5月31日(火)

慌ただしい月末の夜に、しっとりとショパンでも如何。
そんな訳で、2015年ショパン国際ピアノコンクール第2位受賞のカナダ人ピアニスト、シャルル・リシャール=アムランのリサイタルを聴く。

午後7時開演。会場は、ザ・シンフォニーホール。


▶ プログラム

オール・ショパン・プログラム

① ノクターン第17番 変ロ長調 op.62-1
② バラード第3番 変イ長調 op.47
③ 幻想ポロネーズ 変イ長調 op.61
④ 序奏とロンド 変ホ長調 op.16

⑤ 4つのマズルカ op.33
⑥ ピアノ・ソナタ第3番 ロ短調 op.58

ピアノ : シャルル・リシャール=アムラン(Charles Richard-Hamelin)



コンクールで、ソナタは第3番、協奏曲はヘ短調を選んでいたことから、入賞者の中で唯一注目していたピアニスト。

平日夜の公演にしては観客の入りもよく、2階席はもちろん3階席にも人の姿が見える。
この日のピアノはコンクールで使用したヤマハCFXではなく、スタインウェイ。
ずんぐりとした体型の、見た感じ温厚そうな青年が登場する。

演目はすべてコンクールで演奏された作品。
現在も、YouTubeでコンクール当時の演奏を視聴することができる。
この夜の演奏は、そのときとほぼ変わりはない。

ノクターン第17番から”序奏とロンド”までが前半。


① ノクターン第17番 変ロ長調 op.62-1

序奏は、夜空に光る流星痕のように、十分な余韻を残す。
続く dolce e legatoからは、緩やかなテンポで夢想的な調べ。
途中、舟歌風の心地よい揺らぎも聞こえてくる。
再現部のトリルなど、総じてノクターンに相応しい、きらびやかさを抑えた音色。
中間部手前で素早く上昇下降するフレーズが、唯一フォルテでドラマティックに奏でられ、そのシリアスな表情は、深沈とした演奏の中で違いを生みだしていた。


② バラード第3番 変イ長調 op.47

前曲の静けさから趣きを変え、情熱的でダイナミックな演奏を展開する。
前半部では、鍵盤を撫でるようにして奏でる弱音が優美に響く。
中盤から後半にかけては、弱拍にアクセントの付いた牧歌的な主題が印象的。それが短調に転じるあたりから徐々にテンポを速め、演奏も熱を帯びる。
最後は鮮烈に堂々と閉じられる。


③ 幻想ポロネーズ 変イ長調 op.61

緩やかに開始する序奏部は、ソフトな打鍵で紡ぎだす繊細な音が浮遊感を生みだす。
しかし夢見心地の世界は、この冒頭と序奏の再現箇所だけで、他はわりと芯のしっかりした音でたゆたう。その再現箇所では、バスが鐘の音のように荘厳に打ち鳴らされる。
第1主題では、「タン・タタ・タ・タ・タ」のポロネーズリズムとバスの上昇音型が交錯し、律動的に盛り上がる。まるでおもちゃの行進がはじまったみたい。
序奏が再現する前の第5主題における、リリカルな演奏が取り分け美しい。
maestosoとLentoがはっきりとした形で描き分けられていた。


④ 序奏とロンド 変ホ長調 op.16

悲哀を感じさせる序奏部の演奏は、何処となくシューマンの作品を連想させる。
そこを経過すると、軽やかで硬質な高音が輝きを放ち、今度は何処となく夢想的な雰囲気へと誘う。
目まぐるしく変化する曲想に合わせ、音色とテンポを微妙に変える。メリハリのきいた小気味の好い音楽が展開する。
ロンド主題の演奏などは愉悦に満ちていて、聴いていて小躍りしたくなるほど。
表現と音色のバリエーションを遺憾なく発揮。アムランの特性が引き立つ作品に感じられた。


後半は、”4つのマズルカ”からスタート。

⑤ 4つのマズルカ op.33

第1番は、冒頭と最後の12小節がポエティックに奏でられる。中間部は多少陽気。スキップしては止めるような不規則性のなかで、一瞬の高まりを見せる。
第2番は一転して快活な演奏。
軽快なトリルと緩急で抑揚をつけた舞曲調のフレーズと、頑ななまでに反復する中間部のリズムが好対照を成す。舞曲調のフレーズは強弱が明快。

第3番は、第2番と同じ傾向の演奏。繊細なタッチで奏でられる最高音の弱音が際立ち、末尾に清澄な余韻を残す。
もっとも規模の大きい第4番がもっとも情熱的。打鍵にも力が込められる。
冒頭からの旋律はロ短調という調性に相応しく、仄暗さのなかで哀しく歌われる。それまでにはない劇的な要素を含む。
交響曲のように4楽章形式で考えると、両端楽章(1番、4番)と中間楽章(2番、3番)とで、響きと表現に差異を感じた。


⑥ ピアノ・ソナタ第3番 ロ短調 op.58

やや速めのテンポできりりと引き締まった印象の冒頭。
ソナタということもあってか、それまでとは一線を画し、劇的な表現を排除した演奏。
第2主題も美しいが、耽美的ではない。
第2楽章の無窮動なスケルツォにおける強弱は、グラデーションのように変化する。

味わい深い第3楽章。微かにテンポをずらしつつ、主題を叙情的に奏でる。
波紋が広がるようすを静かに見届けたあとで、再び水面に新たな波紋を作る。演奏に耳を傾けているとそんな動作を思い浮かべる。
中間部の連綿と続く6連符も主題同様、流麗ではないがしっとりと響かせる。
最後は主題が一層深みのある音で再現されたのち、静かに閉じられる。

最終楽章、序奏はフォルテで堂々と始まるのではなく、徐々に勢いを増しフォルテで終わる。そんな軽いはじまりに肩透かしを食う。
冒頭を経過すると、Agitatoの指示どおり、バスを利かせた激情的な演奏へと一変する。
再現部では、主題が今度は重心低く、ゆっくりと立ちあがる。

所どころ意表を突く表現が聴かれたが、
慎ましく叙情性を示しつつ、総じて包容力のある堅実な演奏で素晴らしかった。




アンコール2曲目のエネスコの作品については、「ショパンの作品ではありませんが…」と前置きして自ら曲紹介。
その演奏を聴いて、スクリャービンやドビュッシーあたりを聴いてみたくなった。

アムランの演奏は、飾り気はないが詩情豊かで、響きは柔らかく多彩。
その多彩な音色によってさまざまな表情、表現を聴かせてくれる、芸術家肌のピアニストという印象を受けた。