自分は短気だ
なおしたくても、なおらない。
すぐに沸騰する
今日はひさしぶりに腹の底からフツフツ湧き上がるイライラを感じてしまった

わたしは短気で、せっかち。
でも根は自分でいうのもなんだけれど真面目
だから責任ある仕事を任されたらとことんやる
自分が関わったことを中途半端にはできない


今回イライラしてしまった原因は、ある人の悠長さ。

その人の仕事があるのに、まったく仕事に目を向けず、結果わたしがその人に助言してやらなければいけなき仕事を促そうとしたら「やることあるの?」と言われたこと…


わたしなら恥ずかしくてそんなこと言えない。
人に「この仕事あなたのですよー」なんて言われたくない!
でもその人に言わなきゃ、わたしがその人の尻拭いをするはめになるから嫌だったけど言った。


なのに、気持ちが悪い。
すっきりしないこの気持ち


相手はどう思ったかな?
すこしは自分で考えて動かなければと思ってくれれば幸いだけれど…

友人だし、仕事抜きなら良い人だし、こんなことで失いたくない。

でもわたしもキャパがせまい。
自分でいっぱいなのに変に他人を心配してしまう厄介なヤツ…

相手は相手で本当にやることが分からずに素直な気持ちで分からなかったのかもしれない。
でもそれで許されるのか?とも考えてしまう自分がいる…

いろんな人がいるけれど関わる人が自分とは似ていない時に酷く拒絶反応をしめしてしまう自分に酷く振り回される。
怒りがMAXになり、鎮火し、ドロドロ…
相手に悪い気にさせたかな?とか伺ってみたり…

はぁめんどくさい性格…
最近人間関係に疲れてきた。

特にうわべだけの関係ってやつに。

子供を介しなければ絶対に友人にもならない相手。
信用していた友人にも裏切り行為に近いことをされて疑心暗鬼状態。

わたしがメンタル持ちだからってそこを馬鹿にしたような態度。

見えてますよわたし。

メンタル持ちだからこそ、いつもと違う雰囲気だったりをいち早くキャッチしてしまう…
それが普通の人から見たら「気にしすぎー」とか「そんな風に思うの?」ってことも感づいちゃう。
まぁ、普通の人から見れば、それがメンタル持ちだかでしょ?で片付けられてしまう…

でも違うでしょ?って自分の中に腑に落ちないことが沢山。

いろんな人がいて当たり前だけど気持ちよく生きたいのにいろんな人の想いや家庭事情を汲んで挙げなきゃと思っても落ちてる自分にそんな余裕はない。

ネガティブはネガティブしか生まないって思ってるけど、悩むよ、やっぱり…

何かわたし、しちゃったのかなとか色々考える。
だけどそれを自分から解決してくことの出来る潔さや自信がない。

事を起こしてまたぐちゃぐちゃするの面倒臭い。

だからそういう人にはある程度の距離感で行くしかないと思った。

信じられる人は信じていけばいいじゃんて。

でも感謝は忘れんようにしないとまたおかしな事になるのもちゃんと分かってなきゃ!
悪気はないって自己弁護ですか?

その悪気のないのを理解しないと私が悪者ですか?

指摘してイラついてしまう私が悪くて、悪気はなくとも人を傷つけたあなたは被害者ですか?

悪気はなくても人を傷つくけたら謝りましょう。

そしてその家族もそれを分かっていたなら指摘して、なあなあにすることはやめましょう。
皆自分が大事。

それはわかってる。

でも私は誰からも嫌われたくなかったし、自分でも上手いこと動いてきたつもりだった。


でも、周囲の気持ちを考えて自分がそれに振り回されてた事に気づいて『ハッ!』ってなった。


みんなの為に奔走する私。
犠牲になる私。


自分の判断が間違ってるのか合ってるのか分からなくなってゴチャゴチャになってまた落ちた。ネガティブー


励ましてくれるのも人、悩みをぶつけてくるのも人(自分含め)。


うまいこと波風立てずにやろうとしてた自分が馬鹿みたいな気持ちになったことがあった。


皆それぞれ意見があって違うこともあるのは承知で行かないと自分が壊れるなって再確認した。


でも、それは自分勝手を通すんじゃなく皆で大事なことは決めて話し合って解決していきたいこと。


とりあえずあまり、気負わないこと。
自分を犠牲にしておかしくなるまで我慢することもないと思った。


私も人間。
傷つくし、凹むしで、もう面倒臭いことは嫌になっちゃった。


人間関係て難しい。
皆に好かれようなんて思っちゃいけないなと痛感した。


それでいいんだーって自分でなんとなく納得出来てきたから。
あとは前を向いてやる事だけしっかりやるだけ。

ファイト自分!自分は自分でいいんだよー✨
苦しい時、なにもかもが目の前で立ちふさがり、『もう自分はここで終わるんだ…』と思った時、大切な人が言ってくれた一言『大丈夫だよ』


