前回は、ハーバード白熱教室講義録上を読んで、原発についてを考えてみましたが・・・今回は『下巻』も手に入りましたので、それからまた『哲学的に』原発について考えてみようかと思います。
~ハーバード白熱教室講義録+講義録下~
説明はしなくても、きっともう有名なので、みなさん知ってるとは思うのですが、これはマイケル・サンデルというハーバード大学教授で『政治哲学』を専門に教えている方の講義録です。ちなみに東大でも特別講義をされました。
まずはカントの主張が気になりました。
『嘘をついてはいけない』しかし『嘘も方便』という例外があること。
本文から直接引用させていただきますと
『誤解を招くような真実は、嘘や偽りとは違い、義務に対してある種の敬意を払っている』
本では元アメリカ大統領の言葉の使い方をのせていました。政治家さんたちの言葉の中には、非常に巧妙に『言い逃れ』をしている。それは『嘘』ではない、そして『言い逃れをすることにキチンとした動機』がある。
私は正しく、このケースが今ではないかと感じました。
『無駄な混乱を避けるために、データがそろうまでは発表できなかった。』
って所でしょうか?
一見すると『正義』。
しかし、いろんなことが見えてくるとなにかがおかしい。
『嘘』はついていないんですよね。ただ、『真実』は巧妙に言い逃されているように感じました。
私たちは、今自分達がどんな事態にいるのかがわからないままに巧妙に語られる情報を・・・いかに使っていくかです。
確かに、自宅にかくまった友人を犯人が追っていたら『どこにいるかは、知らない』
と言いたくなります。
そして、確かにその犯人と話している間は、友人がどこにいるかはわからないんですからね。
そして『無知のベール』にて、私たちは誰がどんな人なのかについては、わからないです。
正義や知識、富が、どんな風に分配されるかはわかりません。たまたま、私たちが今回は『災害』を分配されてしまった。
お金をいただいて、原発をおいていた。しかし、私たち住民のほとんどは理解していません。
そして発電された電気は、また知らない場所で分配されていた。それがなかったら日本は、こんなに発展できなかった。ただ代償が大きすぎました。私たちはこれから何十年も、原発のことをひきずらなくてはなりません。だからこそ、いくらお金をあげただろ?と言われても、納得なんてできないと私は感じました。
そして、コミュニティ。
日本は、意外に県民性がみられる国だと私は感じています。昔ながらの小さなコミュニティもありますしね。
そのコミュニティへの『忠誠心』こそが、また難しいですね。愛国心と正義では・・・どちらが勝つべきなんでしょうか?
本当の正義はなんでしょう?
たまたま、その時代、そのコミュニティでの『正義』が他国の『犠牲』のもとにできているとも考えられます。
今は私は地元である福島県を助けたくて、こうして記事を書いてはいますが・・・どこかでは、正義とは思われていないこともあると思います。
ですが、私は福島県というコミュニティから、他のコミュニティへと・・・伝えたいのです。
『原発で起こってしまったことが、大変なことであるのは確かですが、たくさんの人たちが頑張って、頑張っているこの地域を守りたい。そして、この経験は今すぐにはできなくともしっかりと、すべてを隠さずに次の世代へとうけついでほしい。』
最後に、東大での講義を通してオバマ大統領が原爆を落としたことを謝罪すべきかどうかについて。
私は原爆は『あの時代のアメリカ』の正義だったのだと思います。歴史で学んだだけの知識ですが、もちろん日本もたくさんの『日本の正義』ことをしました。
二回目の原爆は実験だったなど、様々なことは言われていますが・・・今、こうして手を取り合えるようになったのですから、『謝罪』ではなく『現実として語り継ぐ』ことが必要だと思います。
そして今、私たちは『謝罪』ではなく『正確な情報』を求めているのです。
もう『巧妙な情報』ではなく、頑張ってくださっている人たちを応援しているのですから、精一杯の『正義』が届くことを・・・願っています。
戦っている方々が、どうか少しでもゆっくりとそしてしっかりとした食事ができますように。
なんとかして・・・できるかぎり福島県を守りたいです。
~ハーバード白熱教室講義録+講義録下~
説明はしなくても、きっともう有名なので、みなさん知ってるとは思うのですが、これはマイケル・サンデルというハーバード大学教授で『政治哲学』を専門に教えている方の講義録です。ちなみに東大でも特別講義をされました。
まずはカントの主張が気になりました。
『嘘をついてはいけない』しかし『嘘も方便』という例外があること。
本文から直接引用させていただきますと
『誤解を招くような真実は、嘘や偽りとは違い、義務に対してある種の敬意を払っている』
本では元アメリカ大統領の言葉の使い方をのせていました。政治家さんたちの言葉の中には、非常に巧妙に『言い逃れ』をしている。それは『嘘』ではない、そして『言い逃れをすることにキチンとした動機』がある。
私は正しく、このケースが今ではないかと感じました。
『無駄な混乱を避けるために、データがそろうまでは発表できなかった。』
って所でしょうか?
