ブログ主さんの中でも、特に、町田啓太さんへの愛が溢れているお方からこんなメッセージが。
「黒沢さん宅での展開が少なく、しかも『寒色』扱いで、安達さん宅での話が多くて、しかも『暖色』扱いなのは、差別!不当!失礼!不平等!だと思います。黒沢さんが、かわいそう過ぎます」
あ、これは文句ではないのですよ。
町田啓太さん愛が溢れすぎてしまって、あたしの書く妄想がなぜこうなんだろ、との疑問なのだそうです。
ご本人様には既にご説明はいたしまして、「ドラマでも悲しい場面の印象が強いので、かわいそうだなと思っただけ」というご返事を頂戴しておりますので。
でも、ちゃっかりしたあたしは、これで美味しい記事が1本書けるぞ、と(こら)
だって、ほら、同じようなこと思っていらっしゃる方いるかもしれないし。
えーと、何と説明したらいいのかな。
以前、記事にも書いたのですが、黒沢目線で安達を書くのが一番書きやすいというのが1番の理由なんだけど、これでは説明にならないんですよね。
あのですね。
あたし、黒沢ってすごく自分を防御というか、なかなか自分の懐に入らせてくれない人なのかな、と思っているというか。
黒沢は「自分に何が求められているのかを考えて行動していた人」なので、それって逆に考えれば「自分のことを曝け出してはいない」ということなのかな、と。
まぁ、黒沢の場合は、求められていることを完璧にこなして、本当の自分を見てもらいたいがためなんだけど、それでも、それが自分を曝け出しているかと言えばどうなのかな、と思うし。
自分のことを曝け出さない人は、当然、自分の懐に入られるのを嫌がる。
自分の懐に入って欲しい人は本当の自分を曝け出した相手のみ。
黒沢の場合は、それが安達なんだけど。
だったら、もっと黒沢のおうちでの話を書けるだろ、と思うでしょ?
だけど、そういう人ってなかなか相手の懐にも入らない。
でも、相手の懐に入らせて貰えたら、とことん懐に入って、もっともっと相手を知りたくなる。
だから、黒沢を書くなら、安達のうちでの展開の方が楽に書けるのです。
で、何となくですが、↑に書いた黒沢の性格って、あたしに似てるんだよなぁ。
(あ、こいつ図々しい、と思った方、結構いっぱいいらっしゃるでしょう。すみません、あたしもそう思いますww)
ただ、あたしの場合は「自分を隠すために自分に求められていることを考えて行動する」ですけどね。
そして、あたし、黒沢のことが嫌いなんぢゃないですよ。
むしろ逆。あたしがチェリまほで一番好きで共感できるのも黒沢ですから。
でもって、黒沢…というか、町田啓太さん。
悲しい顔も困った顔も憂いを帯びた顔も似合い過ぎるんですよ。
基本、笑顔って誰でも似合うと思うんです。
だけど、憂いを帯びた顔が似合うのは本当のイケメンでなくては。
だから、黒沢のお話がつい悲しい話になってしまうのは、町田啓太さんが超絶イケメン過ぎるから、というのも確実にある。
だって、黒沢を書く場合、あたしの脳内では「黒沢のビジュアルは町田啓太さん」でしかないので。
決して、原作本の黒沢のビジュアルではないことだけはここに書いておきたい。
(豊田先生、ごめんなさい)