こんばんは。

 

あゆみ塾認定カウンセラーのちいです。

 

 

タイトルの

「お母さんを嫌いなときがあってもいい」について。

 

 

よく心のことを勉強していると、

今苦しいのは幼い頃の母親を許せていないから、とか、

問題の根っこにあるのはお母さん。とか聞きませんか?

 

これ、確かにそうなんですが、、

 

でも今日ブログに書きたいのは

お母さんを好きか嫌いかはどっちでもいいよって話なんです。笑

 

へ?ってなりますよね凝視

私もなりました。←

 

 

どういうことかというと。

実は私告白しますと、今人生で一番母を嫌いになっておりまして不安不安不安

(何故嫌いになってしまったかはまた別のブログで書きたいと思うのですが)

 

 

以前マスターコースをやっていたころは、問題の根っこに母がいることを見つけるたびびっくりしつつも

カウンセリングの中でそのたび受け入れて前に進むことができていたんだけど。

 

 

今回は自分の知っているどのワークをやっても

心から「母を許す」とか自分と統合するとかなんだか腹に落ち切らなくて。

その日は「お、許せてきたかも。」と思っても、

数日後実際に会うと少し話すのもイライラするくらいまた嫌いに戻っていたりして。

 

 

すごーく焦りました。

これから沢山の人をカウンセリングしたいのにこれでは説得力がないじゃないか。なんて考えて。

 

先日私の師匠のあゆみさんとお話していた時に、

「あゆみさん、私どのワークをやっても母嫌いがひっくり返らないんです~」って話したときに

あゆみさんから返ってきたこたえは。

 

 

「いいんじゃないかなあ、嫌いでも」でした指差し

 

 

意外に思いませんか?

 

 

でもそれ聞いて解ったことがあって。

あ、私自分で自分の首を絞めていたなと泣き笑い

 

要するに

「お母さんを嫌いな私はダメ×」で

「お母さんを好きな私なら〇」

 

と盛大に〇×つけてジャッジしてしまっていたんです。
いつも白黒つけたがる私の思考のクセですね。
 
 
嫌いな時があったっていい。
長い人生の中でそんな時もあるし、とっても好きだった時もある。
これからまた好きになるかもしれない。
 
それでいいんだなあ~
 
とおもったらとっても楽になって。
 
 
 
そして更に恥ずかしくて笑ってしまうのが、
そこに問題はなかった」ってことで。真顔
 
母のことが嫌いだからって自分の生活で止まってること、困ってる大変な問題なんてなにひとつなくて。
会いたくない日は会わなければいいし、話を聞きたくないときはLINEもスルーだってできるし。
ちょっと会ってもいいかなって日は会えばいいし。
 
どちらかひとつ!ではなく真ん中をとる。
もあっていいのだ。
 
またひとつゆるんだできごとでしたニコニコ



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