去年(2023)母は実母と実弟を病気で亡くしました。
私は母と母の妹である叔母さんを元気つけるべく台湾旅行を2人にプレゼントしました(航空券だけだが)
母71歳、叔母さんは69歳。
私もそんなにお金に余裕がある訳ではなかったので行きはビジネスクラスでも帰りはエコノミーで少し申し訳なくなりました。
ビジネスクラスに並んでいても何回か「エコノミーは向こうの列ですよ」とCAさんに声をかけられ悔しかったですが「身なりがビジネスに見えないよねやっぱり(^^)」とみんなで笑っていました。
ただ、ホテルは中島家の協力もあり台南の良いホテルを取ってもらいました。
「ベッドがフカフカで気持ち良いね〜」と広い部屋と大きなお風呂に感動していて私は嬉しくなりました。
2人は小さい頃から貧乏で苦労をして来たので、中島家の豪華過ぎるおもてなしにただただ恐縮していました。
次から次に出て来る見た事も食べた事もない料理に母は
「フカヒレとか北京ダックとか、こんなの一生食べられないと思ってたよ。何か申し訳ないね。」
とどれだけお腹いっぱいでも絶対に残さないように綺麗に食べてあまり強くないお酒も無理して飲んでました。
回転テーブルは回し方が分からずあたふたしてました。
「良い服持ってないけどこれで良いかな?さとこ(姉)が送ってくれたセーターだよ、可愛いやろ?(^^)」
と姉からもらったセーターを汚さないように実家に存在しないナイフとフォークでせっせとステーキを食べてました。
高級お寿司屋さんではなるべく音を立てないように静かに食べていました。誰も怒らないのに。
少しでも中島家と対等に食事が出来るように気を遣ったのか、母は私が前にあげたゴッホのスカーフをファッション関係なく首に巻いて来ました。
巻き方が分かってないので前掛けみたいになってましたが、私は恥ずかしくも何ともないし誰よりも素敵だと思って見てました。
ただ、折角お洒落してるのにエルメスを買ってあげられなくて少し申し訳なくなりました。
朝食のビュッフェでは取れるだけの種類の物を取り、お腹がパンパンになるまで遠慮なく食べ、無料の物は全部カバンに詰めて持って帰る、を母は毎朝やってました。
ヤクルトやヨーグルト、果物が帰りの手荷物のバッグに沢山入っていました。
私は「空港の手荷物検査で引っかかるからこんなに持ってったらダメだよ」と口では言うものの
両親が被爆者で食べ物がない時代に育ち、長女として兄弟や親を食べさせてあげたい一心で頭が良かったのに高卒で働き、23歳で東京の仕事を辞め田舎に嫁いで6人の子供を育てあげた母を思うと、涙が出て止まりませんでした。
観光地に行っても気になるのは畑で何の野菜を作っているのか?どんな魚が取れるのか?と叔母さんとそんな話ばかりでやっぱり母は母だなと思いました。
中島の母が中島(長男)に凄く厳しくて次男の弟は少し甘やかして育ててしまって後悔しているという話をしていた時母が、
「長男や長女はね、最初の子供だから手探りなんだよ。どうしても厳しく育ててしまうんだよね。親はみんな平等に愛情を注いで育ててるつもりだけど子供はそうは捉えないもんね。長女には苦労かけたな…。」
と、姉の事を思って少し目が潤んでいました。私は5番目だからだいぶ恵まれてた方だと思います。
帰る時に何が1番楽しかったか聞いてみたら、
「あんたがチュンハオ(中島)やママ達と仲良くやっているのを見れたのが1番良かったよ。何だかんだで親は子供がちゃんと幸せそうに生活しているのを見るのが1番嬉しいんだよ(^^)」
と言いました。
今回は色々と考えさせられる旅で、生きてるうちにもっと母達を色んなところに連れて行ってあげたいなと思いました。
それから中島家本当にありがとうございました🙇♀️
End
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