2月14日(木)、バレンタインデー。

だが、おっさんには関係ないので演奏会に出掛ける。

 

今話題のテオドール・クルレンツィスとムジカエテルナの大阪公演。

イブラギモヴァ&ティベルギアンのブラームス・ヴァイオリンソナタ全曲演奏会(いずみホール)と日時が重複しており、何とも残念。お願いだからうまく調整してよ。

 

午後7時開演@フェスティバルホール

 

▶ プログラム

① チャイコフスキー : ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 *

② チャイコフスキー : 交響曲第6番 ロ短調 「悲愴」

 

ヴァイオリン : パトリツィア・コパチンスカヤ *

管弦楽 : ムジカエテルナ

指揮 : テオドール・クルレンツィス(芸術監督)

 

 

「別格。」

クラシック・コンサートのチラシとは思えないデザイン。招聘会社の力の入れようが分かる一枚。

前後半でコンチェルトとシンフォニーが1曲ずつ。オール・チャイコフスキー・プログラム。

 

オーケストラはヴァイオリン両翼配置。

前半は14-12-10-10-6の変則的な14型。

コンチェルトは椅子に座って、シンフォニーはチェロを除いて立奏。

 

緊張感みなぎるスリリングなヴァイオリン協奏曲。聴き慣れた曲が新鮮に聞こえる。

あえて美しく弾かないコパチンスカヤ。演奏中は裸足。

「キッキッ」や「キュイーン」など、ヴァイオリンのイメージとかけ離れた鋭角的な音を、剛毅果断に鳴らす。

フレーズはスパッと歯切れがよく、弓先を使った速いパッセージは精度が高い。

すぐに修正してはいたが、第1楽章出だしの音程が定まらないところは惜しかった。

さらに第2楽章の冒頭では、木管の導入部で「ガタン」と顎当てか何かを床に落としたのだろうか。ヴァイオリン独奏には間に合い、事なきを得る。

その第2楽章は歌謡的な流麗さの対極を行く、極めて繊細な弱音で囁く、呟くといったsotto voceな独奏ヴァイオリン。ここも特徴的だった。

第3楽章序奏のコパチンさんは、オーケストラと駆け引きするようにゆっくりとタメて弾く姿がまるで闘牛士。いざ決闘とばかりに第1主題を軽やかに奏で始める。

最初に「あえて美しく弾かない」と書いたのは、この楽章の終盤、第2主題でコパチンさんのヴァイオリンがとても美しかったから。

最後はオーケストラとの丁々発止の掛け合いで、清々しいフィナーレを迎える。

 

冒頭のムジカエテルナの合奏は、これほど愉悦を感じる出だしは聴いたことがないほどで、ふわりと軽快。第1主題を強奏する展開部の始まりは力強くて輝かしい。思わず涙が出そうになるほど。

単に独奏ヴァイオリンの伴奏ではなく、自分たちも音楽を愉しもうとする姿勢がこのような生気に満ちた響きを生み出すのだろう。弦は奏者によってヴィブラートをかけたり、かけなかったりとまちまち。

第2楽章と第3楽章第2主題では、木管が緩やかなテンポでしっとりと歌う。抑揚を付け表情豊か。独奏ヴァイオリンの弱奏により、クラリネットからフルートへの受け渡しなど、その音色が引き立っていた。第2楽章は、第1楽章の名残りと第3楽章の予兆を感じさせる律動的なフレージングに特徴があった。

両者とも自由闊達に演奏している(ように聞こえる)のだけれど、しっかりと調和しているところが面白い。

 

「コンテンポラリー・ミュージックは好きですか」という問いかけから始まったアンコール曲の紹介。演奏したのは、藤倉大の「Kusmetche」だった。否定はしないが、よく分からない。

 

 

後半の「悲愴」は、モダンで洗練された響きによる、情熱がほとばしるドラマティック・シンフォニー。

長身で細身(足が細い!)、しなやかさと厳しさを兼ね備えた指揮棒を持たないクルレンツィスの指揮ぶり。第4楽章ですら精力的に動く。

デフォルメされた表現や極端なテンポの揺れもあったが、それ以上に音楽の持っていき方が巧みで、「悲愴」ではその点が際立っていた。

第4楽章で1stヴァイオリンによる主題を消え入りそうな弱奏で弾かせるなど、弱音への強いこだわりも聞かれたが、全体としては強弱の"強"の部分に力点を置いた演奏。

しかし、ただ強奏で騒ぎ立てるのではなく、驚くほどクリアな響きを保ちながら鳴っているところが特筆に値する。

1stヴァイオリンは17名、コントラバスも9名という決して小さくない編成にもかかわらず。

 

ティンパニも第1楽章から、マーラーやショスタコのシンフォニーのクライマックスのように力強く音を轟かせる。

そして管楽器。木管はそれぞれが明瞭な発音により、音が濁ることなく伸び伸びと鳴っていて素晴らしい。第1楽章は厭世的な雰囲気が漂うなかで、ファゴットやクラリネットが起伏に富んだ、ややねっとりとした音を、それとは対照的にフルートは涼やかな音色を奏でる。

金管は「パーン」と前に出る勇壮な面も目立ち、フレーズ自体に鋭さはあるが、トランペットも決して刺々しいことはなく、ホルンは他の楽器と調和して、むしろ円やかに聞こえるくらい。

 

第1楽章は強烈なffで幕を開ける展開部が圧倒的。音も強大でテンポも速く、疾風のような演奏を展開。

室内楽のような親密さで奏でられる第2楽章は、冒頭のチェロの音色を始め、弦の響きが麗しい。ピッツィカートを強調しつつ、5拍子のワルツが軽やかに流れる。

音が波打ちながら次第に勢いを増し、終盤の金管とシンバルで爆発する第3楽章は、きびきびとした行進調。

第4楽章はAdagioとAndanteの中間くらいのテンポで、それほど引き摺りはしないものの、ここに「悲愴」が集約されているかのようなもの悲しさを感じる。終盤の3本のトロンボーンとテューバによる躊躇いがちな四重奏も、そうした雰囲気に拍車をかけていた。

 

この日のフェスティバルホールの聴衆は優秀だった。

第4楽章の最後は音が消えても、クルレンツィスが手を下ろすまでの1分近くの間、水を打ったような静寂が続いた。

その後に飛び交うブラヴォーと盛大な拍手。かつてないほどの盛り上がりだった。

 

終演後は自ら各セクションへと足を運び、奏者たちと肩を組みながら客席にお辞儀をするクルレンツィス。そんな指揮者ににこやかに応じ、拍手を送るオーケストラ。美しい光景だった。

 

愛聴盤のフリッチャイ指揮ベルリン放送交響楽団の演奏とは毛色が異なるが、これもまた素晴らしい「悲愴」。

純粋に音楽に耳を傾けることの悦びを感じさせてくれる、カリスマ性のある指揮者と気鋭のオーケストラ。

まったく稀有な才能だ。