今年もやはりウィーンフィル、ニューイヤーコンサート、ネルソンス、さらには全然関係ないNHK批判とか、自称評論家の人々がそこかしこ批判文書いているのを見るので、実際にウィーンフィルをムジークフェラインでニューイヤーコンサートの生演奏を聴いた者として実際の聴こえ具合を含めて演奏評を書き留めておきます。


評論にはウィーンフィルはビロードの、シルクのような、柔らかな美しいとよく言われます。

私は今まで5回生演奏を聴き、一番特徴的なのはリード音の強いオーボエ、鋭く強奏部破裂音の威力が強いホルン、そしてピーンと張り詰め透明な高音域が特徴のバイオリンにあると思います。

特にブルーノワルターとウィーンフィルのSP盤に克明なバイオリンは、今も引き継がれ大きな魅力となっています。

美しいとは少し異なり、どこか懐かしい少し田舎っぽさと同居する、緊張感と耽溺な音色がウィーンフィルの魅力だと考えます。


ニューイヤーコンサートは通俗的だの芸術的でないだの言う人もいるでしょうが、お国ものを演奏するオーケストラは生き生きとします。

いつでもベストコンディションで聴ける、まず外れの演奏はありません。

それに片手間の仕事ではもちろんありません。

ネルソンス、ウィーンフィル、共にお客を楽しませようと一生懸命です。



私の座席は平土間パルテレの前半分真ん中のところです。

そこで聴こえた印象は、まず音量が大きいと感じました。第1バイオリンが鮮明に聴こえます。

細かくいうと第1バイオリンは特にコンマスの音量が極めて大きく、コンマスを中心にウィーンフィル伝統の音色をリードしている印象がありました。


特にシトロンの花咲く頃で高音域のピーンと張り詰めた音色が聴けて鳥肌が立ちました。

反対に第2バイオリン、ビオラの向きは客席と反対なので奥まって聴こえた印象です。しかし音色は大きい。弦楽の掛け合いなどでは目の前に台風が吹き荒れてる様です。



ただ透明感という意味では、以前宮崎のメディキット県民文化センターで聴いた、プレートル指揮トリッチトラッチポルカのようなゼリーの巨大な物体に殴られる感覚は無く、むしろ現場感が凄かった感じ。


木管金管は普段後ろに引っ込みがちですが、警告無しでではネルソンスがかなり細かく指示を出し、鋭くはっきり鳴りました。


また軽騎兵は特にホルン強奏部が大砲のような威容で迫力が凄かったです。

あと最終再現部いつもインテンポなウィーンフィルなのに、ネルソンスの指示でテンポを落としたところは、あとから拍手の時後ろからオーストリア人がドイツ語で「カラヤン云々」と話しておりまるでカラヤンのようだったという意味だったかはわかりませんが、ともかく意外性があって楽しめました。



それから低音部、合間のシンバル、ティンパニ、バスドラ、鋭くはっきり聞こえます。

もうカーステのウーファーか、とツッコミが入る程の重低音ぶりで、ジャーンというものでなく常にガラガラドシャーンです。

どんな曲でも年中雷鳴と電光って感じ


コントラバスももわもわとしないです。

普通のオケでは聴こえるかなというレベルが、ウィーンフィルはむしろコントラバス協奏曲かといわんばかりの主役。

はっきり聴こえるから速い下降音型は地の底まで深く沈みます。



ネルソンスに関して言うと指揮棒おざなりに腹芸ではありません。

ニューイヤーは指揮者おざなりでコンマスが引っ張ってるというのは決して無いです。

郵便馬車はネルソンスのトランペットソロが面白かったですが、指揮してないところの強奏部はメリハリが無く指揮を再開するとオケがピタッと張り付き急に生き生きと鳴り始めてウィーンフィルを十分リードしてます。

