2024年6月13日(木)曇り時々晴れ
頭の中で「十字星のキセキ」が渦を巻いている
星が廻り、風が流れ、楽の音が流れ、大さんの声、エッジの音、疾走する姿…
何をしていても、残像がすべてを凌駕する
こんなにも強烈だった?
正直言って、初日を観た時、納得いかない気持ちがくすぶっていたことは確か
どこか中途半端な感じで、ゆずの楽曲がメインであるというかそれに頼っているというか、なんとも歯がゆい感じがあった
ただ、2日目、3日目と回を重ねるごとに、出演陣の静かな怒りにも近いパワーがスケートと演技に表れ 、「氷艶」であることが明確に表現されてきたような気がした
楽日は観られなかったけれど、さぞかし素晴らしい舞台に変貌を遂げていたのだろうと思うと残念でならない
その思いがあるのか、余計に頭から離れないのかもしれない
今日も、原作読んでいる
読みながら、舞台で現わされなかった部分まで ”カケル" と ”トキオ” が会話をし、動いているような錯覚さえ覚える
『キセキ』・・・ 奇跡・軌跡・輝石・鬼籍
このカタカナで表された三文字に秘められた想い
すべての生きとし生けるものへの賛辞ではないか
この物語は、宮沢賢治の宗教観に基づいた生きるものへの賛歌でもあると思う
そして「十字星のキセキ」はその想いを現代の問題と繋げ、鮮烈に表現したものではないかと思ったりもした
…悪い癖、また意味のない深読みしたかな…
『銀河鉄道の夜』は賢治の原稿にページの記載がなく、文章が欠落している部分があったり、文字が消されていたりで不完全な部分が多く、編者によって各章の順序と解釈が異なったりしているという
読んでいるのは岩波文庫の「谷川徹三」編だけど、他のも読んでみたくなった
ああ、十字星ロスかな