ペタしてね

皆さま、こんにちは
「人生の意味や目的をリノベーションする」
カウンセラーのどいしゅうです。

今日数あるブログの中から、
わたしを見つけてくださった皆さん

ブログ筆者のどいしゅうについてはこちらをご覧下さい。
https://ameblo.jp/ny358/entry-12492166128.html

出会ってくださり、本当に、本当に
ありがとうございますおねがい

そして、いつも
ブログを読んでくださっている皆さん

今日も無事に更新することが出来ました
再びここで出会えたことに、
心から、心から、感謝申し上げます

ありがとうございますニコニコ 



昨年末、鳥取にある白坪神社で、
  ↓↓↓


畏れおおくも近くで感謝が伝えられる歓び
近くに立たせてもらえるだけで
からだの細胞ひとつひとつが歓んでいる

ただ、ここに居るだけで泪が頬を伝いました。

すると、

あなたを呼んだのよ
羽ばたきなさい
全国を行きなさい

遠慮はいらない
あなたはあなたらしく
思うようにやりなさい

瀬織津姫の、このメッセージを胸に刻み、

地球、世界、日本の平和と安寧のために
全国の神社に足を運び祈りたいと誓ったのでした。


そして、わたしが住む静岡県三島市の瀧川神社で、
ご祭神の瀬織津姫に

“他の地域にある瀬織津姫を祀る神社や、 
瀬織津姫と関係する人物を訪ね歩く全国行脚をする”

と宣言し、自宅から持参した巫女鈴に
エネルギーを分けていただき
その第一段がスタートしました。

瀬織津姫と関係する人物とは、古事記や旧事本紀に
登場する饒速日命(ニギハヤヒノミコト)と、
日本土着の神祇(古神道)と仏教(日本の仏教)が
融合し、一つの信仰体系として積極的に再構成を
リードしたのは空海の真言宗なのです。



大阪の磐船神社神社ごあいさつに行くことになりました。

※詳しくは、こちらからご覧ください。
https://ameblo.jp/ny358/entry-12635223518.html


まずは、東京から東海道新幹線で京都まで行き、
JR奈良線、京阪電車、バスを乗り継いで
磐船神社に向かいます。

そもそも、わたしが磐船神社に
行くきっかけになったのは、二つあります。


一つ目は、

わたしが高校生時代に神職になるのを 
目指していたとき、お世話になっていた
中学校の恩師と訪れたのがこちらの磐船神社でした。

神職になるためには、國學院大学・神道文化学部か
わ皇學館大学・文学部神道学科、または全国にある 神職養成所に通う必要があります。

神職養成所に入るためには、社家(代々特定神社の
奉祀を世襲してきた家(氏族))または宮司の推薦が
なければ入れません。元熱田神宮禰宜で、
古神道研究家の小林美元先生に案内をしていただき
先代の宮司さんにごあいさつに行きました。
(現在の宮司は、先代宮司のご子息様です。)

※中学校の恩師は神職の資格(正階)を取得され、
無所属の神職として神社奉祀、年末年始のお手伝いを
磐船神社でされています。

『1』がそろう11月1日に、
朔日参り(ついたち)・月次祭(つきなみさい)が
あると聴き、参列してきました。


二つ目は、

奥三河の槻神社の参拝にご一緒された
アニマルコミュニケーターの大河内りこさん
  ↓↓↓
ルーツを調べられると、治承四年(1180)平治の乱で
義朝に逆らって平清盛に味方した大河内氏が先祖。

厳島神社の本殿を作ったといわれる平清盛と
大山祇神社を氏神をしていた源氏の関係です。

平清盛は宮島(厳島)の地に、立派な宮を建てました。 
平家の守護神は、瀬織津姫で、
家紋は揚羽蝶ちょうちょちょうちょちょうちょを中心に使っていました。

黒揚羽蝶は、瀬織津姫の化身とも呼ばれていますが
まさしく、大河内家の家紋にも揚羽蝶ちょうちょちょうちょちょうちょ
使われています。

そして、瀬織津姫と関係が深く、
古事記や旧事本紀に登場する饒速日命。

また、同じ饒速日命を始祖とする穂積氏も
饒速日命の末裔で子孫の一部は鈴木と名乗ります。
りこさんの旧姓は鈴木。瀬織津姫ともまた繋がります。

その繋がりを知った、りこさん。

自身が運営するDearMum
アニマルコミュニケーションの教室の生徒さんの中に
(磐船神社がある)大阪府交野市に、
以前住んでいた事がある方がいて、、、

3人で参拝に行かれると聴き、日程を調整して
合流させていただきました!!びっくり


令和2年11月1日(土) 11時

1はスタート・始まりを意味する数字
その数字が5つも並ぶ朔日(一日)参りに
なぜかわたしが磐船神社の氏子総代、
氏子さんたちと並び参列させていただいています。


なんだかとても不思議なご縁ですが、
ここに皆さまに交じって参列していることに
少しの違和感もありません爆笑

月次祭終了後に、現在の宮司と名刺を交換。
先代宮司に大変お世話になったことを謝辞しました。


ドンドン、ドンドン、ドンドンドンドンと
太鼓の音が鳴り響きお祭りが始まります。

宮司さんに倣い、二礼二拍手一礼をしていきます。

献餞、祓詞を奏上、修祓を受け、
大祓詞を奏上、月次祭用の祝詞を奏上....

