった…。
頼りになる…兄がいて…愛しているに等しい…可愛い妹…もできた。
楽しかった…。
ケンカもした。
ただ、遊ぶために海にも行った。
山にも行った。
遊園地にも行った。
楽しかった…。
すべてが…楽しかった…。
だからもう、十分だと思うことにした。
最後だ。
誰にも言わずに…いなくなろう。
そう思って…せめて、一番大切な妹にあてて、手紙を妹の友人に託した。
言えば…きっと、止められる。もしかしたら、泣いてしまうかもしれない。
…それを見たら…行けなくなる。
国のため?
おまえのため?
違う…俺はきっと、英雄になった気分を味わいたかったんだ。
本当は、怖くて…逃げ出したかった…。
戦地で俺は…動けなくなった。
『形だけの精鋭』
助けてくれ!
助けてくれ!助けてくれ!帰りたい…帰りたいんだ。膝を抱えて…震えていた。
そんな俺を…咲也が、なにもできない…俺を探しだしてくれた。
親父が睨んでいた。
外国の軍の兵隊も…いろんなことを教えてくれた…先輩も…つい目をそらしてしまうような視線に、咲也は逃げることなく向かい合い…そのまま、土下座をした。
プライドが高い咲也が…俺のために、土に頭をつけている…はじめて・・・心のそこから涙が溢れ出してきたのを今でも…鮮明に覚えている。
そして、みんなも笑顔で
『おかえり』
と言ってくれた。
逃げ出した俺を…迎え入れてくれた。
あれから、何年だ?
少なくとも…親父が直接、俺に電話をしてきたことは…あれからはじめてだった。
だから、今さら…
「・・・今からでも…なれるのか?」
俺のなりたかった、俺に?
「・・・できるのか?」
自分に問いかけた。
俺は…弱虫だったから。
親父が怖くて…そして何よりも戦うことがイヤで逃げ出した。
本当は、銃を扱う手なんかより…ピアノが弾ける手が欲しかった。
ピアノが弾けるそんな手は…みんながくれた。
好きなだけ弾いていいと…言われた。
はじめて…褒めてくれた。
大好きだ。
人のために…泣ける。
そんな涼風のことが…たまらなく…好きだ。
「せいえい?」
「七海、精鋭ってのはそれだけ頑張ってそれを極めましたって証だ。だから…信也は、涼風の楽器舞台の精鋭だ。」
「せいえいってすごいんだ!かっこいー!!ななも、信也兄さんみたいになりたい!」
精鋭部隊。
咲也は俺を…『楽器の精鋭』と言ってくれた。
七海は、キラキラした目でカッコイイ!!と繰り返した…。
ーおまえは、人を傷つけることにかけて、精鋭だな。ー
俺のことを…褒めてくれたのは…涼風のみんなだけだった。
そんな、俺が…本当の英雄になれる最後のチャンスかもしれない。
ー胸を張って…精鋭部隊と名乗れる…それも、人を助けてだ。そして…何よりも、恩返しができるかもしれない…。ー
先ほど取り出した携帯を持つ手が、意思に関係なく震えていた。
あと一つ…ボタンが押せない。
「待って、待ってよ!お兄ちゃん!」
考えたまま止まっていた俺に子どもが、走りよってきて思いっきりぶつかった。軽い子どもは…反動でくるんと地面に。
認識が遅れたために、支えるのが間に合わず…そのまま、女の子が勢いあまって予想通りに…尻餅をついていた。
「ぅ…痛ぃ…痛い。」
呟いたあとに…顔をあげた。
視線が交錯した。
仏頂面の俺を見て、怯えたような顔をした。
「・・・大丈夫か?」
俺は、できる限りの笑顔で…そっと手をさしのべた。躊躇いながら、手をつかんだ少女は人懐こい仕草でにっこりと、笑った。
「ありがとう、お兄ちゃん!あとあと、ごめんなさい!」
「なな…!」
頭を何回もふりながら、指先だけを…緊張したように握り返す…。
その仕草が、大切にしてきた妹の笑顔と重なった。
初めて、手を差し出したとき…あいつもこんな顔をしたな。
少女はなにかを呼びかけて…そのまま、止まった俺を不思議そうに見ていた。
「おーぃ、なずなー!」
「あ!お兄ちゃん!!」
ぱぁっと、なずなと呼ばれた少女は向日葵のように…笑った。
遠くにいる兄と思われる少年の呼ぶ声。
『ごめんなさい』
と固まったままの俺に…もう一度、頭を下げて走り去っていった。
「…あの子たちも…救えるか?」
救えるか?ではない。
「…救う。」
最後のボタンを、力強く押した。
プルルルル…プルルルル…
無機質な…音が流れる。
一つ聞く毎に…俺は、感情を捨てていく…。
後悔はしない。
二度と…戻ってこれなくなったとしても…俺の手で…救える確率が増えるのなら…どこまででも、行ってみせる。
『結局…俺は守るために…切り捨てた』
逃げれば…また…いつか必ず、後悔をする。
プルルルル…
何個捨てた?
