『規則性』
今週の土曜日は、
朝早くから出かける予定があり、
いつも土曜の朝に投稿している記事が、
今回は同じ時間に投稿できません。
予約投稿の方法があるようですが、
良くわかりませんでした。
毎週土曜の朝に記事を投稿してほしいと、
誰かに頼まれているわけでも無く、
それをしなければ誰かが困るわけでも無く、
全く自由にしていい所なのですが、
毎週続けていることを変えてしまうという事に、
不思議と、気持ち悪さを感じてしまいます。
人間には、そんな風に、
一定の規則性を持つものを好み、
いつも通りでない状況と出会うと、
何となく嫌だと思う性質があるみたいです。
麻雀やトランプなどは、
規則的な数列や同じ模様などを集めることが、
ゲームの目標となります。
そして、確率的に希少な配列が作られるほど、
高い点数がつけられたりします。
なので、物事に規則性が保たれるという事に、
私たちは美しさを感じるし、
逆に、規則性が崩れることについて、
不快に感じるということもあります。
ところで、神様はこの世界を、
秩序を通して美しく保てるように作られました。
昼が来て夜が来るという事や、
季節が廻るということ等、
この世界は非常に規則的に作られています。
しかし、不思議な事に、
人間はいつも規則的ではないようです。
時々、意外な事を始め、
元々あった美しい秩序を、
破壊するようなことをやってしまいます。
結果として、人間は、環境破壊や、
人間関係や地域社会の崩れなどを体験します。
しかし、神様は、
私たちをロボットのようにコントロールして、
一糸乱れぬマスゲームのように、
規則的に並べて動かすという事はしません。
その理由を考えると、とても深遠な問いですが、
とにかく、自由すぎる私たちを、
神様は忍耐して、赦して下さっています。
そして、神様がなさっているこの事実から、
何か大切な真理が見出されているようにも感じるのです。
それは、
規則的に何かを並べる事よりも、
規則的でないものについて、
忍耐をもって、それを寛大に受け止め、
赦し合うことのほうが、
大切なのかもしれない、という事です。
私たちは規則性に固執してしまいがちですが、
自分がいつの間にか固執している事に
何かのきっかけで気がつくとか、
相手が固執していることについて理解し、
寛大に受け止める、ということが、
必要になる時もあるようです。
赦し合うって大変です。
しかし、赦し合う事が実現できたなら、
慣れ親しんだ規則性を崩すストレスが、
新しい秩序を生み出し、
その中で誰かと互いを大切に思い合い、
喜び合うということができます。
是非最寄りのキリスト教会にご連絡ください。
神様と出会う事は、人間にとって必要な、
この上なく価値のある事です。