本日はグズグズしたお天気、
暑いような、寒いような…
もはや、分からんっ!
湿気だけはスゴイです。
とりあえず休みなんで色々しました。
皆さんは、「今はの際」に誰に会いたいですか?
誰に、傍に居て欲しいのでしょうか…
私の夫の母、姑がまだ生きていた時…
すでに舅は亡くなり、
高齢の姑は老人ホームへ入っていました。
姑には、たったひとり、妹がいました。
他の兄弟は亡くなっており、残っていたのは仲の良い、生涯独身を貫いた妹だけでした。
妹、つまり叔母もまた、県内の別の老人ホームで生活をしていました。
その老人ホームはいわゆる分譲型の超高級老人ホームで、
食事はアクセサリーをじゃらじゃら付けて、グランドピアノの生演奏を聴きながらのカフェテリア型式、
フロントにはコンシェルジュがおり、大浴場、銀行もあった。
もちろんクリニックも併設されてました。
独身を貫いた叔母は夢の老後を送っていた訳です。
後見人は近くに住む従姉妹夫婦、
自由で気ままな毎日だったと思います。
その、叔母が体調を崩した。
叔母の容態は見る見る悪くなっていき、
併設されたクリニックでいよいよ看取りが近くなりました。
長く続く危篤状態に、
夫の兄も、夫も、
まだ生きているうちに、仲の良かったたった一人の妹に会いに行っては?
と姑を説得しましたが、
姑は頑として会いに行こうとしませんでした。
理由は、
「歌子(叔母)が具合悪いところを見たくない」
と、いうものでした。
死にそうな妹を見たら悲しくなっちゃうから、と言うのです。
同じ理由で、長年連れ添った自分の夫、舅の臨終にも立ち会いませんでした。
私は、何故か、どうしてだか釈然としなく、
夫を伴い姑の老人ホームへ行って、
「お義母さん、歌子叔母さん待ってるよ。たった一人の姉だもの。来てくれるまで頑張ってるよ。会いたいに決まってる。自分のためじゃなく、叔母さんのために顔見せてあげて。それがお義母さんのつとめだよ」
半ば強引に車に乗せて、叔母のクリニックへ行きました。
その頃、もう叔母はいつ息を引き取ってもおかしくない状態でした。
むしろ、よく持っているとお医者様も驚いていました。
高級老人ホームへ着いて、広い敷地内を車椅子に姑を乗せ、片隅のクリニックの個室へ入ると、
叔母は意識はなかったが、まだ生きていました。
行きたくないと散々私達を困らせていた姑ですが、
叔母の姿を見ると、
「歌子ちゃん」
その身体をさすり、手を握り、
愛しそうに呼びかけました。
ホッとしました。
会えて良かった。
連れて来て良かった。
私達がクリニックを後に、帰ろうと駐車場へ向かっていたら、
従姉妹から夫の携帯に電話があり、
すぐに戻るようにと言われました。
急いで戻ったその時、
私達の目の前で、
叔母は息を引き取りました。
叔母は、
ずっとずっと会いたかった、
たった一人の姉を待っていた。
意識はないと言われたが、
会いたかった人の声を聞き、
そのぬくもりに触れて、
やっと旅立つことが出来た。
他の人が何遍お見舞いに行って声をかけて励ましても、
叔母が待っていたのは姑だけ。
最後に、もう一度会いたかったのです。
姑は目の前で叔母を亡くし、随分と泣き悲しみましたが、
私はかわいそうなことをしてしまったと思う一方で、やはり連れて行って良かったんだと思いました。
叔母が亡くなったのも6月、
今日のように鉛色の空でした。
悲しくても、辛くても、
旅立ってゆく人を送るのは、
生きている者の大事な務めであると思います。
今はの際…
私は誰に会いたいのでしょうか。
私に会いたい人はいるのでしょうか。
出来れば夫も。
兄夫婦も。
私は悲しくても、辛くても、
皆んなを見送り、最後に逝きたい。
それが、私の願いです。