少なくとも…迷うことはない…。
さぁ…最後に…残した気持ちも捨てよう…。
「覚悟を決めたのか?」
「あ…」
コール音が途絶えた。
俺は、間抜けな声を出していた。
「決めてないなら、切る。」
「待て…いや、俺も連れていってください。」
親父と息子。
上司と部下。
ただの…捨て駒かもしれない。
親父にとっての俺は…なんなんだろうか?
いつか…聞いてみたいと思った。
「…今回は、前のようにはならないぞ。」
「わかっています。俺は…俺の意思で、選んだ。もう…なにも知らない…ガキじゃない。」
フッ…親父が笑った。
そして…久しぶりに…嬉しそうに、言葉を紡いで電話は切られた。
「そこで待ってろ!…か。」
俺は、決して明るくはないであろう未来を…反映したかのような空を見つめながら…親父が来るのを待った。
ー1つだけ、捨てられなかった思いだけは…連れていくことにしよう。
俺がいた…証しに。
『涼風を愛している』
この気持ちを…。
きっと、これがあればまた頑張れるはずだから。ー
その度に…悲鳴のような声が、繰り返される。
数秒の感覚で、繰り返される激しい揺れ…瞬間…自分がどこにいるのかすら、わからなくなった。
落ち着け…。
俺がパニックを起こしてもなにもならない。
今まで、見てきたものを考えれば…この程度で立ち止まるような俺ではない。
もう…誰かに…守られている自分はいらない…俺は、『守る側』に立つ。
そうだ…それなら、強くあるべきだ。
大丈夫だ…大丈夫。
ただ、ただ…今はそれを繰り返し自分に言い聞かせるしかなかった。
…守ることは…俺にとっては生きることだ。
目の前が、回る…。
だが…確信していた。
これは、地震から来る目眩ではない…。
一瞬にして、非日常にそまった町を歩き…一人ではたてなくなった人に手をかしたりしながら、たどり着いた避難所の片隅で…アラーム音以外の音が携帯から流れた。
驚いてしまい、思わず名前を確認することもせず…通話ボタンを連打した。
「…もしもし?」
「…信也、話がある。」
帰ってきた声は…予想などしていなかった声だった。背中を、嫌な汗が伝うのを感じた…。
タイミングが…良すぎる。そうだ…毎回…毎回…。
そのまま、なにも答えられずに静かに電話からの無機質な声を聞いていた。
地震直後…何事もなかった俺は、たまたまいた町の避難所へと誘導され…そこで事務作業などを手伝っていた。
まわりからは
『手際がいいですね!』
などと感心された。…だてに自衛隊の幹部であった親父から、幼い頃から厳しい教育を受けていたわけではない。
気がついた時には、すでに…レールはひかれていた。
二年ほど…留年をすることにはなったが俺を応援してくれ…解き放ってくれた人たちがいたから…『自由』をもらえた。
だが…違う。
大学に通うために自衛隊から離れてはいたが…気持ちは常にあの場にあるように感じていた。
むしろ…逆にいまだにあの場に、縛り付けられている自分を知ることとなった。
あの言葉にしがたい辛さが…誰かの明日へと繋がるのなら…喜ぶべきだろう。
体力には自信がある…そして非常時の対応も教わっていた。
今、まさしくその力を活かす時だと思った。
「覚悟を決めろ…どうするかはおまえにまかせる。」
簡単な説明。
どうやら…原発に問題が起こりかねないらしい。
情報がなかった俺は…あのあと、巨大な津波が多くのものを…奪い去っていったことすら知らなかったのだ。
最後には…そう言い切って電話は切られた。
遠くにいる息子の安否を確認するための…電話ではなかった。
それを…恨んではいない。はじめから、期待もしていなかった。
昔から、そう言う父親だった。
『覚悟』
どうやら…かなり良くないことが起こっているらしい。直感的に…悟ることになった。
地震から間もなく…団員たちからの連絡を待っていた俺の携帯には…よりにもよって最初に親父からの電話があった。
事態が深刻なことは…いくらなんでも、俺にだってわかっていた。
嫌すぎるくらいに・・・だ。たくさんの人たちが…恐怖に震えながら、寄り添っていた。
ここで、できることには限りがある。
『覚悟』
あぁ、まただ。
その単語が、何回もリピートされた。
