ペタしてね

見方道アドバイザーのどいしゅうです

今日数あるブログの中から、
わたしを見つけてくださった皆さん

ブログ筆者のどいしゅうについてはこちらをご覧下さい。
https://ameblo.jp/ny358/entry-12492166128.html

出会ってくださり、本当に、本当に
ありがとうございますおねがい

そして、いつも
ブログを読んでくださっている皆さん

今日も無事に更新することが出来ました
再びここで出会えたことに、
心から、心から、感謝申し上げます

ありがとうございますニコニコ


突然ですが、

どうしても三宅島に参拝に
行きたくて仕方がない

という気持ちが湧いてきては抑えて
抑えてはまた湧いてきて、、、

抑えようとしても抑えきれず
(旅費、いったいいくらかかるんだおーっ!

3月14日に三宅島観光協会に連絡をして
宿とレンタルサイクルを予約しました。

そして、船もなんと簡単に
予約できてしまいました。

わたしは飛行機も船も大の苦手キョロキョロ
でも、この二つしか航路がありません。

それでも、行きたい!!!と思ったのは
わたしにとってはすごいことなんです。

出発は、3月20日・春分の日(宇宙元旦)


しかも、前日は便は八丈島まで行かず
三宅島止まりで欠航。

すぐに東京へ引き返してきたそうです。

ということで条件付き就航になりました。

窓口の方に、強風の影響で接岸できないときは
引き返しますと言われる始末。

無事に着くように祈りながら乗船しました。


22時30分に出発

三宅島には朝5時半に着きます。

東京湾を出た途端に強風と波で
船は大揺れで、波が船にぶつかる音で
まるで湯船に頭をつけて入ってるような音が
寝ている間ずっと聞こえてました笑い泣き

航路は、東京~三宅島~御蔵島~八丈島

無事に、三宅島に到着しました。

西風が強く西側の港には接岸ができないため
東側の港に接岸しました。
(三宅島には港が3つあります)

次の御蔵島は、港が1つしかなく
強風で接岸ができないため
そのまま八丈島へ向かいました。

宿の方に迎えに車来ていただきました。

同じ宿に泊まる方(女性)も同乗していました。

聞けば三宅島の雄山(おやま)登山が
4月1日に解禁になるとかで、
その認定ガイドになるための説明を
受けに来られたとか。

(参考)朝日新聞デジタル
東京)三宅島でエコツーリズム 噴火後の火口付近を見学

何よりもこの方、

2014年御嶽山に登山中
噴火があり慌てて
近くの大きな石の下に身を隠し
九死に一生を拾われた方でした。

命が助かったからこそ、
『火山登山の現状や噴火の
生々しい姿を知ってほしい!』
と思われたそうです。

すごい方と同席しました。

部屋で仮眠、おいしい朝食を頂きましたナイフとフォーク


宿の方
「船空いてませんでした?」

わたし
「そうですね。空いてました。三宅島に
行こうと決めたの1週間前でしたよね」

宿の方
「例年の今ごろはは船は満席で、なかなか
予約が取れないんですよ。コロナウィルスの
関係で船に乗るのに抵抗がある方もいると
思います。島も観光客の方が減っています。
だから、ある意味ラッキーですよ!』


あ、そうだ。コロナウィルスのこと、
船のことをすっかり忘れていたわたしおーっ!

去年だったら、1週間前に来たくても
来れなかったかもしれない。

でも、

来る予定になってたんだな

神さまもどうしても来てほしかったんだなと
感じました。



宿を出発。

島の観光協会で、
レンタルサイクル自転車を借りました。


島はアップダウンが激しいため、
電動アシスト機能が付いています!!

いざ、三宅島を1周します。
(1周約30kmあります。車では1時間弱)

三宅島の富賀(とが)神社神社
祭神は、事代主命、伊古奈比咩命、
阿米都和気命となっていますが、
大山祇神や、瀬織津姫も鎮座しているのでは
と感じて確認で来ました。

3月26日(旧暦3月3日)は
瀬織津姫の誕生日ということで、
静岡県伊豆の国市・広瀬神社、
三島市の瀧川神社へ参拝に行きます。

詳しい経緯は
↓↓↓

元々、富賀神社は三宅島の雄山八号目に
鎮座していましたが火山の噴火で焼失。
その後、荒島神社に一度鎮座して、
現在の富賀山に鎮座しました。


お社はこちらです


荒島神社でしっかり参拝した後は、
富賀神社に向かいます。


ご祭神には、もちろん
大山祇神も瀬織津姫の名前もありません。


太陽の光がますます射してきました太陽キラキラおーっ!


