気を遣わせることについて | にゃる的な何か

にゃる的な何か

日々考えていること等を綴っていきます。

LINE公式アカウント「にゃるめるフレンズ」
右側の「友だち追加」をクリックして頂くと、励まし合いの仲間に加われます。
毎週Youtube動画、ボイスメッセージ、作った曲などお届けします。

 

『気を遣わせることについて』

人前に出ることに気後れを感じさせる、
ひとつの原因として、
気を遣われたくない、という事が、
あるのだと思います。

気を遣うとは、その場にいる全ての人が、
不自由を感じたりしないために、
あれこれ配慮する、という事です。

初めて参加する場で緊張している人に、
一声かけて気持ちを和ませられるとか、
誰かの不用意な発言に素早く気がついて、
気の利いた冗談を言って、
不快感を中和させられたのなら、それは、
気遣いができたと言えるのかもしれません。

気遣いのできる人は、
コミュニケーションを円滑に進める事や、
場の雰囲気を明るいものにする、
という技術に長けていて、
周囲の評価が良く、人気があります。

特に、日本の文化の中では、
察する、という事が重んじられていて、
気遣いができる、というスキルは、
とてももてはやされます。

なので、気遣いのできる事が、
プラスの評価であるのに対して、
気遣いさせてしまう事は、逆に、
マイナスの評価なのだと、
考えられてしまうかもしれません。

積極的な気遣いができなくても、
せめて気を遣わせないようにしよう、
という事を思うのです。

そして、気を遣われるという事に対して、
歳を重ねるごとに、あるいは、
社会的な立場が高くなればなるほど、
寛大ではなくなります。

気を遣われることを、
恥だと思ってしまうのです。

しかし、気を遣う、という、
麗しい行為ができるためには、
気を遣われる人が必要なのです。

だから、気を遣われることは、
全然悪いことではないのです。

気を遣う事ができるという、
素晴らしい賜物を持った人の、
その賜物の素晴らしさが輝くために、
気を遣うのが苦手な人は、
大いに気を遣われればいいのです。

自分が無神経で面倒くさい人間に思えても、
神様はその存在を喜んでくれているのです。

神様は、人間に、
人と人との関係の中で生きられるという、
とても素敵な特権を与えてくれました。

気を遣われたくないと思って、
引き籠ってしまうのは勿体ないのです。

いつも読んでくださり、
ありがとうございます。
 

※LINE公式アカウント
   「にゃるめるフレンズ」にご登録下さい。

 毎週作っている動画や、
 ボイスメッセージ等を配信しています。
 https://lin.ee/bFqhkYi