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にゃる的な何か

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『オープンマイク』

オープンマイクと呼ばれるイベントに、
最近参加することが多くなりました。

喫茶店やレストラン等のお店で、
代わる代わる音楽などを披露し合う、
というイベントです。

自分が出演者であるのと同時に、
周りの人たちもほとんど出演者なので、
他の人の演奏を聞くときには、
自分も聞いてもらった故に、
やさしい気持ちで聞けるのです。

集まっている人たちが全員、
一人の演奏を聞きに来ているのであれば、
聞く人達の評価は厳しくなります。

その演奏を聞くために、
時間を割いてその場に来ているのですから、
厳しく評価されるのは当然です。

しかし、オープンマイクでは、
それぞれが出演者ですから、
互いに赦し合える雰囲気があるのです。

この、オープンマイクというシステムは、
とても示唆的だと思うのです。

この社会も、みんなが出演者、
という意識を持つ事によって、
互いが互いに優しくなれると思うのです。

私たちは生きている中で、
社会に対して主体的に参加する意欲を失う、
という体験をすることがあります。

大きな失敗や挫折を体験して、
もうやってられないという思いになると、
社会というものが憎らしくなるのです。

意識的に関わってより良くするための場所、
ではなく、怒りや不満をぶつける場所へと、
社会の捉え方が変わってしまうのです。

社会の中で一度ひどい目に遭うと、
社会を構成する当事者の一人である事から、
逃げたい気持ちになってしまいます。

自分が体験した辛い出来事について、
誰にも恥ずかしくて言えないとなると、
そんな事をわざわざ社会に出て、
露わにしたくないと思うのです。

しかし、一生涯その様に思い続けるのは、
不幸せなことです。

心の中にある、恥ずかしい失敗や挫折を、
神様が全て知っていて、そんな自分を、
神様が決して見放さないというなら、
それは社会に対して主体的になるための、
ひとつの動機付けとなります。

神様に赦されているという自己認識は、
オープンマイクに参加する時の、
他者に対して寛大になれるような気持ちを、
自分を取り巻く社会全般に向けても、
実現させてくれる力があると思います。

いつも読んでくださり、
ありがとうございます。