一見すると『正義』。
しかし、いろんなことが見えてくるとなにかがおかしい。
『嘘』はついていないんですよね。ただ、『真実』は巧妙に言い逃されているように感じました。
私たちは、今自分達がどんな事態にいるのかがわからないままに巧妙に語られる情報を・・・いかに使っていくかです。
確かに、自宅にかくまった友人を犯人が追っていたら『どこにいるかは、知らない』
と言いたくなります。
そして、確かにその犯人と話している間は、友人がどこにいるかはわからないんですからね。
そして『無知のベール』にて、私たちは誰がどんな人なのかについては、わからないです。
正義や知識、富が、どんな風に分配されるかはわかりません。たまたま、私たちが今回は『災害』を分配されてしまった。
お金をいただいて、原発をおいていた。しかし、私たち住民のほとんどは理解していません。
そして発電された電気は、また知らない場所で分配されていた。それがなかったら日本は、こんなに発展できなかった。ただ代償が大きすぎました。私たちはこれから何十年も、原発のことをひきずらなくてはなりません。だからこそ、いくらお金をあげただろ?と言われても、納得なんてできないと私は感じました。
そして、コミュニティ。
日本は、意外に県民性がみられる国だと私は感じています。昔ながらの小さなコミュニティもありますしね。
そのコミュニティへの『忠誠心』こそが、また難しいですね。愛国心と正義では・・・どちらが勝つべきなんでしょうか?
本当の正義はなんでしょう?
たまたま、その時代、そのコミュニティでの『正義』が他国の『犠牲』のもとにできているとも考えられます。
今は私は地元である福島県を助けたくて、こうして記事を書いてはいますが・・・どこかでは、正義とは思われていないこともあると思います。
ですが、私は福島県というコミュニティから、他のコミュニティへと・・・伝えたいのです。
『原発で起こってしまったことが、大変なことであるのは確かですが、たくさんの人たちが頑張って、頑張っているこの地域を守りたい。そして、この経験は今すぐにはできなくともしっかりと、すべてを隠さずに次の世代へとうけついでほしい。』
最後に、東大での講義を通してオバマ大統領が原爆を落としたことを謝罪すべきかどうかについて。
私は原爆は『あの時代のアメリカ』の正義だったのだと思います。歴史で学んだだけの知識ですが、もちろん日本もたくさんの『日本の正義』ことをしました。
二回目の原爆は実験だったなど、様々なことは言われていますが・・・今、こうして手を取り合えるようになったのですから、『謝罪』ではなく『現実として語り継ぐ』ことが必要だと思います。
そして今、私たちは『謝罪』ではなく『正確な情報』を求めているのです。
もう『巧妙な情報』ではなく、頑張ってくださっている人たちを応援しているのですから、精一杯の『正義』が届くことを・・・願っています。
戦っている方々が、どうか少しでもゆっくりとそしてしっかりとした食事ができますように。
なんとかして・・・できるかぎり福島県を守りたいです。
