『諸君、笑うのはよしたまえ。
君たちは今後この人物が創り出す素晴らしい音楽を聴くことになるのだから。』
(アントン・ブルックナー)


『彼が20歳の時に書いたこの最初の交響曲でも、その天才ぶりはすでにこんなにも高く羽ばたいている。
僕が見ることろ、この作品は彼を新しい交響曲の確立者にするほどのものだ。』
(グスタフ・マーラー)



ふたりの偉大な作曲家から、このように称賛されている人物の名は、、ハンス・ロット(Hans Rott,1858-1884)
26歳という若さで夭逝した作曲家。
マーラーの親しい友人であり、ブルックナーからその才能を高く評価されていた人物。


ハンス・ロットの肖像(1883年撮影)
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ハンス・ロット(Hans Rott,1858-1884)の生涯

1858年8月1日、ウィーンの地で生を享ける。
1874年、16歳の時にウィーン楽友協会音楽院(現:ウィーン国立音楽大学)に入学。
ここでオルガンをブルックナーに学ぶ。さらに1年後、この音楽院に入学してきた2歳年下のマーラーと知り合う。
1876年、18歳の時に父親が死去。(母親は、ロットが14歳の時にすでにこの世を去っている。)
ヨーゼフシュタット教会音楽協会のオルガニストとして生計を立てる。


そして1878年、20歳の時にウィーン音楽院の作曲コンクールに出品するため、交響曲第1番の作曲に着手。
第1楽章を提出するも、残念ながら(ロットの作品だけが)受賞を逃した。
(冒頭のブルックナーの言葉は、
このコンクールで演奏された交響曲第1番第1楽章を聴いた審査員の嘲笑に対して発せられた。)
失意の中、それでもロットは残りの楽章の作曲を続け、交響曲第1番ホ長調は1880年7月に完成。
続いて、交響曲第2番のスケッチも開始する。


しかし、その2ヶ月後の1880年9月。彼に不幸が訪れる。
オーストリアの国家奨学金受給の口添えを得るために、あろうことかブラームスに完成したばかりの交響曲第1番の演奏を聴かせてしまう。
そして、『この作品には美しい部分が数多くあるが、それと同じくらいナンセンスな部分も含まれている。
だから、美しい部分は君自身が作曲したのではないのだろう。』と否定され、口添えを断られる。

時期を同じくして、
当時、ウィーン・フィルの指揮者であったハンス・リヒターに、交響曲の演奏を持ちかけるも色よい返事を得られず。
(ロットの生前、交響曲第1番が出版、演奏されることはなかった。)


その2つの出来事は、ロットに大きな落胆と精神的打撃を与え、
それが引き金となって、ミュールーズへ向かう列車の乗車中に発狂。
(ブラームスが列車にダイナマイトを仕掛けたという妄想を抱いていた。)
ウィーン総合病院の精神科に入院、翌年オーストリアの精神病院に移送される。
1884年6月25日。結核により、ハンス・ロットは26歳という短い生涯をこの病院で終えることとなった。
(冒頭のマーラーの言葉は、その悲報に接し語られたものの一節。)


交響曲第1番ホ長調(1.Symphonie E-dur)

マーラーの交響曲第1番が完成する10年近くも前に、ロットの交響曲第1番は完成していた。
(この事実は特筆すべきものと思われる。)

しかし、イギリスの音楽学者、ポール・バンクスによりロットの交響曲第1番が発見された後、
初演されたのは作品完成後から100年以上が経過した1989年。
3月4日、シンシナティにて。
ゲルハルト・ザムエル指揮シンシナティ・フィルハーモニア管弦楽団により、その音が初めて聴衆の耳に届けられた。

同指揮者と同オケの演奏よる、この作品の初録音が下記。

ハンス・ロット/交響曲第1番ホ長調
ゲルハルト・ザムエル指揮シンシナティ・フィルハーモニア管弦楽団




第1楽章 00:00~(alla Breve, 2/2拍子)

