去年の夏頃、私は母親の介護をするために、東京の会社を辞めて、札幌の実家に移住していた。父親も亡くなったので、母のそばにいたあげられる人は、私しかいなかった。


 しかしコロナが蔓延し、私は病院で、時々母と面会することしか出来なくなっていた。東京の友達だちが、飲み屋で密集して楽しんでいると聞いて、本当に腹が立った。


 母はもう寝たきりの状態だったが、まだ頑張って生きていた。私の事はもう分からない状態で、あとどのくらい生きられるかと思うと私は悲しかった。これは、その頃の写真である。


 そして、去年の秋、ちょうど今から一年前である。私は白血病を発症した。体調の悪いさは、かなり前からから感じていた。 

 病院で診断され、すぐに入院治療を開始した。母の事が気がかりだった。ああ、何という運命だろうか、こんな時に。でも私はこの病気の怖さを知ったのは、そらからである。


 私は医師から、移植をしないと治らない事。移植をしないと長くは生きられない事を告げられた。そして、移植をしても上手く行かず死ぬ事もあることをこの時に聞いていた。


 私は、母親がもう長くないことを知っていたので、移植を決意した。


 今年の正月、私が入院中に、母は亡くなった。私は入院中だったが、病院から許可をもらい、母とお別れした。覚悟は出来ていたし、私は母親を見守ることが出来たので、良かったかもしれない。母親より先に自分が死んでいたら、それこそ親不孝だったと思った。


 そして、今年の春、私は移植を受けた。ドナーさんはすぐに見つかっていた。移植を受けることを早く決めて、病院と頑張った。おかげ様で、移植までは順調に過ごすことが出来た。


 私は、無事、移植をおえる事ができた。ドナーさん、病院スタッフへの感謝を忘れない。そして、母がいてくれたおかげで、何の迷いも無く、移植の判断が出来た。本当に私は幸せな人間だ。


 それから、半年が経った。まだ、生きている。私はこの半年間の生き様を、ブログに書いてきた。移植では治らなかった。抗がん剤の治療も効かなくなった。先月から末期病棟で、延命治療を受けるようになった。


 でもご飯を食べたり、便に気を付けたり、何とか一人日でも長く生きようとしている。


 私は、移植を決意したが、やらなかったら、こんなに長く生きられなかった。つまり、生きようとする気力が持てなかったと思う。母が最後まで助けてくれた。😭