時の早さに…ため息をつきたくなる。終わらないと思うような一年が…確かにまわっていたことを実感させられるイベントが彼らを待っている。

「…今年のバレンタインはどうしますか?」

この時期の女の子の悩みのほとんどをしめるんじゃないだろうか?可愛らしいハートのポップなどが街を飾る。
それを眺めるのはすごく楽しい。…そう。
『眺めるのは』
涼風女子のため息で、部屋が文字通り重くなる。

「亜水弥さんとしては、メイド服で配るのも飽きてきたな~。」

「…インパクト不足です。」

従来のメイド服。
それぞれにあわせて色を変えたメイド服。
チャイナっぽくしてみたメイド服。
耳つきメイド服。

「…よくもこんなにメイド服のバリエーションを集めたもんだよ。」

ちなみに、服を準備しているのは往人さん。白衣の男が暇さえあればパソコンで一心不乱に大量にメイド服を見ているのも、今に始まった訳じゃないが…めちゃくちゃ怪しい。

「う~ん…服もですが、肝心のチョコも忘れないでください~!」

お料理係り七海ちゃん。
お菓子の本を見ながら、簡単に美味しく、それなりのコストで!と悩むのも大変な作業なのです。

「俺はななたんが食べたいかなぁ~。」

「うにゃー!」

知らぬ間に、バックをとられ耳元でいきなり非日常な甘いフレーズ?をささやかれたためにイスごと倒れそうになったのを元凶の咲也君が抱き止めてセーフしたのでした。

「どこからわいた!?」
「いやだわ…早く…すりつぶさないと。」
「…ひ…一人いたら三人くらいいるのかな?かな?さんちゃんかな?かな?」
「俺はゴキブリか!?」


ちなみに最近、涼風女子では輪◯ピングドラムがブームだったりします。
他の女性陣からの言われようはだいぶヒドイのでした。支えられた体勢のまま…七海ちゃんの顔色だけが、確かに悪くなっていったのです。


「…に、兄さん…バレンタインは乙女の行事ですから…男子禁制で…」

いつになく歯切れが悪い七海ちゃんの言葉。
確かに、部屋のドアにはわざわざ大きく
『男子(特に咲也)立ち入り禁止』
とはってあったのですが、禁止と言われたら、張り切るのが咲也君でもあるわけで…あと女の子の集まりに参加したい下心。

「いや、七海。時代は逆チョコだろ?国際的にも男だしさ。」

彼の意図に気がついた他の女性陣も、目に見えない緊張と言う糸でがんじがらめになっていました。

「こ…国際的にやらかす気ですか!!…じゃなくて…に、兄さんには、なながチョコをあげるの!!」

「ん?それなりに国際的にやってんじゃね?ありがとな、勿論それとは別だし…はじめからななにも特製であげるつもりだぜ?」

「ぐっ…」

頑張れ!!
無言で見つめる視線には…『なんとしても食い止めて!!』
のメッセージ。

「うぅ…兄さんは台所に立たなくていいように…ななは頑張ってきたんです」

「ありがとな…でも兄ちゃんもななにお返ししたいんだ。」

くっ…良い男のふりをして…否、確かに良いことを言ってるのに、そこにこめられたニュアンスの差が激しすぎる。

「うっ…うぅ…うわーん…兄さん所帯染みちゃ…やだー!」

「泣くなよ?というか今時男も家事するだろ?」

最終手段としてリアルに泣いている七海ちゃん。彼女の頭の中では命の危機を告げる警報が…激しく鳴り続けているのでした。

「咲也、ななの気持ち、くんだげなよ?」

妹が隠すことなく泣き始めたのにやめる気配すらない咲也君。どうしようもなくなった七海ちゃんに助け船を出すために亜水弥さんが、言葉を濁します。

「そ、そうだよ、だよ!そんなギャップ見たら…きゅんきゅんで…お兄ちゃんとられちゃうの怖いんだよね、ね?」

「…それは…本当に大事な人の前だけですべきです。」

いつものように、笑顔の藍音さんといつになく優しい渚さん。
なんだか、居心地が悪いのか咲也君もぽりぽりと頭をかいています。

「なんか…調子狂うな。」
「狂ってください。」
「狂え。」
「狂ってほしいんだよ、だよ。」
「…狂って…」

…狙ったかのように重なってしまった四人の声が気まずく響くのです。
沈黙が重い。

「なあ…俺の料理、そんなにまずいか?」

…さすがに『うん!』とは言えない。
さらに、チョコを使っているはずなのに毒物やらなにやらと間違われて事件にすらなりかねる物体であるなんて…さすがに…言えないんだよ!!

「…食べてくれる…な?」「えっ?」

ガシッと、腕を捕まれた七海ちゃん。体は逃げ出したいのに…瞳を暗くし…頭を下げた咲也君から金縛りにあったように離れられなくなりました。

「七海は…食べてくれるよな?」

いつもの兄さんじゃない…そんな上目使いに迂闊にもドキドキしてしまった。
そう、いつになく、弱々しく見える兄の姿に…思わず固まり…そしてハッとして周りを見回したときには…すべてが、遅かったと認識したのでした。

もう選択肢はなく…力なく、笑うしかなかったのです。

「…私で…いいんですか?」
「…むしろ、七海が食べてくれたらそれでいい。」

涙混じりの咲也君の意外と壊れやすい笑顔。

「なら…喜んでいただきますね。」

無言で抱き締めてきた兄を見ていれば、先の犠牲もしかたなく思えてしまうミラクルパワー。

彼の気持ちと彼からチョコを渡される可能性のある人達の健康…その二つを守るには、それしかなかったんだなと思うしかなく…いつの間にか部屋からいなくなった三人にだけはちょっぴり感謝してほしいと心から思ってしまうのでした。

ーーー
「に、逃げちゃったけど…なな大丈夫かな?でも迂闊に…咲也のチョコバラマイタラ…テロだし。」
「ブラッディだよ…地味にテロだよ、だよ…あれはジャイ◯ンレベルじゃないかな、かな…でも七海ちゃんなら…きっとうまくやれるはずだよ、だよ」
「…保健所とか…新聞の一面はやはり避けたいですし…。」

「尊い犠牲ってわけだね。」

三人は互いの目を見て、頷きます。

「生き残りたい!」
「生存戦略!」
「私たちのために、命を投げ出してくれたんだね、だね!!」

…やっぱり、『かなり』感謝してほしい。と思ってしまうことを許してほしいのでした。