希望に満ちあふれた若者が踏み出す、輝かしい未来へのファーストステップのような第1主題で幕を開ける。
冒頭からオルガンの師であるブルックナーの影響が見られ、
楽想が変わるときに全休止を挟む「ブルックナー休止」の手法も採用している。
第2主題は対照的に穏やかだが、重層的で奥行きも感じさせる。
ティンパニのロールが効果的に挿入され、盛り上がりを演出。
最後は第1主題が回帰し、冒頭と同様に輝かしく閉じられる。
完結性を有するのは、この楽章が音楽院のコンクールに提出する目的で作曲されたことも影響しているのかも知れない。


第2楽章 10:00~(sehr Langsam, 非常に遅く)

緩徐楽章。
冒頭の和音は、ワーグナーの「ローエングリン」第1幕への前奏曲の始まりを思わせる。
第1楽章の高揚を落ち着かせるような旋律美を携え、対位的に曲が進行する。
次第に深刻さを増してゆく曲調には、次楽章以降でもあらわれる厭世感が漂う。
楽章終盤で展開されるコラール風の旋律が美しい。


第3楽章 21:22~(scherzo:Frisch Und Lebhaft, スケルツォ:生き生きと、活気に満ちて)

ホルンにより華々しく鳴らされるファンファーレが印象的な第3楽章。
この楽章だけ、マーラーが作曲したかと錯覚するほど類似点が随所に見られる。
(マーラーがロットの手法を真似た、もしくは採り入れたというのが正しい表現だが)
第1楽章第1主題の挿入で作品に統一感を持たせつつも、
様々な楽想が入り乱れ、精神分裂気味に展開されるあたりは、まさにマーラーの交響曲。
(中間部の不安定なレントラーや鳥の鳴き声を模したような木管楽器は、顕著)


第4楽章 34:02~(sehr Langsam,Belebt, 非常に遅く、快活に)

重々しく、そして不気味に曲が開始される。
続くオーボエとクラリネットをはじめとした木管楽器による物悲しい旋律は、諦観にも似た心境を呼び起こす。
その旋律が変奏され、次第に大きさを増してゆく。
次にあらわれる「元気に、快活に」と指定された主題は、ブラームスの交響曲第1番第4楽章との類似性が指摘されている。
主要主題に基づくフーガを挟みながら徐々に勢いを増す。
そして第1楽章第1主題が再現され、輝かしく壮大なフィナーレを迎える。


第1楽章の屈託のない輝きを考えると、「苦悩から歓喜」という交響曲の一種の「型」からは逸脱しているが、
構成がしっかりしていて、楽章間のバランスも取れている。
偉大な先輩作曲家たちから受けた多大なる影響を、
第2、第3楽章で聴かれるアイデンティティーと溶けあわせ、見事な作品に仕上げている。



ディスク紹介

$おもひでぺたぺた♪
セバスティアン・ヴァイグレ指揮ミュンヘン放送管弦楽団(2004)

国内盤に付属している詳細な解説書は一見の価値あり。
ロットの生涯、年表、作品群、演奏記録を網羅しており、作曲家を知る上での貴重な文献。
(今回の「ハンス・ロットの生涯」の項を書くにあたり、参照させていただきました。)


$おもひでぺたぺた♪
パーヴォ・ヤルヴィ指揮フランクフルト放送交響楽団(2010)

ヤルヴィらしい端正なフォルムとシャープな切れ味によってもたらされる、爽快で感動的な演奏。


最近の演奏会では、今年の5月17日(金)。
寺岡清高指揮大阪交響楽団が、第176回定期演奏会の演目として、この作品を採りあげています。
交響曲だけでなく、管弦楽曲、室内楽曲、合唱曲、歌曲、ピアノ曲etc.
ロットは、他にも多くの作品を残しており、それらの演奏機会が増えることを願っています。