自分の中で絶対的に存在していたもの、
揺るがないものと思っていたものすべてが覆された、そんな大きな変化のある年だった。
思えば叔母の病気が発覚したことから始まっている。祖母、いわゆる父の母親の時もそうだった。
自分に起こるすべてのことには必ず意味があるもの
物事を静観していた子供の頃の私は
どこか達観したような感覚で幼少期から生きてきた。どちらかと言うと争い事が苦手で、起伏の激しいほうではなかった。
でも
自分に1番近しい肉親の病に対してだけは
自分に起こってきたすべてのことにさえ恨みを覚えるほど
自分の感情が大きく揺れ動くのが分かった。
自分をとことん責め続けた。
あの日 あの時 こうすれば ああすれば
何でもっと こう出来た もっとあんなふうに
後悔先に立たず。
2016年の秋、実は大好きなアーティストのライブへ行くことが決まっていたが、それどころではなくなりギリギリのところで断念した。
でもその代わり、父の頑張る姿、乗り越える姿、喜ぶ姿をこの目にしっかり焼き付けることが出来た。仕事と田んぼ以外であんなに真剣にいまを生きる姿を見たのはおそらく初めてだった。
病気発覚してからの私の想いを、神様はきっと分かっていたんだろうな。
心から感謝。
退院してきてからも、時間を作っては父や母と過ごす時間にすべてを注いだ。
年末も、父と皆で豪華な食事を出来るのは最後かもしれない。との想いで
皆で父を囲い穏やかな年越しをした。
穏やかに どうかゆるやかに 時間が過ぎてほしい。
そう願いながら2016年の幕を閉じた。