1942年、ナチス占領下のパリが舞台。ナチスのプロパガンダを担っていたドイツ資本の映画制作会社コンティナンタルに助監督として勤めるジャン=ドヴェーヴル(byジャック・ガンブラン)と、同社の誘いを拒んで放蕩生活を続ける脚本家ジャン・オーランシュ(byドゥニ・ポダリデス)の、二人のジャンが主人公となる。映画は実在のジャン=ドヴェーヴル本人の手記に基づいており、概ね全編が実話に基づいている。

 タイトルの“レセ・パセ(Laissez-Passer)”は一般名詞で「通行許可証」の意を一義とするが、主人公らが行き交う街の路上のシーンで大道芸人の若い女が歌うシャンソン“時の過ぎゆくままに(原題:Laissez Passer)”の歌詞中には、幾度も同文字同音の動詞形'laissez passer(放任する,通す)'が登場する。言うならば、‘川の流れるように’である。
 主人公の一人ジャン=ドヴェーヴルは、独資本の会社から供与された通行許可証を利用して対独レジスタンス活動を支援するのだが、半ば‘なりゆき’で対独協力者ともとられかねない境遇に身を置くことになる顛末や、ちょっと自転車で自宅を出たつもりがそのままイギリスに飛行機で連れて行かれ落下傘で帰還する羽目になるエピソードなどに、この作品タイトルのもつ重層性が効いてくる。もう一人の主人公ジャン・オーランシュは、原稿や資料の詰まったトランクを抱えて幾人もの女の部屋を‘なりゆき’で渡り歩くことになる。決して二枚目とはいえないこちらのジャンの純情さに由来する奮闘ぶりは自然と笑いを誘うが、気弱で失敗続きでいながらも己の書く姿勢を頑なに守り抜く姿もまた、よくみれば同質の純情さに貫かれている。

 ナチスの影響下にあるコンティナンタル社は、必ずしもプロパガンダ映画のみを撮ることを強制しなかった。それゆえ今日からみてもこの時期の良質なフランス映画の多くは同社により制作されており、作品中にも“悪魔の手”や“セシルは死んだ”などの実在映画の撮影シーンがとても綿密に再現されている。監督のタヴェルニエがこうした撮影シーンの演出に執着を見せた理由の一つには、ジャン=ドヴェーヴルのように戦後に名を残した映画人だけでなく、ナチスに手を貸したと非難されがちだった多くの無名の映画人たちの汚名払拭の意図があったのではないか。というのもこの作品では誰ひとり、コンティナンタル社の経営者グレフェン(byクリスチャン・ベルケル)ですらも、決してただの“悪役”としては描かれていないのだ。
 ジャン・オーランシュを取り巻く女たちを演じる女優陣の競演も見応え充分。作品後半、ジャン=ドヴェーヴルは幾度も数百キロの道のりを自転車で走り通すことになるのだが、これらのシークエンスで映し出される田園風景の美は時々刻々とその姿を変容させてほんとうに圧倒される。秀作。


"Laissez-Passer" (Safe Conduct) by Bertrand Tavernier [+scr] / Jacques Gamblin, Denis Podalydes, Marie Desgranges, Marie Gillain, Christian Berkel / Jean Cosmos [Scr] / Jean Devaivre [Book Author] / Antoine Duhamel [music] / 170min / France, Germany, Spain / 2002 2002年ベルリン国際映画祭銀熊賞(男優賞,音楽賞) ☆☆☆