あなたは、死ぬまでにこれをもう一度食べたいと思うのはものは何だろう。子供のときに母が作ってくれた思い出の料理。あるいは故郷の名物料理。若い時に恋人と通った喫茶店のケーキなどだろうか?
 
 私が、一番食べたいものは次のエッセイ「北国のラーメン屋」に書かれている。

 今日はごちそうだ。家族そろって月に1回の外食。しんしんと雪の舞い散る北国の小さなラーメン屋。3~5歳くらいの男の子二人とその両親4人で店に入る。店内に湯気が立ち込める。ねぎやニンニクの匂いが食欲をそそる。両親は味噌ラーメン、兄は塩ラーメン、私は醤油ラーメンを注文した。ラーメンが出来上がるのを待つ。平凡なその家族にとって至福の時間だった。
 
 やがて4個の丼が目の前に運ばれてきた。私が注文した醤油ラーメン。緬の上には茹でたほうれん草、しなちくとナルト、小さなチャーシュとゆで卵が1/4切れ載っていた。緬もスープも具材もとても旨かった。私以外はすでに食べ終えていたが、兄の注文した塩ラーメンが気になりレンゲを残ったスープに伸ばしたが母から早く食べなさいと言われて自分の丼に戻った。
 
 その思い出を、会社でみんなに話したら馬鹿にされた。「パリで食べたクロワッサンが忘れられません」「広州の飲茶は最高でした」「スペインの生ハムとワインは本当に美味しいですよね」とか、なぜ有名な観光地ばかりなのだろう。なぜ評論家になるのだろう。苦労してお金を溜めてツアーに行ったにちがいない。自慢したいのだろう。それなら散々自慢すれば良い。確かにラーメンはありふれた庶民料理である。しかしそこには家族がある。故郷がある。そして愛と優しさがある。
 
 私の妻は中国の東北地方出身である。その昔は満州と呼ばれていた。日本が征服していた地域である。日本人にとって悪いイメージをもつ人も多いが、それ以上に征服された地方の人々はどんな思いをしたのだろうか? 私はその地域を妻と訪れたことが有った。しかし当時の戦争の記憶は遠いものとなっていた。中国の一部の都市も旅行した。多くの中国人に歓待を受けた。もう食べられないというまで、中華料理が大皿に並べられ文字通り閉口した。
 
 彼女とは東京で出会い、小さな賃貸マンションで10年間一緒に暮らした。そして離婚した。ひとつだけ結婚時代の思い出を書く。彼女は料理に自信があったらしく、毎日私が会社で食べる弁当を作った。どこの会社にも昼食時になると人の弁当を覗きにくる奴がいる。家庭を持った女性に多い。独身者や高齢者は人の弁当など気にしない。
 
 どんなオカズで合計何品入っているのかを見ているようだ。それを参考にして、自分の主人や子供のオカズの品定めを行うようだ、私からすればそんな事気にしなければいいのに、覗き見なんて失礼だと思った。
 
 その厚かましい女は私の弁当を見て驚いた。オカズが肉入り野菜炒めの1種類だったからだ。心の中で、その貧しさを馬鹿にしたに違いない。私の弁当のほうがオカズの種類が多いとほくそ笑んだに違いない。後でそのことを妻に話した。私の妻はすごい人だった。私が作る弁当には、肉も野菜も卵も魚も入っている。それを別々に調理するか、一緒に炒めるかの違いだ、一緒にしたほうが色んな具材の味が重なり美味しくなる。確かにその通りだ。日本人は見かけの綺麗さ豪華さにこだわりすぎる。おせち料理は珍しい具材なので美味しく感じるが、毎日食べるとなるとちっとも美味しくないのだ。
 
 私は、それからは妻の作る弁当を恥ずかしくなくなった。むしろ私の妻の弁当を馬鹿した女の弁当を観察した。大したことはない弁当だった。卵焼きにウィンナー焼き、塩鮭の焼き魚やかまぼこなどちっとも旨そうではない。私は妻に「あっぱれ。これからも毎日このオカズで頼むよ」と励ました。