ネガティブな時は独りよがりです。
どうせ私なんか…
どうして私ばっかり…
ネガティブからまたネガティブが生まれどんどんネガティブの沼にはまっていきます。

私は何度もハマって抜け出せず周りに当り散らしたり、うつ状態になり、家族さえも信じられなくなりました。

でもそんな私を見捨てずに守ってくれた主人。母。
未遂の迷惑をかけたのに『生きていてくれてうれしい』と言われました…

この言葉に今までネガティブ沼にハマっていた私は救いの手を差し伸べられ1人で抱え込まなくてもいいんだと思うようになりました。

生きててくれて嬉しいって普通に生活してたら言われないことですよね?
なんだか嬉しくて、もうこの人達を悲しませる事だけはしないと心に決めました。

『大丈夫。一緒に考えてこう』
『ドンマイ!』

人はひとりでは生きていけないし、生きているだけで悩みは多かれ少なかれ皆ある。
そんな時一緒に立ち止まって考えてくれる人や話を聞いてくれる人にSOSを出すこと。そしてそれを受けとめて一緒に進んでくれる人がいることに感謝して1日1日を自分の精一杯で生きてみようと思った。

『大丈夫だよ』に救われたように私も困っている人がいたら立ち止まって一緒に考えてあげたい。
それがその人の心の支えに少しでもなるのなら…。

心の孤独は本当に孤独です。
周りの全てが敵に見えて怖くなります。
疑心暗鬼に陥るし自分でもおかしかったあの頃。
その頃の私に『大丈夫だよ!アンタ頑張ってるから必ず良くなって元気になるよ!』とおしえてあげたい。
小学校に通いだし、愚図ることなく、これたま順調に学校生活を送っていた私。

目立つのは割と好きで、だけど本当はちょっぴり恥ずかしくて、注目をあびるならカッコ悪い時じゃなくてカッコイイ自分が良かった。

体力もつき、運動神経も良い方だったので小学校では縄跳びチャンピョンになったり、スポーツテストで良い記録を出すことに励んでいたと思います。
記録が自分自身を評価してくれる。=自分の力=好きな事でした。

市内の小さな小学校なので当時は一学年多くて3クラス。
基本は2クラスでした。
そのため学年が上がっても基本知っている子ばかりで気心知れたメンバーで浮くことなく、イジメもなく、ほんわか過ごしていたと思います。


唯一、小学校時代の想い出で親が関わっている忘れられない記憶があります。

私が2年生の時、ぼぉっとしていて先生に問題を解くように名指しされてしまいました。
不意打ちに、極度の緊張。
悪いのはぼぉっとしてた私。
でも答えなくっちゃ
答えなくっちゃ…

思えば思うほど頭の中が真っ白になって
なんだか涙がこぼれそうになった時…

フッと自分の消しゴムを見たら
母が『頑張れ!大丈夫だよ!』
と言っている気がして…

その後は記憶にありませんが…

その時の事を帰宅した母に話すと母はこっそり泣いていました。
その時なぜ母が泣くのかわかりませんでした。
今となっては当時の私にとって母は私に最大の愛をくれる人であり大事な人だったんだと分かります。

小学校低学年より周りの目を意識しだしました。
家庭では、せっせこ働く祖父母、同様にフルタイムで仕事をもつ父母。

子供ながらに【忙しそうにしてるし悪いことで怒られたくないなぁ】と思っていました。

でも父はこの頃から子供の前でも気分次第で大声を出して汚い言葉を使ったりするようになりました。
特に母の姉妹が実家に来た時は酷いものでした…その甥っ子達の扱いも酷くて見るに耐えられなくらいでした…


お父さんはどうしておばさんやいとこのおにいちゃん達を怒鳴るの?

おばさん達が何かした?