冷静になりたい。
頭に血が…たまっていくような…奇妙な感覚がした。
…頭を冷やすために、空を見上げた…嫌みのように雪がふってきた。
暗くなりはじめた。
たくさんの人間が…各々に何かを話している…。
頬に…冷たい…とても冷たい雪のかけらが、触り…
『自由に、生きたらな。』
ひどく…懐かしい…声がした。
思わず…姿を探す。
わかっている。
いるはずが…ない。
溶けた雪が…頬を…伝う。
『…ありがとう。信也だけだ…。』
優しい…微笑み…。
一瞬、世界から音が消えた。
そして…俺は…静かに空へとむかって敬礼をした。
さぞかし、奇妙な姿だっただろう。
だが…俺の迷いは、そこではっきりと無くなった。
頬を伝う…そこには、いつの間にか涙が…混ざっていたことを…誰にも見られていないことだけを祈りながら…。
俺は、静かに…携帯電話を取り出した。
それは…俺の決意だったのだと思う。本当は、この時には…自らの進む道なんて…決めていたんだ…。
だからこそ、きっと…あの声が…最後の一歩を踏み出せずにいた…俺の背中を押したのだ。
晴一…晴一を空へと送り返した日も、確か季節外れな雪が降っていた…。
走馬灯。
そう言うのだろうか?
不意に頭のなかに…蘇る光景。
忘れもしない…。
晴一と過ごした…一年にも満たない期間だが…それは、俺にしたら何年分もの価値があった。
エイズに感染していた…そう知った時…俺は、晴一を拒絶した。
はじめて…咲也に殴られたこと。
あの時、俺は
「晴一を助けるためなら…おまえは俺の意見を…切り捨てるのか?それが…おまえのいう『みんなを守ることか?』」
と聞いた。
あの瞬間の、咲也の顔が…忘れられなかった。
それは、致命的なミス…というべきだろう。
あんなことを言ってしまったが…俺はすべてを守ろうとする咲也の生き方を、尊敬していた。
咲也のように…生きてみたかった。
いつも、最小限の犠牲に納めることだけを…教えられてきた俺には…絶対にたどり着けない…そんな信念だったからだ。
「今も…昔も…俺は誰も助けられない…。」
咲也のマネをしてみても、俺は…やっぱり俺でしかなかった。
口調を変えた、髪を染めてみた…背伸びをしていた。親父に…勘当された。
振りかえれば…それはただの…ガキすぎた俺の…反抗期の悪あがきにしか見えない。
無口で、何を考えているのかわからない…頭が固く…柔軟性がなく、1を助けるよりも10を助けるために…仲間すらも…犠牲にする。
それが、神山信也だった。
本当は、自分で選ぶことが怖かった…だから…親父に…従って生きた。
…冷酷だ。
紛争がおこった国に、親父に連れられ援助活動行かなくてはならなくなったとき…俺は、すべてをアキラメタはずだった。
涼風は、快適だった…。
頼りになる…兄がいて…愛しているに等しい…可愛い妹…もできた。
楽しかった…。
ケンカもした。
ただ、遊ぶために海にも行った。
山にも行った。
遊園地にも行った。
楽しかった…。
すべてが…楽しかった…。
だからもう、十分だと思うことにした。
最後だ。
誰にも言わずに…いなくなろう。
そう思って…せめて、一番大切な妹にあてて、手紙を妹の友人に託した。
言えば…きっと、止められる。もしかしたら、泣いてしまうかもしれない。
…それを見たら…行けなくなる。
国のため?
おまえのため?
違う…俺はきっと、英雄になった気分を味わいたかったんだ。
本当は、怖くて…逃げ出したかった…。
戦地で俺は…動けなくなった。
『形だけの精鋭』
助けてくれ!
助けてくれ!助けてくれ!帰りたい…帰りたいんだ。膝を抱えて…震えていた。
そんな俺を…咲也が、なにもできない…俺を探しだしてくれた。
親父が睨んでいた。
外国の軍の兵隊も…いろんなことを教えてくれた…先輩も…つい目をそらしてしまうような視線に、咲也は逃げることなく向かい合い…そのまま、土下座をした。
プライドが高い咲也が…俺のために、土に頭をつけている…はじめて・・・心のそこから涙が溢れ出してきたのを今でも…鮮明に覚えている。
そして、みんなも笑顔で
『おかえり』
と言ってくれた。
逃げ出した俺を…迎え入れてくれた。
あれから、何年だ?
