自覚 | Natural-Feeling

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たぶん、なが~いなが~い記事になると思います。

前にもちょろっと書いたかな?ブログは私の記憶をとどめておくところ。リアルの日記にすれば~とも思うけれど、もし私の思っていることに世の中の一人でも何か思うことがあって発言をいただけるならありがたいかなと思って書いている場所。

「あれ、いつごろだったっけなぁ~」と記憶をたどるのに、すごく役立つので書いてます。


ので、今日のは

またまたここのところ感じていることではっきりした部分があるので書き留めます。


先週、ピーの病院に行くために一人で久しぶりの車の運転をしました。

久しぶりだしピーも乗せているし、普段の運転より緊張するはずなのですが、いや、意識的な緊張するはずなのですが。

昔毎日通った懐かしい高速道路を走って、自然と体を動かすことができたんです。運転しながらストレッチ・・・、かなり危険ですが高速道路だから信号もない、歩行者も自転車で走る人もいない。多少蛇行運転にはなるけど。ハンドルに添えてる手から肩から力みが抜けていく感覚があったんです。


それと、昨日。

今までマグカップでコーヒーを飲むにも、ご飯を食べるのに箸を持つ時もお茶碗を持つ時も力みが入って首と肩をすくめないと動けなかったんだけど、昨日の夜、フっと力みが抜けた自覚がありました。

首と肩に力が入っているという感覚は、脇をギュッとしめていたみたいでした。

自分で自覚していなかったことなので、今までわからずに「なんでだろう?なんでだろう?」になっていたみたい。


呼吸できないほど体が硬くなくことは最近はほとんどなくなってきたけれど、やっぱり呼吸がしにくい、息が吸いずらいというのは毎日で、空気を吸うために力む・・・何もしていないときには呼吸のことばかりに意識が集中して、ますます呼吸がしにくくなる悪循環に陥るので回避するために何かすることをみつけているような日々でした。


呼吸ができないという症状が出たのは去年2011年の6月です。でもそれよりもっと前から背中が張って家事をするのがつらかったのです。

それを口にすると「運動不足」と指摘されるので口にも出さず、嫌いなゴルフも頑張っていました。

あまりにもしんどいと整体でほぐしてもらったりもしていました。

でも、もっと前。そう、結婚して一年目2009年5月に四十肩になった時、私、病院の先生に「お腹に力が入らなくなってるんですよね」と言ったのを覚えています。整形外科のリハビリの待ち時間で、いつもお腹に力が入らなくて背中に緊張を覚えながらも肩で体を引っ張り上げて座っていた自分をはっきりと覚えています。

その時は「私、腹筋が弱いからこんなことになるのかな?」と思っていました。リハビリの先生は「肩が痛いのをかばっているから仕方がないよね、徐々にお腹に力をいれられるよう体を作っていくしかないね」と話してくれたのですが。

翌年の2月に四十肩のリハビリを一応終了して、3月にはゴルフを再開しています。そう、四十肩は医者もびっくりするくらい痛みのとれるのも何カ月もかかり肩のリハビリもいつまでも戻らなくて「???」だったのですが、「運動不足」という目でいつも見られていたので、右肩が動かないのにゴルフを再開したんでしたっけ。


肩がおかしくなって四十肩と診断される前、体がおかしいことには気が付いていて、というか今考えれば体が硬くなって縮んでいくような自覚があったので、バレエ教室に行き始めたんでしたっけ。

そこで、ストレッチの時間に先生に指摘されたこと「ストレッチの時には体の力を抜くのよ」と。これもなんだか妙に心に響いて今でもはっきり覚えているんです。自分では昔と同じようにストレッチしているつもりなのに体に力が入っていると・・・。ん?私?力抜いてますけど?何か?って思っていたんですよね。それと骨盤が異常に前に傾いていると先生に言われて。その時は「前のバレエの先生には放置されていたけど、今度の先生はちゃんと見てくれてる~♪」なんて喜んでいたのでした。


でも、これ、ちょっと違っていたみたいです。

昨日、フッと首と肩の力が抜けた時、お腹にグッと力がはいる感覚があって「あっ!これだ」と気が付いた。今まで緊張して胸から上に異常な緊張があったことがお腹に力が入らない原因だったんだと。たぶん、これが正解、当たりだと。骨盤が倒れちゃってたのは、お腹に力が入らないから倒れちゃってたんだと。


そのバレエの先生には「どうしたの?この背中。えっ?なんでだろう?」って両耳の後ろに手を当てて頭を上にちょんと持ち上げてもらったら、背中がフッと真っ直ぐになったんですよね~。

