「寒いなぁ…。」

帰ってきているわけはないのになんとなく、来てしまった。
咲也兄さんのアパート。もちろんドアが開く訳なんてなくて合い鍵を取り出して部屋に入る。
初めて鍵をもらったときはすごく嬉しかった…。珍しく照れたように、ぶっきらぼうに鍵をさしだしてきた兄さんが可愛いとさえ思った。

「あ…そっか…。」

部屋の中には、ダンボールが置いてあった。春から兄さんは東京の大学院へと入学する。できる限り通うとはいっていたが何かあった時のためにあちらにアパートを借りるつもりらしい。

「…寂しくなる…よね。」

別に離れたくないのならついて行けばいい。…全てを捨てて。実際に兄さんはそれを望んでくれた。もしかしたら、私から離れたら、私を忘れてしまうかもしれない。
拒否したのは自分だ。
ふとダンボールの一つに目を向けると、ボタンの付いていない学ランが置いてあった。

「わっ!懐かしい…まだあったんだこれ。」

それは咲也君の中学時代の制服で、再会したときに着ていた物だった。もうずいぶんと前のことだった。なんとなく、こういうものは捨ててしまうイメージがあったから、びっくりした。

「あはは…ボタン、全部もってかれたんだっけ。」

咲也兄さんは絶対に女の子のお願いを断らない。だから、みんなから人気がある。それでちょっとむくれた時に、第二ボタンを手渡された。必死に守りきったらしい。

「ん?なんだろ?」

ポケットに何か堅いものが入っていた。手を入れてみると、生徒手帳がでてきた。何気なく、めくってみる。
すると意外にも生徒手帳は文字で埋まっていて中には早退届けがはさまっていた。
その日の日付には…

ー保健室は一階!ー
ただそれだけが書かれていた。





「少し熱があるみたいね?おうちに連絡するから、寝ててね。」

保健室での先生の言葉が蘇ってきた。あれは確か…兄さんと再会してすぐのことだった。

私は保健室の常連だった。とにかくすぐに熱がでた。そして…誰も迎えになんてきてくれないことも分かってた。
今日だってきっとそうだ…私なんて…いらない子…邪魔なだけ。
保健室の布団を頭までかぶって、私はため息をついた。

ー七海は具合悪いのを利用して、愛情を確かめてるだけ…。試し行動なんだよ!ー

誰かに言われた。
あたりかもしれない。
私はいつも、誰かを試していた。

「…で…どこに?」

「おちつい…まだ…。」

いつの間にか寝てしまっていたらしい。途切れ途切れに男の人と保健の先生の声がした。
誰だろう?ぼーっとしているとカーテンがあいて先生が入ってきた。

「あら、目が覚めた?ねぇ…七海ちゃん、あなたお兄さんなんていたかしら?」

意味が分からなかった。
「えっ…?」

戸惑う私に先生は顔をしかめた。そして誰かを手招きした。

「実はね…」

後ろにいたのは…見覚えのある優しい笑顔。

「咲也…さん!」

どうしてここに?
なんで、なんで、あなたがいるの?
まだ私は兄さんに警戒心を持っていた。

「あの…本当にお兄さんなんですか?」

先生はいぶかしんでいた。私の反応もおかしかった。
言っちゃ悪いが私と兄さんは正反対だ。
大人っぽくて、背が高くていつも冷静な人。
子どもっぽくて、背も小さくて、かわいげのない私。
まったく似ていない。
私は答えに困っていた。
「…確かに血のつながりはありません。でもこいつは俺の大切な…大切な家族なんです。」

真摯な瞳。
…信じてなかった。どうせそう言って、私をだます気なんだ。
先生は悩んだ結果、私の担任を呼ぶと部屋話出て行った。

「…どうして、こんなとこにいるんですか?」

兄さんは隣の県の中学校に通っていた。確かに電車で一時間もあればつくけど…。

「だって七海、具合悪いんだろ?」

嘘じゃないけど…心が痛かった。
初めて誰かが迎えにきてくれた。この人は…信用していいのかな?

「具合悪いときは、不安になっちゃうだろ?でも大丈夫…これからは俺がいるから、全部聞くから…話してくれ、な?」

びっくりした、ちょっと呆れた、でもなにより嬉しかった。
私はうなずいた。



「…で、七海この人は?」

戻ってきた先生に私はほほえんで見せた。

「この人は私の…兄さんです!」

あの瞬間の兄さんの嬉しそうな顔が忘れられなかった。私もきっと笑っていた。
私は、もうすぐ思い出となるであろうこの部屋でしばらく記憶をたどることにした。