少なくとも…親父が直接、俺に電話をしてきたことは…あれからはじめてだった。
だから、今さら…
「・・・今からでも…なれるのか?」
俺のなりたかった、俺に?
「・・・できるのか?」
自分に問いかけた。
俺は…弱虫だったから。
親父が怖くて…そして何よりも戦うことがイヤで逃げ出した。
本当は、銃を扱う手なんかより…ピアノが弾ける手が欲しかった。
ピアノが弾けるそんな手は…みんながくれた。
好きなだけ弾いていいと…言われた。
はじめて…褒めてくれた。
大好きだ。
人のために…泣ける。
そんな涼風のことが…たまらなく…好きだ。
「せいえい?」
「七海、精鋭ってのはそれだけ頑張ってそれを極めましたって証だ。だから…信也は、涼風の楽器舞台の精鋭だ。」
「せいえいってすごいんだ!かっこいー!!ななも、信也兄さんみたいになりたい!」
精鋭部隊。
咲也は俺を…『楽器の精鋭』と言ってくれた。
七海は、キラキラした目でカッコイイ!!と繰り返した…。
ーおまえは、人を傷つけることにかけて、精鋭だな。ー
俺のことを…褒めてくれたのは…涼風のみんなだけだった。
そんな、俺が…本当の英雄になれる最後のチャンスかもしれない。
ー胸を張って…精鋭部隊と名乗れる…それも、人を助けてだ。そして…何よりも、恩返しができるかもしれない…。ー
先ほど取り出した携帯を持つ手が、意思に関係なく震えていた。
あと一つ…ボタンが押せない。
「待って、待ってよ!お兄ちゃん!」
考えたまま止まっていた俺に子どもが、走りよってきて思いっきりぶつかった。軽い子どもは…反動でくるんと地面に。
認識が遅れたために、支えるのが間に合わず…そのまま、女の子が勢いあまって予想通りに…尻餅をついていた。
「ぅ…痛ぃ…痛い。」
呟いたあとに…顔をあげた。
視線が交錯した。
仏頂面の俺を見て、怯えたような顔をした。
「・・・大丈夫か?」
俺は、できる限りの笑顔で…そっと手をさしのべた。躊躇いながら、手をつかんだ少女は人懐こい仕草でにっこりと、笑った。
「ありがとう、お兄ちゃん!あとあと、ごめんなさい!」
「なな…!」
頭を何回もふりながら、指先だけを…緊張したように握り返す…。
その仕草が、大切にしてきた妹の笑顔と重なった。
初めて、手を差し出したとき…あいつもこんな顔をしたな。
少女はなにかを呼びかけて…そのまま、止まった俺を不思議そうに見ていた。
「おーぃ、なずなー!」
「あ!お兄ちゃん!!」
ぱぁっと、なずなと呼ばれた少女は向日葵のように…笑った。
遠くにいる兄と思われる少年の呼ぶ声。
『ごめんなさい』
と固まったままの俺に…もう一度、頭を下げて走り去っていった。
「…あの子たちも…救えるか?」
救えるか?ではない。
「…救う。」
最後のボタンを、力強く押した。
プルルルル…プルルルル…
無機質な…音が流れる。
一つ聞く毎に…俺は、感情を捨てていく…。
後悔はしない。
二度と…戻ってこれなくなったとしても…俺の手で…救える確率が増えるのなら…どこまででも、行ってみせる。
『結局…俺は守るために…切り捨てた』
逃げれば…また…いつか必ず、後悔をする。
プルルルル…
何個捨てた?
少なくとも…迷うことはない…。
さぁ…最後に…残した気持ちも捨てよう…。
「覚悟を決めたのか?」
「あ…」
コール音が途絶えた。
俺は、間抜けな声を出していた。
「決めてないなら、切る。」
「待て…いや、俺も連れていってください。」
親父と息子。
上司と部下。
ただの…捨て駒かもしれない。
親父にとっての俺は…なんなんだろうか?
いつか…聞いてみたいと思った。
「…今回は、前のようにはならないぞ。」
「わかっています。俺は…俺の意思で、選んだ。もう…なにも知らない…ガキじゃない。」
フッ…親父が笑った。
そして…久しぶりに…嬉しそうに、言葉を紡いで電話は切られた。
「そこで待ってろ!…か。」
俺は、決して明るくはないであろう未来を…反映したかのような空を見つめながら…親父が来るのを待った。
ー1つだけ、捨てられなかった思いだけは…連れていくことにしよう。
俺がいた…証しに。
『涼風を愛している』
この気持ちを…。
きっと、これがあればまた頑張れるはずだから。ー
