こうやって書きながらも、私は自分の方が間違っているの
かも、という思いも捨てきれません。
仙台にいた頃、胃が痛くなった私を夜通し看病してくれた
事も夫はありました。二人で飼っていた猫が亡くなった時、
大きな目が真っ赤に泣きはらしている夫も見ました。
大きな夫婦ゲンカの後で
「あなたはいったい何が幸せで生きているの!」と
私が腹を立てながら聞いた時に、私は彼が当然”仕事さ”とか
”海外に行く事”と返事すると思っていました。
「君の笑顔をみること」と言われて、はっとして号泣した夜もありました。
彼は私と結婚する前から、海外赴任を望んでいました。
アメリカンスクールで親元からも離れて一人英語を
身につけたその苦労を、自分の人生で一度は夢として
昇華させたかっただろうキモチ、私でもわかります。
彼は私と結婚する時、一時はそれさえもあきらめたと
言っていました。私と生きて行こうと思ったと。
そして、画期的な新薬を受けにハワイへ渡米して治療、
十年にもおよぶリハビリの日々、そして結局は膝は
手術になったけど、
御陰で車椅子から歩けるまでに回復しました。
それらでやっと、海外赴任へ妻帯出来るまでに私がなった
そして実際にアメリカ行きのチャンスが舞い込んで来た、
夫は長年の夢が叶ったと、きっと天にも昇るキモチ
だったのだと思います。
アメリカで結婚記念日にくれたカードにも
その思いはあふれていました。
ただ、もう本当に
それはどうしてそうなってしまったのか
私にも、おそらく彼もわからないのかも。
彼のアメリカ生活への関心はどんどん
一人で突き詰められて行って、
私には着いて行けませんでした。
真夏の炎天下でビザをとるのに長時間
並ぶ事がどれだけ私に負担なのか、
出発前の彼が組んだ過密スケジュール、
英語研修、海外赴任研修、北海道の親への挨拶、
引越手続き、病院の紹介状の手続き、、、、
あぜんとしても反論は許されず、
それどころか、「俺を全然手伝ってないとまで言われ」
私は自分が倒れないか、燃え尽きないか必死でした。
着任してからも同じです。ケーブルテレビを入れる、
入れない、友人と会う、会わない。車の保険に
日本語サービスをつける、つけない。
そこに私の意思はまったく確認もされず、
尊重もされませんでした。
アメリカで言葉が話せない不安、治安が分からない不安、
訴えても彼の理屈のもとに、押しつぶされてしまうのでした。
「俺の仕事の邪魔するな!」と怒鳴られたこともありました。
時差ぼけも酷く、朝起きれないと夫は機嫌が悪く、
夜炊飯器もないので、工夫してご飯を炊いて、
なかなか手に入らない材料で和食を頑張って作っても、
「俺は和食なんか要らない」とか
あきらかに意地悪をしているとしか思えない
態度だったりしました。
私は彼のなんなの?思い通りに動く機械?
それでも私は、海外赴任がかなわなかった
10年間の彼が我慢?
(我慢ばっかりの結婚だったのか彼に聞いてみたけど、
私が一番二人で穏やかに過ごせたと思ってた
仙台時代は彼は自分らしく生きていなかった
と言われました)に、報いるようにもっと努力するべき
だったのでしょうか。
でも私も私なりにがんばったのです。
こうして書いてみるとつくづく思います。
私も頑張ったんです。
私が私を認めてあげないと私が可哀想ですよね。。。
かも、という思いも捨てきれません。
仙台にいた頃、胃が痛くなった私を夜通し看病してくれた
事も夫はありました。二人で飼っていた猫が亡くなった時、
大きな目が真っ赤に泣きはらしている夫も見ました。
大きな夫婦ゲンカの後で
「あなたはいったい何が幸せで生きているの!」と
私が腹を立てながら聞いた時に、私は彼が当然”仕事さ”とか
”海外に行く事”と返事すると思っていました。
「君の笑顔をみること」と言われて、はっとして号泣した夜もありました。
彼は私と結婚する前から、海外赴任を望んでいました。
アメリカンスクールで親元からも離れて一人英語を
身につけたその苦労を、自分の人生で一度は夢として
昇華させたかっただろうキモチ、私でもわかります。
彼は私と結婚する時、一時はそれさえもあきらめたと
言っていました。私と生きて行こうと思ったと。
そして、画期的な新薬を受けにハワイへ渡米して治療、
十年にもおよぶリハビリの日々、そして結局は膝は
手術になったけど、
御陰で車椅子から歩けるまでに回復しました。
それらでやっと、海外赴任へ妻帯出来るまでに私がなった
そして実際にアメリカ行きのチャンスが舞い込んで来た、
夫は長年の夢が叶ったと、きっと天にも昇るキモチ
だったのだと思います。
アメリカで結婚記念日にくれたカードにも
その思いはあふれていました。
ただ、もう本当に
それはどうしてそうなってしまったのか
私にも、おそらく彼もわからないのかも。
彼のアメリカ生活への関心はどんどん
一人で突き詰められて行って、
私には着いて行けませんでした。
真夏の炎天下でビザをとるのに長時間
並ぶ事がどれだけ私に負担なのか、
出発前の彼が組んだ過密スケジュール、
英語研修、海外赴任研修、北海道の親への挨拶、
引越手続き、病院の紹介状の手続き、、、、
あぜんとしても反論は許されず、
それどころか、「俺を全然手伝ってないとまで言われ」
私は自分が倒れないか、燃え尽きないか必死でした。
着任してからも同じです。ケーブルテレビを入れる、
入れない、友人と会う、会わない。車の保険に
日本語サービスをつける、つけない。
そこに私の意思はまったく確認もされず、
尊重もされませんでした。
アメリカで言葉が話せない不安、治安が分からない不安、
訴えても彼の理屈のもとに、押しつぶされてしまうのでした。
「俺の仕事の邪魔するな!」と怒鳴られたこともありました。
時差ぼけも酷く、朝起きれないと夫は機嫌が悪く、
夜炊飯器もないので、工夫してご飯を炊いて、
なかなか手に入らない材料で和食を頑張って作っても、
「俺は和食なんか要らない」とか
あきらかに意地悪をしているとしか思えない
態度だったりしました。
私は彼のなんなの?思い通りに動く機械?
それでも私は、海外赴任がかなわなかった
10年間の彼が我慢?
(我慢ばっかりの結婚だったのか彼に聞いてみたけど、
私が一番二人で穏やかに過ごせたと思ってた
仙台時代は彼は自分らしく生きていなかった
と言われました)に、報いるようにもっと努力するべき
だったのでしょうか。
でも私も私なりにがんばったのです。
こうして書いてみるとつくづく思います。
私も頑張ったんです。
私が私を認めてあげないと私が可哀想ですよね。。。