そんなことない。
気分で怒りを出してるだけ。

それを見抜いてしまった小学校低学年の私。
それからというもの家族の間に入ってピエロの役目をしだした私。

皆のイライラを中和する存在。
ギャハハと笑って皆が笑うと安心する。
それでいいんだと思いながら、今思うと凄く子供として気を遣っていたと思います。

祖父母のケンカの仲裁や愚痴を聞いたり、祖母と母のケンカの間に入りおどけたり…

それが私の役目だと思って生きてきました。


でも父の暴言は止められませんでした。
怖いんです。
心の底から。
小学校高学年になって算数が難しくなり父に教えて欲しいと頼んだことがありました。
最初は丁寧に教えてくれているんだけど、段々私が同じような問題でつまずくと『そんな問題も分からないのか?!バカかやめちまえ!』
さっきまで優しく教えてくれていた父の顔は鬼のような顔になりそれから、隣でなんの涙なのか分からないけど流している私。

お父さんに聞くんじゃなかった…

本当はお父さんだし、好きになりたいけれど好きになれない自分はお父さんの子として悪い子?
これじゃいけない!と思い込んでいました。
母の実家に暮らすようになったのは私が2歳。

この頃の記憶は、ほとんどなく(まぁ幼いので当たり前ですが…)、新しいお家に来て馴染むのにも時間がかかった記憶もありません。

母の実家は祖父母が住んでいて、そこに私、母、父が加わりました。
元々祖父母は農家+土木業で生活していました。暮らす人数も増えたこともあり祖父母が鉄骨のお家を自ら建てました。

そして私が2歳になる頃に弟(長男)が生まれました。

私は酷く母を取られたような気持ちになったのか、赤ん坊の弟を母に寄せ付けず、夜も私が母と一緒に寝ました。
弟はその為祖父母がお世話をして一緒に寝ていたそうです。

この頃は私自身の酷い夜泣きはおさまり、その代わりに育休明けで働きに出た母のパジャマをずっと肌身離さず引きずって歩いていました。
これはなぜか覚えています。

真っ白い母のパジャマ。
母のいい匂いがして触れているととても安心しました。
おかげで母が何度も洗濯するほどに汚れてしまいましたけど(笑)

3歳になりました。
市内の私立幼稚園に入りバス通園。
母子分離不安などもなく幼稚園には子供は通うもんだと思っていました。

でもまだいまの社交的な性格が開花していない時期なので、どうしてもお友達のなかに入っていけず、かと言って問題も起こさない子だったので幼稚園の先生からもさほど心配される子ではありませんでした。

幼稚園時代は私の中で『楽しかったー』という記憶があまりまりません。
馴染んでいけない自分。
でも幼稚園に通う事は当たり前と思っていて、そこだけ考え方は大人だった。

『本当は甘えたいよ~!』を出すことが出来ず、言っちゃいけない気がしてました。

甘えるって信頼関係が成り立ってないと出来ないことですよね?
私幼稚園の先生と会話した記憶が全くないんです…
だから頼っちゃいけない人、ワガママ言っちゃいけない人だと思っていました。


それでも私なりに幼稚園頑張っていきました。だって毎日通園バスが来ちゃうんですもん(笑)
真面目だからなのか「来たら乗らなきゃ!」って(笑)

弟も入園し、ここら辺からお姉ちゃんモードが入ります。

何も知らない弟にあれこれ幼稚園について教えて年少クラスまで毎日送り届けました。これは私の仕事だと思っていたのです。

通っていた幼稚園では幼稚園終わりに体育教室をやっていました。
私も入って沢山体を動かして楽しかった記憶が少しだけあります。
「あ!私体動かすこと好きかも」と思えたのもこの時期だったと思います。

お遊戯会は苦手でした。
大勢の人の前で何かをやる事に自信が持てず、それを父母に見られてしまうのが幼心に緊張して苦手で泣きそうだったのを覚えています。

やって失敗したらどうしよう…
恥ずかしい想いするんじゃないかな…

そう思うとお遊戯の台詞や歌詞がとんでしまうこともしばしば。


そして私が年長の時、次男(弟)がまた生まれます。
そうして私は第一子長女として生まれ、弟を二人持つ姉として生きていくことになりました。
過去へのタイムスリップの途中ですが、一度脱線しまして今日行った地鎮祭のことを書き残したいと思います。

ここまで長き道のりでした2年前くらいから、ぼんやりと『自分のお家が欲しいな』と思いはじめ、1年前よりホームメーカーや住宅展示場を見て回りました。

最初はT社が気に入り、モデルルームのような何もないモダンな生活スタイルが素敵!と思って仮契約を結びました。

しかし、それから『本当にこれでいいのかな?』と自分達の生活を振り返り、なんだかガチッとハマらないT社の家造りに疑問を持ち始め、他の工務店等をみて回りました。

そして結果いまの地元の小さな工務店に落ち着いたのです。
(T社との仮契約は破棄し契約金を返していただくことになりホッとしています)