三の鳥居をくぐると修復されて
キレイになった拝殿がありましたキラキラキラキラキラキラ

動画を撮影しましたが、とてもとても神々しかったです。また機会がありましたらアップいたしますおねがい

拝殿で、祝詞を奏上します。


祝詞を奏上したあと、拝殿裏に回ると本殿がキラキラ

門が閉まっており行けません。
祭典など特別なときしか昇殿できないようです。



本殿
↓↓
こちらのホームページに修復前後の
拝殿・本殿・神輿堂・参道が掲載されています

ずっとここに居たい!

後ろ髪を引かれながら、

明日も会いにきます!!

と約束し、残りの神社の参拝に向かいます。


次の神社に寄る前に3ヶ所寄ります。

新澪池(しんみよういけ)は
1763年の噴火によりできた火口湖です。
水面が七色に変化する美しい池として
親しまれてきましたが、


1983年の噴火で溶岩が流入し、
池の水と溶岩が接触、激しい水蒸気爆発の後
池の水は無くなりました。

見た目はただ、池の水がなくなった場所
ですが、、、、

みくびってはいけない。

大自然、雄山に
強い畏敬の念を感じました。


周囲2Km、水深30m伊豆諸島最大級の
淡水湖の大路池(たいろいけ)


三七山から見えるひょうたん山です


『こんにちは~』

観光協会で同じレンタルサイクルを
借りた方から声をかけていただきました。

(わたしが乗ってきた同じ船で)
本当は御蔵島で降りる予定だったそうですが
接岸できないと放送があり、
急きょ三宅島で降りたそうです爆笑

ここで、お会いしたのもご縁と
わたしが朝知り得た三宅島の情報を提供
とても喜んでいただきました。

わたしは島を反時計回り、その方は時計回り
お互いに気をつけて回りましょう~
と励まし合いお別れしましたバイバイ


わたしがご縁を感じる
島内の主要な神社を巡ります神社

海を眺めながら、自転車をこぎ続けます


地図を見たら、

あっ笑い泣き

いつの間にか2~3Km
通りすぎていたようで、慌てて引き返します。


着いたのは、椎取(しいとり)神社


2,000年の噴火で、堆積した火山灰が
大量の泥流となり社殿と鳥居を飲み込みました。


埋まってしまった鳥居
当時の泥流のすさまじさを物語っています。

ベンチと勘違いされて、
よく座る観光客がいるとか笑い泣き


今は、社殿と鳥居は新たに建てられました。


火山ガスにより、社殿を取り囲む鬱蒼とした
森は大半が立ち枯れしましたが、
緑が復活と再生しつつあります。

奥には本殿があります。
巨石の中にひっそりと鎮座していました。


巨石に護られていました照れ


こんな光るキノコが生え
幻想的な風景が見られるそうですきのこ


続いて、向かったのは、

御笏(おしゃく)神社

永正3年(1516)に建てられた
三宅島の創造主事代主命の后
佐伎多麻比咩命を祀る神社。

平安時代初期、来島したとされる壬生氏は、
三島大明神を奉り、大明神の代官として
集団来島し、およそ1000年にわたり三宅島の
祭政を統治してきました。


御笏神社内に居を構えてきた(島役所跡)
島の神官の壬生氏



とても神々しかったです


なんだか、吸い込まれるように
足が向いたお社へ

境内に熊野神社がありました。


よく見たら、島根県にある
出雲國一宮の熊野大社の御札がありました。

主祭神は、スサノオノミコト
(熊野大神櫛御気野命)です。

熊野と言えば、

和歌山の熊野三山(熊野本宮大社、
熊野速玉大社、熊野那智大社)が有名です。

熊野大社から和歌山(紀伊国)に勧請
社伝では(松江市八雲)熊野村の住人が
移住したときに分霊したのが
熊野本宮大社の元であるとしています。          

もちろん祭神は、複数祀られていますが、
総称は『熊野権現』と呼びます。

実は、熊野権現と呼ばれる前までは
瀬織津姫の名前が使われている史料が
見つかっています。
(宮城県に瀬織津姫が祀られたのは718年です。
(熊野権現に変わる前に)熊野本宮神として運ばれた
ことからわかります)

瀬織津姫、神官・壬生氏のいる御笏神社で
大切に祀られていましたお願い



星地上と海上を渡り、出雲國(島根)
→紀伊國(和歌山)→三宅島へと、
奉斎団が移動してきたスサノオノミコト
子孫の大国主命、大国主命の子の事代主命。

星海上を渡り、伊予國(愛媛)
→紀伊國(和歌山)→三宅島へと、
奉斎団とともに移動してきた
大山祇神と瀬織津姫。


古事記や日本書紀で、スサノオノミコトは
荒ぶる神というイメージで書かれていますが、
わたしが感じるスサノオノミコトは
瀬織津姫と同じように、真清水のように
ピュアで優しいのです。


話が長くなりましたので
続きは次回にキラキラ

今日はこの辺で

ありがとうございますお願い