今はの際。 | サヨナラノサキ

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2014年4月1日エイプリルフール仏滅に乳がん手術をしました。抗がん剤治療を経てホルモン治療中の2018年3月、乳房再建のためのエキスパンダー挿入、同年11月インプラントに入れ替え。乳がんのことや愛猫、日常のアレコレをブログに綴りたいと思います。

皆さんこんばんは〜パー

本日はグズグズしたお天気、
暑いような、寒いような…

もはや、分からんっ!

湿気だけはスゴイです。

とりあえず休みなんで色々しました。

うさぎクッキーうさぎクッキーうさぎクッキーうさぎクッキーうさぎクッキーうさぎクッキーうさぎクッキー

皆さんは、「今はの際」に誰に会いたいですか?
誰に、傍に居て欲しいのでしょうか…


私の夫の母、姑がまだ生きていた時…

すでに舅は亡くなり、
高齢の姑は老人ホームへ入っていました。

姑には、たったひとり、妹がいました。

他の兄弟は亡くなっており、残っていたのは仲の良い、生涯独身を貫いた妹だけでした。

妹、つまり叔母もまた、県内の別の老人ホームで生活をしていました。

その老人ホームはいわゆる分譲型の超高級老人ホームで、
食事はアクセサリーをじゃらじゃら付けて、グランドピアノの生演奏を聴きながらのカフェテリア型式、
フロントにはコンシェルジュがおり、大浴場、銀行もあった。
もちろんクリニックも併設されてました。

独身を貫いた叔母は夢の老後を送っていた訳です。
後見人は近くに住む従姉妹夫婦、
自由で気ままな毎日だったと思います。

その、叔母が体調を崩した。

叔母の容態は見る見る悪くなっていき、
併設されたクリニックでいよいよ看取りが近くなりました。

長く続く危篤状態に、
夫の兄も、夫も、
まだ生きているうちに、仲の良かったたった一人の妹に会いに行っては?
と姑を説得しましたが、
姑は頑として会いに行こうとしませんでした。

理由は、
「歌子(叔母)が具合悪いところを見たくない」

と、いうものでした。
死にそうな妹を見たら悲しくなっちゃうから、と言うのです。
同じ理由で、長年連れ添った自分の夫、舅の臨終にも立ち会いませんでした。

私は、何故か、どうしてだか釈然としなく、
夫を伴い姑の老人ホームへ行って、
「お義母さん、歌子叔母さん待ってるよ。たった一人の姉だもの。来てくれるまで頑張ってるよ。会いたいに決まってる。自分のためじゃなく、叔母さんのために顔見せてあげて。それがお義母さんのつとめだよ」
半ば強引に車に乗せて、叔母のクリニックへ行きました。
その頃、もう叔母はいつ息を引き取ってもおかしくない状態でした。
むしろ、よく持っているとお医者様も驚いていました。

高級老人ホームへ着いて、広い敷地内を車椅子に姑を乗せ、片隅のクリニックの個室へ入ると、
叔母は意識はなかったが、まだ生きていました。
行きたくないと散々私達を困らせていた姑ですが、
叔母の姿を見ると、
「歌子ちゃん」
その身体をさすり、手を握り、
愛しそうに呼びかけました。

ホッとしました。

会えて良かった。
連れて来て良かった。

私達がクリニックを後に、帰ろうと駐車場へ向かっていたら、

従姉妹から夫の携帯に電話があり、
すぐに戻るようにと言われました。

急いで戻ったその時、

私達の目の前で、

叔母は息を引き取りました。

叔母は、
ずっとずっと会いたかった、
たった一人の姉を待っていた。

意識はないと言われたが、
会いたかった人の声を聞き、
そのぬくもりに触れて、

やっと旅立つことが出来た。

他の人が何遍お見舞いに行って声をかけて励ましても、
叔母が待っていたのは姑だけ。
最後に、もう一度会いたかったのです。

姑は目の前で叔母を亡くし、随分と泣き悲しみましたが、
私はかわいそうなことをしてしまったと思う一方で、やはり連れて行って良かったんだと思いました。

叔母が亡くなったのも6月、
今日のように鉛色の空でした。


悲しくても、辛くても、
旅立ってゆく人を送るのは、
生きている者の大事な務めであると思います。


今はの際…

私は誰に会いたいのでしょうか。

私に会いたい人はいるのでしょうか。

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とりあえず、大ちゃんは見送らなきゃと思っています。

出来れば夫も。
兄夫婦も。

私は悲しくても、辛くても、
皆んなを見送り、最後に逝きたい。

それが、私の願いです。