おとといだったかな?あまりに胸が苦しいんで「そうだシャワーでも浴びよう」と思い立ち、裸で鏡を見たら襟足の下から背骨が弓なりに凹んでたのを発見・・・。あっ、呼吸が苦しくなってる時ってこうなってるんだぁ~。って、今になって気が付くみたいなぁ~。それで、「あっ、あの時バレエの先生が、『どうしたの?この背中?』って言ったのはこれだったんだ」と。


だから・・・、四十肩になったのは緊張から肩が動けなくなっていたせいで・・・なんですよね。

四十肩の原因はいまだにはっきりと解明させていないそうだけど、酸欠が原因ではないかという説もあると、整形外科の先生に教えてもらいましたから。


四十肩のリハビリの途中から左の肩も動きがおかしくなり「なんでだろう?」とちょっと口走ったら「ゲームばかりしているから」と旦那に怒られたっけな~。ゲームばかりって・・・。右手動かないけど掃除洗濯食事の支度買い物・・・すべて手伝ってももらわずにしていましたけど・・・。その間に一日おきに整形外科にリハビリに行って。早く楽になりたい、それ一心だったなぁ~。ピクっとも体を動かすと、脳天まで痛みが走るような感じだったので、本当に毎日がつらくて、ドラクエのレベル上げだけが唯一の楽しみだったっけなぁ。


ゴルフを再開した後は、左のひじがゴルフ肘。痛みどめの薬を飲み、針治療しながらもゴルフ、ゴルフ、ゴルフ。

そのゴルフ肘も、フライパンも持てないちょっと重いお皿も持てない雑巾もまともに絞れない、なんてことになりました。その途中、娘とディズニー・シーに遊びに行ったとき、不思議と肘が楽になって「やっぱり気が楽だと肘も楽みたい」と自分の言った言葉を、これまた鮮明に記憶に残ってるんだ私。

ゴルフ肘は確かにゴルフ肘なんだろうけどさ。肩が自由に動かないからゴルフしている時に無理な力が肘にかかってたってことじゃん。


結婚して一年もたたないうちから、体が緊張してしまった。

ん~、結婚したばかりってどんなカップルも多少の緊張はあるんだろうな~。


結婚した翌月に私の初めての中学の同窓会の連絡が来た時に、旦那といざこざになったんだ。その時に「行ってくるね」と言った私に「『行ってもいい?』と俺にうかがいを立てるのが筋だろう」と言われたんだよね。その時には「あ~、そういうものか」と思ってそれ以来何をするにも「~していいですか?」と必ず許可をもらってからの生活が始まった。

今思えば許可をもらうのも変だよね?「○○するね」に対して困ることがあるなら困るといってくれればいいことで、おうかがいを立てるのはおかしくない?

今になってよくよく考えれば、そのときすでに私は操作されていたということだ。必ず許可をもらわないと行動してはいけないということにしておけば、私は自分の意志で動くことは制限される。


もうこのあたりからすでに体の緊張は始まっていて、自分をなくていたように思う。どんどんと自分をなくし体が縮こまっているような感じがすると思っていたのは気のせいではなくて、実際に縮こまっていたんだな・・・。それからは、旦那の批判に対して、そう思われないように意識して自分を変える努力をしていたっけ。

でも、ピーが旦那になつかなくて呼吸がもうどうにもならなくなった頃は、旦那が帰ってくると騒ぎ出す、すると旦那が怒りだす。午後になると旦那が帰ってきてピーが声を出したらどうしよう?と。今日はどんな策で乗り切ろうかと、考えていたっけな~。



だからといって旦那が悪いとか私に至らなかったところがあったとか、今はそんな風に考えてはいない。旦那は私には合わなかった人と思っています。これは、娘が言ったこと。

「お母さんには、あの人は合わないんだよ」「思い出さないほうがいい」

そう、これは正解だね。


ただし、こういう体のままではいられないので、ここ半年ずっと今までの経過をたどっていて、なるべくしてなった体だとわかったから。なので、目指すところの美しい晩年を過ごすために治さなきゃ♪

私の体は無意識なところで緊張したまま3年もたってしまった。緊張して歪んでしまった。この緊張が取れないと歪みも戻らない。どんなに整体にいってほぐして整えてもらっても、緊張がある限り歪みは歪んだままだ。歪みは元々の緊張しているところとは別な場所も緊張させ・・・と悪いスパイラルに陥るから。

ここで一人暮らしを始めるまで右の肩は左の肩まで触れなかったのが触れるようになり今はちゃんと左の肩に右手を乗せられるようになった。でも、背骨とアバラが曲がっているからだ・・・右の腕を上げると肩甲骨とアバラがこすれあって「ゴキゴキ」と音を立てる。首を動かせば首の骨が「グギグギ」と音を出す。

