I=顕在意識(既得情報でできている意識)主体
ME =潜在意識(生まれた頃の記憶)客体
山羊と羊の違いを見分けられるようになったソナタは、私は「羊である♪」ということを強く念じるようになることだろう。
ボクはいつも、いつまでも、最初からいっている。
「得ようとするな」と。
見えるようになったからといっても″驕るな″と。
山羊に対し「なんだコイツ」と思ったならば、自分がなんだコイツに値する位だということ。また、悪いとされる事象が起こったとき、怖れから心配になるならば、魔力は低下することだろう。
§全ての事柄は最良に向かうために起こっている§と唱えるとよいだろう。
強引に『意識する-唱える-』必要はない(日を迎えよ)。
『混沌の森の樹海-既成概念と未知との狭間-』で魔を仲間にする事ができなければ、いくらMeを召喚できたとしても、『三位一体化-完全体(見るモノ全てが語りかけてくる)-』はなし得ないだろう。この叡智は第六官と呼ばれるモノだ。
その語りかけの情報源をボクは§と呼んでいるが、§である彼?空間?場?が語りかけてくれているものというのは、ありとあらゆる正確な情報である。さらには万物に共通し使用できる優れた情報である。
ある者の「天使とのチャネリング」といわれているモノは自分の潜在意識だが、
ボクのいう§は超意識、主の無意識によるものである。
§と繋がるには『天使-光(羊)-』を『崇めて-求めて-』はならない。
『天使-Me-』は我、僕(しもべ)とせねばならない。
「以前の悪い私-山羊-が出てきた
![](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/029.gif)
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「落ち着こう」とすればするほど落ち着かないのだ。「既に魔に追い付かれている」ともいえよう。
△受け容れる-解放する-▽のだ。
『奴隷-洗脳されること-』がそんなにいいか?🎵
今こそ汝、呪文を唱えよッ!
愛する息子の具合が悪くなったのならば、「じゃぁ気持ちよくなれる事(平穏)が待っているなぁ♪」と唱えてさしあげよ。
即席の『ヒール-癒し-』である。
しかし山羊にとってはその名のごとく「呪われた文言」となろう。
『快楽-平凡-』は苦によって経験される。
苦難が無いことこそが苦である。
平穏こそが幸せであるというわけだ。
しかしボクは苦難なく幸せを見出だす術をここで伝えている。
『求める-Meにたよる-』な。永遠と逃げなければならなくなるぞ🎵『魔-過去の自分-』から。
「如何にして与えられるか」とMeを遣うのだ。さすれば『魔神』が召喚されよう🎵
『生きる-維持させる-』と意識することよりも、いずれ死ぬならばさっさと『死ぬ準備をしておこう♪-解放-』と意識する方が案外楽しいぞぉ~🎵
貴様ごときが生き長らえようと、小癪な!
『死ね-解放しろ-』!
いいか、羊よ。前を向いて上がろうとするな。後ろが気がかりとなるから。ボクが後ろを援護するから君は後ろ向きで上がっていけ!