決勝戦と延長戦。 | サヨナラノサキ

サヨナラノサキ

2014年4月1日エイプリルフール仏滅に乳がん手術をしました。抗がん剤治療を経てホルモン治療中の2018年3月、乳房再建のためのエキスパンダー挿入、同年11月インプラントに入れ替え。乳がんのことや愛猫、日常のアレコレをブログに綴りたいと思います。

皆さん、こんばんは〜パー


皆さんはバレンタインデーにチョコをあげてない人から、

ホワイトデーにお返しをもらったらどうですか?


……ビミョーな空気流れる一分間凝視


「私、差し上げてないですよ」

一応申し訳ないのではっきり言ったら、

「いーんです、いーんです」

何故か恐縮するおじさん職員、


何が、どう、いいのだか?

チョコを宙に浮かせておく訳にもゆかず、

受け取りましたが?


ほんと、日本のバレンタイン義理チョコおよび義理お返し制度絶滅して欲しい。


タコタコタコタコタコタコタコ


先週、先々週と続いた乳がん術後10年検査、

本日、私は無事に転移の所見なく、

大学病院卒業と相成りましたクラッカー


検査はもう何度もしてるし、

ずっと病院に通って治療してるし、

今日もいつもの通院だし、


いつもと同じで動揺も過信もないつもりだったけど、

サラリとお礼を言って立ち去るつもりではいたけど、

「大丈夫でしたよ。10年、ホントに頑張りましたね。辛い時を乗り越えて来ましたね」

と、のび太先生に言われて、


不覚にも涙、出てしまう…


「えへへ」泣き笑いのこばにゃん。


そうなんだよ、

10年なんだ。


ずっとずっとこの日を待って、

この日が来るの夢見て、

それで私は頑張って来たんだ。


きっとこの日はやって来る。

いや、もしかしたら途中でまた絶望する。


ふたつの思いを行ったり来たりして、

そうやって乳がんと過ごしてきた10年でした。


色んなことがあって、

いつもと同じ日常を過ごして、

乳がんの私は10年必死に生きてきました。


10年前、

「死ぬのは"今"じゃない!」

そう思って辛い治療に耐えました。


10年頑張って、

もうできることはやったと

そんな心境です。


10年の間、

大切な友達を何人も同じ病気で失くした。

父も旅立っていった。


皆んな、大切な人やかわいがっていたペットやたくさんのやりたい事をこの世界に置いて。


生きていてごめんなさい。


生かせてくれてありがとう。


私は、

「乳がんの人」から、

「乳がんだった人」

にひとまずなりました。




良かったにゃ。


「ありがとうございました」


お礼を言って診察室を出ようと思ったが、


「今日、いつもの薬どうする?検査クリアしたけどダメ押しであと3ヶ月飲もうか」


……えっ?


えええ?


今日で大学病院も薬も終わりの決勝戦と思っていたが、

まさかまさかのアロマターゼ3ヶ月延長戦


ポーンポーンポーンポーン


お断りする理由もない。


「次からはこばにゃんさん家近くのあの病院で、

とってもいい病院で検査もフォローもしてくれるからね。ボクは月に2回行くので漢方とか眠剤とか出せるので、

紹介状書いといたから、待ってるからね〜」


明るく手を振るのび太先生バイバイバイバイバイバイ


「先生、ま、またね。これからもよろしくお願いします」


「はーい、おつかれさま〜」


まあ、何かあればいつでも相談できるし安心だ。


この病院にはもう来ることはないけど。


相変わらずエコバッグぱんぱんに薬を詰めて、

バス停で夫にLINEする。

「お昼ご飯、何か買ってく?」

するとすぐ返事が来た。

「検査の結果、どうだった?」


心配してたんだ。意外。

いつも何にも言わないくせに。


心配してたんだね。心配かけたね。

ずっと助けてくれてありがとう。

10年も、ごめんね。


私の10年は、私だけの10年じゃない。

私の、家族の、友達の10年だ。


いつもブログを読んでくださる皆んなの10年だ。


いつもホントにありがとうございます。

一緒に歩いて来てくれてありがとう。



改めて、これからも乳がんだったこばにゃんをよろしくお願いします。