7月16日(日)

前日の京響定期に続いて演奏会に出掛ける。
この日は、レナード・スラットキン率いるデトロイト交響楽団の来日公演。

前半にアメリカものを並べ、メインはチャイコフスキーの4番というプログラム。

午後2時開演@ザ・シンフォニーホール


▶ プログラム

① バースタイン : 「キャンディード」序曲
② C.マクティー : ダブルプレー
③ ガーシュウィン : ラプソディ・イン・ブルー
④ チャイコフスキー : 交響曲第4番 ヘ短調

ピアノ : 小曽根真
管弦楽 : デトロイト交響楽団
指揮 : レナード・スラットキン(音楽監督)




オーケストラは、ヴィオラが舞台の上手前方に並ぶ標準的な配置。
ひな壇は一切使用せず、すべての楽器が同じ高さで演奏する。


① バースタイン : 「キャンディード」序曲

つくづくオーケストラ映えする曲だと思う。

打楽器と金管で颯爽と始まり、木管の軽妙なパッセージを経過。
そして、キャンディードとクネゴンデによる二重唱「Oh, Happy We」の主題では、弦が中心となって豊かなハーモニーを奏でる。
スラットキンは緩急の変化を小さく、悠然と構えた指揮。最後だけ、ややaccelerando気味にして閉じる。
ひな壇なしの効果か、金管がダイレクトに響いてくる感覚はなく、他の楽器と融合して均整のとれた演奏を展開していた。


② C.マクティー : ダブルプレー

作曲者のシンディ・マクティーとレナード・スラットキンは夫婦。
2010年に作曲された演奏時間約17分の本作品は、デトロイト響が委嘱、初演した。

「Unquestioned Answer」と「Tempus Fugit」という2つの楽章で構成されているが、明確な切れ目は存在しない。しかし、ウッドブロックとサスペンデッド・シンバルの音が断片的に聞こえ始めたところが、第2楽章突入の合図。

打楽器が両方の楽章で活躍。
第1楽章ではミステリアス、第2楽章ではリズミックな効果を生み出していた。
編成では、3人の打楽器奏者でおよそ30もの楽器を担当することになっている。

第1楽章は、静かで神秘的な音楽。
この楽章だけ登場するハープ、そしてヴィブラフォン、シェイカー、ウィンドチャイム、サスペンデッド・シンバルが、ヴァイオリンやチェロ、そして木管の合間を縫って、効果音風に鳴る。コンサート・ミストレスのソロも、そのミステリアスな雰囲気に調和していた。
第2楽章は前楽章にも増して、さまざまな打楽器が登場。後方にはどうやらドラム・セットもあったよう。
楽章の大部分を支配するポリリズム的な進行は、春の祭典の「賢者(長老)の行進」を、バスドラムで畳み掛けるあたりは同じく「大地の踊り」を想起させる。

予習のために音源を数回視聴したときは「ふーん」という感じで、特別な印象もなかったが、
いざ実演で聴くと、整然とした中にも迫力があって、予想を超えて面白い作品に感じられた。

作曲者のマクティー本人が来場しており、終演後、夫の呼び掛けに応じ登壇。
ちなみにこの「ダブルプレー」、作曲者自身のサイトからMP3でダウンロードが可能。

Cindy Mctee "Double Play" for Orchestra(2010)


③ ガーシュウィン : ラプソディ・イン・ブルー

ソリストは小曽根真さん。名前は関西方面の公演でもたびたび目にするが、不思議とこれまで縁がなく、演奏を聴くのは今回が初めて。

その小曽根さん、スラットキンと何やら談笑しながら入場。高笑いが彼の登場を待つ静かなホールにこだまする。
YAMAHAのピアノを使用。ソリッドで歯切れのよい演奏スタイルとの相性も良さそうだ。


ジャズピアニスト小曽根真の個性を遺憾なく発揮した、まさに一期一会といった即興性と独創性に溢れる演奏。
演奏時間も正確にはわからないが、おそらく30分くらいだろうか。
長かった。しかし、パフォーマンスから伝わる熱気で、決して冗長と感じることはなかった。
結論から言えば、この演奏が本公演のハイライトだった。

出番はカデンツァ(独奏)部分が7、オーケストラが3くらいの割合で、
主題の旋律にも装飾音を施し、Jazzyに3連符を意識させるなど、カデンツァには聴いたことのないフレーズが顔を出す。
オーケストラが目立つところといえば、冒頭のクラリネットとトランペットのコミカルな音色や、ブルージーな中間部くらいで、残りはすべて、Makoto Ozone Show。

腕をクロスさせ、「ダンダン・・・」と足を踏み鳴らしながら鍵盤を激しく叩いたり、
シンバルの打撃に合わせて肘打ちの真似をしたり、クラシックの奏者にはないような所作も新鮮。すぱっと音を短く切ったあと、しなやかに再開。また大胆なパウゼを入れるなど、緩急を自在に操る。

「この曲は、こんなに自由だったのか」というくらい奔放。
ただ、主題を断片的に挿入するなど、曲想を大きく逸脱することはないので、スリリングではあるが調和が保たれている。
曲題の「ラプソディ」とはこういうことかと、目から鱗が落ちる思い。

ソリスト・アンコールでは、自作の「HOME」という曲を演奏。
本編の熱狂を鎮めるような、ノスタルジックな調べが心に沁みる。

前日のズーカーマンに続いて、記憶に残る素晴らしい演奏だった。

終演後の充実感に満ちた笑顔も印象的。
しかし、訳もなく聴衆に手を振りすぎ(笑)。この後、握手会でも始めそうな勢いだった。



④ チャイコフスキー : 交響曲第4番 ヘ短調

本来ならメインディッシュであるはずの演奏が、今回の演奏会では最も感銘が薄い結果となった。

スラットキンは流れを重視した指揮。フレーズに含みを持たすこともなく、次々に楽句を継いでいく。「運命」のファンファーレも、影を落とすようなニュアンスを感じさせず、ただただ輝かしく鳴り渡る。

作曲者自身が、フォン・メック夫人に宛てた手紙(プログラムノートに記された大意)による「祭りの賑わいの中で楽しむ人々の姿を見よ。運命に襲われることがあっても、人生はきっと生きるに価するものであるはずだ。」という第4楽章の解説も、この日の演奏からは底抜けに明るい祭りの雰囲気しか伝わって来ず、陰翳に乏しい。

第1楽章第1主題における弦の各声部の見事な均衡からも、デトロイト響が機能的なオーケストラであることは分かる。それに加えて響きも明快なため、ロシアのオーケストラのような豪壮な響き、そして叙情性というような、俗に言う”スラブ臭”をまったく感じさせない演奏だった。
もちろん、アメリカのオーケストラにそれを求めるのは御門違いだが、朗々と鳴る一方、無臭すぎてどこか面白味に欠けるきらいがあったようにも思う。


アンコールでは、スラットキンがエンターテイナーぶりを発揮。
1曲目の父フェリックス・スラットキン「悪魔の夢」では、聴衆の手拍子をコントール。まるで「ラデツキー行進曲」のようだった。
続く2曲目の関西人の必修曲「六甲おろし」では、阪神タイガースの帽子を被り指揮台に上る。
イントロが鳴った瞬間に会場がどっと沸いた。
デトロイトにもタイガースという球団が存在するし、もしかしたらそういう繋がりで選曲したのかも知れない。
すべてはエンターテインメントの精神に根差していたのだと、
どこか腑に落ちなかったチャイコフスキーの4番についても、独り合点した次第。