セミナー受講中に思わずつぶやいたツイートに、反応してくださる方が多かったので、私が考えたことを書こうと思います。
ムスリムの人に礼拝できない、ラマダン禁止って教えるって、どういうこと??#技能実習制度 #技能実習生
— にゃー😸🔰 (@yukieHongKong) December 19, 2021
きのう、UTCPのイベントに参加しました。
テーマは「見えない外国人――日本における無国籍と在留資格の問題」です。
本人も当事者であり、これらの問題について研究したり、アクションを起こしたりしている大学生や大学院生がスピーカーをされていて、発表を聞きながら、現在の日本の状況についていくつもの疑問が浮かびました。
そして思わずつぶやいたのは、こちらの発表を聞いている時です。
ヨザ・アディダヤ氏(東京大学 多文化共生・統合人間学プログラム)
「技能実習制度 : ムスリム技能実習生の現状」
ヨザさんの発表では、技術実習制度の概要や、この制度を使って来た方の声、多文化共生社会の類型論(typology of multicultural society)、今後わたしたちが何をするべきか、などを聞きました。
インドネシアから技術実習制度を使って来日された方の声を紹介したスライドの中に、「お祈り、ヒジャブ、ラマダン禁止と教えられた」とあり、非常に衝撃を受けました。手元に資料がありませんので、教えた人が誰なのかははっきりわかりません。しかしもし仮に、受入事業者が言ったとしたら、なぜ禁止になってしまうのでしょうか。
おそらく、ヒジャブについては、介護施設利用者から不衛生だ、なんだか怖いなどという苦情があるかもしれないと考え、禁止にされているのかもしれません。そして、彼女たちにとってどれほど大切なのかを少しも理解しようとせずに、ファッションでかぶる帽子ぐらいの感覚で禁止しているかもしれません。そして、その感覚は利用者(介護される方とその関係者)も同じなのではないでしょうか。
わたしもこちらで生活するまでは、ヒジャブをかぶった方と出会ったのは、インドネシア語の先生ぐらいで、ほとんど見たことがありませんでした。こちらで生活を始めて、ヒジャブをかぶった方はもちろん、ターバンを巻いた男性やサリーを着た女性、サルワールカミーズを着た方など、色々な方を見るようになりました。最初は日本人の私と違うなと好奇な視線を送ってしまっていましたが、しばらく経つと全く気にならなくなりました。皆、ただ自分の文化で生活しているだけのことなのです(現時点では…)。
「多文化共生について考えましょう」と言われると、なんだか難しそうだなと感じる人が多いかもしれません。そこで、日本と日本以外の国のことではなく、“あなた”と“わたし”の話と考えたら、どうでしょう。
たとえば、お雑煮で考えてみましょう。“わたし”の家は、白味噌のお汁に大根・金時人参に丸餅を入れます。でも、会社で出会った“あなた”の家は、白味噌のお汁にあんこ入りのお餅を入れると聞いたら、どう反応しますか? 「あんこ入りの餅の雑煮なんて、まずそう。」で終わりますか? もちろんここで終わる人も多いと思います。でも、一歩進んで、「どうしてあんこ入りの餅なんだろう?」と興味を持ち、聞いてみたり、調べたりしてみることが大切なのではないでしょうか。“あなた”の家のお雑煮と、“わたし”の家のお雑煮は、同じお雑煮でもこんなに違うのね、おもしろいね、今度、お互いのお雑煮を食べてみたいねと、考えていくと、いろんな場所で出会った“あなた”の数だけ、世界が広がりますよね。
“わたし”の家のお雑煮 = “わたし”の文化、いろんな文化があって、どれが正しいというのはありませんし、この味が一番いいなどというのもありません。“わたし”の家のお雑煮と“あなた”の家のお雑煮が全く違うものだったら、「違うね」だけで終わらず、“わたし”と違う“あなた”に興味を持ち、尊重していくことが大切なのではないでしょうか。そして、さらにお互いについて知っていくと、本質の部分は同じ(無病息災を願って温かい汁物をお正月に食べた)だと気がつくかもしれません。
技術実習生に関わる人たちも、“わたし”の文化と同じように“あなた”の文化も尊重したら、ヒジャブ禁止などとは絶対にできないと思います。
まずは、一人一人が“あなた”の文化に興味を持つことから始めませんか。
最後まで読んでくださって、ありがとうございます。
ではまた。ジョイギン。
(参考資料)2021年12月20日閲覧
- BBC 『なぜわたしはヒジャブをかぶるのか』2016年12月1日
- 衆議院 『衆議院議員阿部知子君提出介護現場等で働く外国人をめぐる宗教的配慮に関する質問に対する答弁書』(令和二年六月十九日受領 答弁第二三七号)