ネルソンスは名前も知らず今回初めて聴き、ああこれが世界一流の指揮なのだろうなと思いました。

メータ、ムーティ、色んな指揮者で聴いたけどネルソンスは一際音量が大きく迫力が凄い、評論的にスケールが大きいと思いました。ネルソンスでまた聴きたいです。



余談としてウィーンの聴衆は日本人にフレンドリーで親切です。本日の特別な体験を最高の思い出にするために一生懸命です。

グッズショップでは順番譲ってくれたり、家族全員の記念写真撮ってくれたりします。

写真の撮りすぎだと批判もよく聞きます。

しかし高額なチケット、一生一代のコンサートに現地の人も外国人もみな臨んでます、二度とこのホールの中を踏む事のない人が多数です。

聴衆一体となってこの限られた時間を楽しもうと同じ思いを共有してます。ムジークフェラインのスタッフもその事を理解しあまり注意はしません。

もちろん開演前アナウンス以後はカメラマイク禁止でスタッフが注意に来ます。


でも咳音や雑音にオーストリア人は非常に厳しい、日本人に睨んだり注意したりします。

これは仕方がありません。

残響が長い分、咳や雑音はよく目立って聞こえるからです。静かにしないと演奏者は集中できません。

カメラの撮影よりも咳止めは非常に大事です。

ポケットに咳止めの薬、水、のど飴を常備した方がいいです。



でムジークフェラインでないとウィーンフィルの本質を理解できないのか?今後はムジークフェラインでしか生演奏は聴けないものなのか。

結論的に言うと、日本のホールもなかなか負けていない十分な名演奏を味わえます。


確かにムジークフェラインは残響が長く特別な舞台ですが、日本のホールでは弦楽器が少々後ろに引っ込むくらいで音色は変質してはいません。

サントリーホールでのムーティ死と変容のバイオリン高音域の美しさ、プレートルのシューベルト第2ベートーベン第3とトリッチトラッチポルカは今も心に残る名演です。



そういえば会場入口外にNHKの臨時スタジオが備え付けられてありました。もし1月1日も滞在なら中谷さんや草笛さんも見れただろうな

私はNHKを批判するつもりはありません。張り紙とかヨハンシュトラウスの表記がどうとか演出がどうのこうの…細かい事を言うのは野暮です。

今日に至るまでオーストリアへの日本人旅行客を増加定着させたのはNHKも大きく貢献していると思うのです。

中谷美紀さんや草笛光子さんのような、一般的に親しみやすいタレントを起用するからこそクラシックへの入口になります。

思うに1989年カラヤンが亡くなりCDの新譜が減ったと思いきや、こと2008年以降新譜はますます減り、慣れ親しんだレーベルも合併消滅し新譜が出せず、オーケストラの自主制作盤が多くなるところです。

昔みたいに話題の放送録音のCD化とか滅多にありません。

私の好きなプレートル指揮のウィーンフィルなんかどれだけ楽友協会で演奏してきたにも関わらずほとんど出回ってません。

小澤征爾が日本フィルで振り続けたモノクロ時代の話題性、カラヤンが来日した時の話題性に比べ今はどうなんでしょう?

クラシックのファン人口は著しく減少しており、掘り起こしは急務でそのためにも一般の方が入りやすい演出でニューイヤーを見てもらえる番組を毎年放映できているのは有難いことです。



私は中学時代吹奏楽部でクラシックを聴き始めました。朝比奈隆シカゴ響ブル5もリアルタイムで放送を見ました。

高校時代、宇野功芳氏柴田南雄氏の著書を読み漁り、名指揮者たちもテーリヒェン著フルトヴェングラーかカラヤンかも読み

そこでカラヤンは通俗的浅薄、フルトヴェングラー、クナッパーツブッシュ、ワルター 、トスカニーニ等伝説の巨匠こそ本物だと洗脳されたもので、確かにヒストリカルの隠れた名演はたくさん聴いたものの、変な先入観で頭が固い偏屈クラオタになり訳もわからず辺りを批判し上から目線のマウントを取ったもので本当に恥ずかしい


で社会人になりムーティ、メータ、モントリオール響、プレートル、ロンドン響、朝比奈隆、色んな指揮者やオケを生演奏で聴きましたが、生演奏とレコードは明らかに音色が違います。特にムーティ、メータは今まで格下と思い込んでたのが今となっては恥ずかしい限りです。

知ったかぶりして自分だけが本物みたいな上から目線で評論するのはどれだけ井の中の蛙大海を知らずなのだろうと今となっては恥ずかしいばかりなのです。



歯に絹きせぬ痛快な評論は見ていて胸の空く思いなのかもしれません。あるいは世の中を正したいとか、スカっとジャパンみたいなのでしょうかね。私はあれ見ると見ていて気持ちが悪くなります。


何もニューイヤーに行けという事ではなく、実際にウィーンフィルを日本ででも生で聴いて魅力を伝えてほしいなと、批判文章書くのは簡単ですが、魅力を伝える文章を書くのは大変。指揮者で演奏の優劣を語らないでほしいなと思います。


ここまで長い文章ですが、見ていただきありがとうございます。