遺伝なの? | サヨナラノサキ

サヨナラノサキ

2014年4月1日エイプリルフール仏滅に乳がん手術をしました。抗がん剤治療を経てホルモン治療中の2018年3月、乳房再建のためのエキスパンダー挿入、同年11月インプラントに入れ替え。乳がんのことや愛猫、日常のアレコレをブログに綴りたいと思います。

「乳癌を強く疑います」
そうお母さん先生から告げられて、
とうとうこの日が来たか…と私は思いました。
34年間いつか来るだろうとずっと覚悟はしていました。
こばにゃんは祖母も母も乳がんで亡くしています。
私自身も周囲の人もきっと遺伝するだろうことは分かってました。

母は49才の若さで他界しました。34年前のことです。
当時は乳がんの手術といえば大きく胸をえぐるように摘出し抗がん剤の副作用も凄まじいものでした。
それでも母は耐えに耐え、治ると信じて懸命に癌と戦いました。
私や兄を悲しませたくなかったからです。
実は当時のこと、あまり詳細に覚えてないんです。
こばにゃんがぼんやりでアタマが悪いから、だけじゃないですよ。
あまりに辛い母との別れに記憶が曖昧なのです。
私は今でも毎年満開の桜を見ると、胸がぎゅうっとなります。
34年前母の消えそうな命にどうしていいのか分からず、
夜中病室の窓いっぱいに広がる満開の桜をただただ眺めていたことを思い出すからです。
折しも私の手術も4月1日、桜が満開でした。

若くして亡くなった母には、
幸せな50代がなかった。
幸せな60代がなかった。
幸せな70代が、80代がなかった。
長生きして当たり前の時代なのに、他の人は元気で不平不満を愚痴りながらも旅行したり孫の世話に追われたり楽しく豊かに老後を生きてるのに…
私が母と同じ乳がんになったことを天国の母が知ったら…
誰よりも悲しむと思います。
私も母を悲しませてしまった、それが何より辛いです。
「遺伝だね」
人から言われるたびに、何だか母を悪く言われているみたいで悲しいです。
私の方こそ、「ゴメンね、お母さん」て、謝りたいです。

だから、いつか「私もう大丈夫だよ、すっかり治って再発の心配もないよ」って笑って言いたいです。

いつも母のこと思い出すと、メソッとしちゃうこばにゃんでした。