音が出ても動きが出てきたのは、動けるようになったおかげ。

この生活になる前は動かすことができなかったんだから。


緊張していることが自覚できるようになったこと、これはすごい進歩。


私には親しくなってはいけない人種がいるということ。

旦那の前の奥さんから旦那に贈り物が届いた時に「まっ、こういうこともあるってことさ」と旦那は言ったけど、それは違う。「気を悪くさせてごめん」が私的には本当だと思う。「まっ、こういうこともあるさ」は、私が自分の気持ちをなだめるために思うこと。

そのあたりの気持ちの通わせ方が一致しない人とは私は親しくなってはいけないということだ。


今、こうして一人暮らしをしているのも

私は母親とイマイチ合わない。

母はもう老いている。だから、どんなに気が合わないといっても自分の正直な感情を出してしまうのをセーブするし、どうにもならなきゃ感情を表に出してしまう。そしてそのあと必ず自分を責めてしまう。

だから、老いた両親と生活しながらお互いにいい関係でいるのがベストだと思いながらも距離を置いた。

なのに。

母から電話が来ると、いい感情は湧かずに最初の頃はパニックになっていた。やっと穏やかに電話を切れるようになったのは、ここ半月くらいだ。それだけ私の精神も余裕が出てきたということだ。


先に書いたように「旦那が悪いとか私が悪いとか」は思わない。

「悪い」と決めてしまうと、自分が悪いときにも人を悪いと責めた時と同じように自分も責めてしまうから。悪いのではなく合わない。

自分に悪いことがあった時に反省をしても責めることはなくなるだろう。

人にはいろんなタイプがあって、親子でも同じじゃないから。

それは私と母の関係、私と娘の関係も、同じように考えられるんだと。

娘は彼氏と暮らすようになって、自分を持てるようになり安堵させてくれるようになって助かった。

母はいまだに私に干渉することだけが親としての役割と思っているようで、私が反発すれば自分の鬱オーラをかもしだす。そこが私には合わないんだ。

私が退院するする際に父の車で迎えに来ると言ってくれたけど、一端私は断った。父の仕事の関係もあるから。だけど、父は退院の日が決まったら仕事を休むと勤務先に話してくれてあるというので「それじゃ、お願い」と言ったけれど、退院の日が決まって母に連絡すると「おまえ、来なくていいって言ったから行かないわよ、タクシーで帰ってくる方が楽でしょ、うちの車は軽で小さいからタクシーなら荷物積めるからいいでしょ」だった。退院してから実家に行くと父が「なんだおまえ、退院するときに来なくていいって言ったんだ?」って聞かれたので「だって、一旦断ったけどお願いしたら、退院の日が決まったときにやっぱり来てくれないっていうから、それでいいにしたよ」と。そんな感じでいつも母とはこんな具合だ。私とは合わない。


こうして離婚したことも、自分を知るため。

一人でいることも、これからの人生の準備のため。

ピーが今いることは、神様がくれた一人生活の彩。

筋腫が大きくなって手術になったのも、休養。

6月から仕事に復帰と思っていたのに、まだ決まらないことは、もう少し時間が必要って意味?

一人生活が始まってすぐに仕事が決まったのは、あの時仕事もしなければ、落ちていくだけだったってこと。


そんな風に、すべてのことが肯定的に思えるのは人生ではじめてです。

歳のせいかなぁ~。

もうちょいで50だもん。

それとも、無理して肯定したいのかなぁ~。


あいかわらず、母から「あんた仕事しなくて食べていけるの?」と電話が来ます。

んじゃ、食べていけないのならどうにかしてくれんの?何かいい策でも持ってんの?と言いたくなります。心配してくれてんのはわかるけどね。口だけの心配なら余計なお世話。

どうにも食べていけなくなったら今は生活保護があんでしょ・・・。両親とも食べるに精一杯。娘も無職となれば、仕事ができなきゃ、生活保護でしょ。

でもね、どうにも仕事がなけりゃ近場のお店の売り子でもスーパーのレジでするさっ!ただし50チョイ前のおばさんを雇ってくれるかは確認してないけどね。ちらっとパートの募集をみたら40までって・・・。ふ~ん・・・と現実をリサーチはしてるよぉ。

ただし、あきらめてはいない。たぶん、このまま年単位で月日が流れていっても、人生はあきらめない。


雨風しのいでぶっ倒れない程度に食べる。それでも自分なりの楽しむ時間は作れるもの。生きていくとはそういうこと。

と、私は思う。