玉串奉奠、徹餞

宮司さんのありがたいおはなしを聴きました。


月次祭が終わり、ふと携帯を見ると
大河内りこさんから、
『磐船神社に着きました!』
とのメッセージが入っていました。

「どこにいますか?」と返信するも
誰からも応答がありません。

その間に境内を巡ります。



神社は天野川の渓谷沿いにあります。

巨石に囲まれた神社で、御神体も巨岩です。

境内には石仏も残っていて、
山岳信仰や神仏習合の形跡が色濃く残っています。


磐船神社の御神体は「天磐船(あまのいわふね)」
と呼ばれる巨岩です。高さ約12メートル、
長さ約12メートルの舟形の大変大きな岩です。 


天饒速日命が、この天磐船に乗って

河内国河上の哮ヶ峯(たけるがみね)へ、

天から乗ってきた船だったと伝わっています。 




「岩窟(胎内)めぐり」が特に有名で、
狭く険しい岩の間を縫って「生まれ変わり修行」が
できます。岩窟内は撮影が認めれていません。
※胎内めぐりは社務所で手続きと拝観料を納める必要があります。

他では経験できない貴重な体験スポットです。 


当時、交野に勢力を保っていた肩野物部氏という、

物部氏の一族の氏神として篤く信仰されていたことが

わかります。片野や肩野という名前から

福岡・北九州の一族が関わっていることがわかります。

天磐船と同じぐらい大きな巨石が多数あり、

大自然の中に、神さまの存在を感じ取れるような、

場所(神聖)です。


磐船神社の創祀年代は明らかではありません。


磐座信仰(いわくらしんこう)という

神道最古の信仰と伝承の内容から、創祀年代は

縄文から弥生への過渡期まで遡ると考えられます。


物部氏を中心として祭祀が行われて、
山岳仏教(修験道)などの影響を受けるようになり、
平安時代には生駒山系の一大行場とされました。

境内には石仏や、不動明王像が祀られています。
弘法大師・空海の作と伝承されています。


 
『社務所にいます』
『胎内めぐりに行ってました』

と返信がありました。

ずっと境内にいたのに
どこですれ違ったのでしょう爆笑

すれ違ったらすぐわかれはずなのですが、
これまた不思議な現象です爆笑爆笑

無事に社務所で3人と合流することができました。

胎内めぐりが終了して、
社務所へ報告しているところでした。

合流するなり、りこさんが
『よくぞ、来なさったな』と低い声で言われたように
感じた、とのことでした。


宮司に3人と合流できたことを
お知らせしましたが、朔日参り、
社務所前はご朱印やお札・御守り、胎内巡りの
参拝者でいっぱいでした。

宮司に 

『せっかくなので、合流した3人ともう一度
手を合わさせていただいてもいいですか?』

と、お聞きしたところ、

『(バタバタされていて立会えない)どうぞどうぞ』

と、ありがたいお返事があり、
遠慮なく手を合わさせていただきました。

月次祭が終わったばかりの御神前は、
とても心地よくまだ神さまがいらっしゃるのが
わかります。


玉串奉奠をさせていただいたのですが、
まだ、玉串がいくつか残っているのが目に入りました。

『もし良かったら今からでもさせてください』
と神さまにお願いをしたら、嬉しそうな反応があり

そしたら、りこさんが
『玉串、ちょうど3人分ありますね笑
神さまが見越して用意してくださってますね』と

おねがいおねがいおねがい

ということで、
3人にも玉串奉奠をしていただきました。


そして、瀧川神社でエネルギーをいただいた巫女鈴と
記念写真を撮らせていただきました。


とてもキラキラしている、喜ばれているのが
よくわかりました。

御神鏡をそっと覗くと2体の龍が


立派な白龍と黒龍の奉納画でしたキラキラキラキラ


瀧川神社で出会った参拝者さんが
『川の流れは『流』、神さまも『龍』
2つとも『りゅう』と読みますよね!!!
だから、龍神さんは要らないものを流し
あたらしいエネルギーを流してくれると信じています』

すごくいいはなし、感動しましたおねがいおねがいおねがい


饒速日命が高天原より持って来られた
十種瑞神寶(とくさみずのかんたから)により
鎮魂祭(たましずめのみまつり)を行い、
病に苦しむ人々を助け、死人をも蘇られたと
云われました。

加持祈祷の根元として神道のみならず
修験道、密教、陰陽道からも崇敬されて来ました。
子孫の物部氏は古代大和朝廷における最大の
氏族を形成し、代々の天皇に仕えてきました。


瀬織津姫の御神徳は、月の女神の力、
再生と復活の同じ意味をもちます。
瀬織津姫とつながりの深い始祖の饒速日命の存在を、
祀り敬うことで、たくさんの方のいのちを
救いたかったのかもしれません。

一緒に参拝してくださった皆さま
本当にありがとうございました。

久しぶりに磐船神社にお参りができて
感謝を伝えられて良かったですおねがい