6月2日(木)

梅雨入りが間近に迫る平日の夜。外の空気は少し肌寒い。

そんな中、ヤニック・ネゼ=セガン指揮フィラデルフィア管弦楽団の来日公演を聴く。
第54回大阪国際フェスティバルの6公演のうちの1つ。

会場はフェスティバルホール。午後7時開演。




▶ プログラム

① 武満徹 : ノスタルジア‐アンドレイ・タルコフスキーの追憶に‐(1987)
② プロコフィエフ : ヴァイオリン協奏曲第1番 ニ長調

③ ブラームス : 交響曲第2番 ニ長調

ヴァイオリン : 五嶋龍(①,②)
管弦楽 : フィラデルフィア管弦楽団
指揮 : ヤニック・ネゼ=セガン(音楽監督)




ネゼ=セガンの指揮は、2013年のロッテルダム・フィルの来日公演で聴いて以来、今回が2度目。
1900年に創設されたフィラデルフィア管弦楽団は、2012年秋に第8代の音楽監督としてネゼ=セガンを迎える。(C.デュトワは首席指揮者兼芸術顧問)
100年以上の歴史を誇るオーケストラの音楽監督が8人だけというのも驚きで、それにはL.ストコフスキー(24年)とE.オーマンディ(44年)の2人が計68年にわたり、このポストを守ってきたことが大きく寄与している。

オーケストラは、チェロを舞台上手前方に配した標準的な配置。
1st、2ndのヴァイオリンが下手側に並ぶ配置は、このオーケストラの音楽監督だったストコフスキーが考案したと言われている。(ストコフスキー・シフトと呼ばれる。)
ヴィオラやコントラバスの中に黒人の奏者がいるのを見ると、米国のオーケストラらしさを感じてしまう。


① 武満徹 : ノスタルジア‐アンドレイ・タルコフスキーの追憶に‐(1987)

ソリストは五嶋龍。昨年11月のhr交響楽団の来日公演以来。
この夜は、次曲のプロコフィエフを含んだ2曲でソリストを務めるという珍しいケース。

オーケストラの響きの中から、独奏ヴァイオリンが浮き上がるように登場する冒頭。
1stヴァイオリンが4プルトという小編成で、弦楽器のみによる演奏だが、フィラデルフィア管は豊麗な音色を奏でている。トレモロからクレッシェンドして広がる音は、繭のように独奏ヴァイオリンを優しく包みこむ。
その中で、五嶋龍の中低音を豊かに響かせたヴァイオリンが、オーケストラとの調和を保つ。
不意のハーモニクスで音を軋ませ、繊細な高音が静寂に吸い込まれていく。
急逝した映画監督タルコフスキーの追憶として書かれた作品だが、両者の濃密な響きはそうした哀歌的な気分にはさせない。


② プロコフィエフ : ヴァイオリン協奏曲第1番 ニ長調

1stヴァイオリンが7プルトと編成を拡大する。
全体的にやや遅めのテンポ設定。
前曲とは異なり、独奏ヴァイオリンが主役、オーケストラはサポート役という風に棲み分けがはっきりしている。
冒頭、ヴィオラのトレモロに続いてあらわれる独奏ヴァイオリンは、しっとりとした美音。跳躍するフレーズにおいても、ポルタメントで音を滑らかに響かせる。
それが一転、ピッツィカートを境にして、弓元を使った強く荒々しい音が主体となる中間部。
短いカデンツァ風のフレーズでは音の重なりが美しい。
楽章終盤、独奏ヴァイオリンのオブリガードを伴った、木管(特にフルート)の奥まった響きが印象的。

第2楽章のスケルツォの技巧は見事な安定感。左手はピッツィカートを交えながら素早く動き回る。中間部ではオーケストラが「ダン・ドン」とリズムを際立たせる。それはまるで熊が巨体を揺らしながら接近してくるようで、主部のスピード感と鮮明なコントラストを成す。
威嚇的に鳴るホルン。この日初めてこの楽器の音がはっきりと聞こえた気がする。

最終楽章はファゴットによる明確な主題の提示ではじまる。
冒頭付近と再現部における木管とハープとの協演が素晴らしく、独奏ヴァイオリンはレガートでオーケストラと共鳴し、ロマンティックに音楽を奏でる。

プログラムの言葉を借用すれば、「鋭角的なモダニズムやグロテスクな面」よりも「豊かな詩情と瞑想的な空気感」の印象が強く、五嶋龍も前回のやりたい放題のチャイコンとは随分と異なり、オーケストラとの調和に配慮した演奏だった。



③ ブラームス : 交響曲第2番 ニ長調

チェロの素朴な中低音にホルンと木管が絡むという、如何にも長閑な音色の組み合わせで交響曲の幕が開ける。
第2主題前半も、チェロとヴィオラによって序奏の雰囲気を保ちながら展開するが、金管の咆哮で後半に突入すると、たちまち活気を帯びる。
ヴァイオリンは前半を軽く弾むように、後半は深く弓を入れ濃厚に奏でる。提示部はきっちり反復。
ティンパニは飛び出る感じで、展開部後半のロールを雷鳴のように響かせる。そのあとの穏やかな音楽は、嵐の前ならぬ嵐の後の静けさ。
第2主題の再現では、明らかに速度を落とした弦の掛け合いにより、一瞬拍節感が希薄になるところが面白い。
フレーズの出だしを柔らかく奏させることで、全体がナチュラルに流れる。
第1楽章は喜びに溢れ、田園風景の移り変わりが目に浮かぶ。

第2,3楽章もチェロを中心とした中低音から穏やかにはじまる点は、この交響曲の性格を決定づけているように思える。
第2楽章冒頭のチェロの合奏はしみじみとした情感を呼び起こし、ホルン・ソロは開放的に響く。ヴァイオリンはそれを受け継ぎ、第1主題を切なく歌い上げる。
第2主題を奏でる木管のアンサンブルは、フランスのオーケストラに近い、軽くて淡い音色。
この辺りで、まろやかな弦、豪放な金管・ティンパニと、それぞれの響きの特性もはっきりしてくる。

第3楽章が終わるとそのまま腕を下ろすことなく、アタッカで最終楽章に突入する。
”爆発”のあとは予想どおり快速調の展開。しかし、ただ速いだけでなくバイタリティに富み、推進力もある。
ネゼ=セガンは、オーケストラをとても開放的に鳴らす。
指揮棒がクランクとなり、オーケストラという動輪に力を与えている。と蒸気機関車で例えてみる。
金管とティンパニは豪放に響き、弦は正確なアンサンブルよりも、喜びという感情の発露を優先させたエモーショナルな合奏を展開する。
そんな全力でエネルギーを放出しながら突き進む演奏に、最後はちょっと感動を覚えた。




アンコールは意外にもJ.S.バッハ(ストコフスキー編)。

フィラデルフィア管弦楽団との契約も2025シーズンまで延長、ニューヨークのメトロポリタンオペラの音楽監督にも指名され、これから一層活躍の場を広げることとなるであろう、ヤニック・ネゼ=セガン。
今回のブラームスの2番ではその真価を発揮し、生気に富み聴く者を魅了する音楽を構築していた。
フィラデルフィア管弦楽団は、殊に弦楽器の濃厚で豊かな響きが素晴らしかった。