工務店さんはWホームさんとしましょう。
Wホームさんのモットーといいますか、売りは『最大限無垢の木材をつかい、補助金制度を活用して、無駄の無い生活を建てた後も出来るお家』を建ててくださることです。

木のお家は玄関から入ると良い香りがします。
樹種により香りは違いますが、木の発する香りはなんとも心身を落ち着けてくれるといいますか、とにかく心地よいものでした。

樹種により傷もつきやすく、反り返りがあったりデメリットももちろんありますが子供が成長するようにお家も家族とともに年をとれるのかなと思い、Wホームさんに決めました。

そして、何より担当してくださるWホームのI社長が素敵な方で、こちらの資金事情から家族の事情までくみ取って下さって細やかに動いてくれたのがとても嬉しかったです。
打ち合わせもかなり行きました。
(毎週ペースです)
それだけ私達の建てたい家を建てましょうよ!っという気持ちが伝わって良かったです。

家は一生に一度の大きな買い物です。
家造りは人との繋がりを増やし、自分の未知の世界を見せてくれ、新たな興味まで沸かせてくれる素敵なものでした。

これから着工していくわけですがその間も細かい打ち合わせや現場で実際見て決める事も沢山あるそうでワクワクしています。

ローンのことも、あるけれど補助金制度を使ってだいぶおさえて作るお家なので後悔はないと今の段階では思っています。


地鎮祭の今日は暑いくらいの気持ちのいい秋晴れ!大安で地元のお祭りもありました。
そんななかでの地鎮祭。
土地の権利者の祖父、祖母、実母、主人、私、子供達で参加しました。

実父は…来ませんでした。
実母が連絡しましたが結局来なかったです。
でもそれは仕方のないことで、それはそれでいいんだと思うことにしたいと思います。

宮司さんのお祓いをうけ、いよいよ始まる本当の家造り。
とても楽しみです。
S家に待望の赤ん坊が生まれました。
それが私です。
ここでは名前を“こころ”としましょう。

父母の両家にとって初めての女の子の孫。

名前は漢字の意味を考え神社で選定してもらったそうです。

祖父母も凄く喜んで、父方の祖母は働いていた仕事を私をあやしたりするために早期退職をしたほどです。

当時、私の父母は父方の家に同居していました。
その当時の家族構成は祖父母、父母、私。

祖父は漁師をしていましたが早々退職して家にいる日々、そして少し空気が読めないところがあって同居の母は苦労したそうです。(産後間もない母に電球を替えさせたりetc)

祖母は口うるさいところがあります。
かと言って悪い人ではなく普通の人。
でも私の母の性格上、祖母に上手に甘えられませんでした。

私を産んで産後間もない日々、すぐに同居の父方の家に戻り、自室で私とゆっくりしていればズカズカと私を見に部屋に入ってきたり、庭もなく住宅街で何もない場所だったので、母は落ち着く場所がなかったそうです。

その頃の父は仕事が忙しく夜遅くに帰ることも多かったそうです。
母は喋る相手が父しかいなかったのでしょう。
沢山喋るうちに愚痴や育児の疲れを吐露すると運が悪いと怒られたり、機嫌が悪くなったそうです。
もちろん仕事で疲れていたのもありますが初めての育児に初めての同居の妻をもう少しだけでも労わってあげてもよかったんじゃないかな?と思います。

その当時の母は辛かったと思います。
初めての育児に、旦那の実家での同居、慣れない場所に話をする人が近くにいない状況。
愚痴れば機嫌が悪くなる主人。


その為なのか、もって生まれた気質なのか赤ん坊の私は酷い癇癪もちだったそうです。

神社で疳の虫とりの祈願に行き、「この子は疳の虫が凄いから釘を深く打ちます」と神主さんに言われたほど凄かったよう…(当然赤ん坊の私は覚えていませんが)


現在思えば母の気持ちを汲み取ってかわりに大声をあげて泣いていたのかなと思いました…
母の気持ち、自分が母になった現在痛いほどわかります…

辛い
苦しい
どうしたらいいんだろう…

そんな母に追い討ちをかけるように泣く私を諦めずよくぞ育ててくれました。



産まれてから2年間で
父方の家での同居は終わりました。

なぜ終わったのか詳しい話は母が話さないので分かりませんが多分苦しくなったんだと思います…





そしてそれから母の生家(実家)での同居が始まりました。