先週は小学校の道徳の授業の参観日。
参観後の保護者だけの懇談会にて、日米教育の違いについて問題提起しましたが、一石を投じたか波紋を起こしたか、どうでしょう。

一年生の授業の趣旨は、オオカミが自分よりも小さい動物たちにイジワルをしていましたが、自分よりも大きなクマに優しくしてもらったのをきっかけに自分も優しくなれました。このお話にそって、動物たちの気持ちを考えて話し合い、優しくするって自分も相手も気持ちいいというのを認識するのが狙い、とのこと。

たくさんの子どもが手を挙げて意見を述べてとてもよいディスカッションになりました。
、、というのは子どもたちや表向けの感想です。

捻くれ者の私から観ると、作者の意図を読み取る国語の授業ならいいのですが、ディスカッションがどうも、解が決まっている誘導のように思えてなりません。

差別をなくす目的の人権の授業であるならば、一言、、、。

オオカミは昔話や絵本でも悪役で登場することが多いですが、肉食動物で黒くて口が大きいだけでこの扱いをされるのはある意味差別/偏見です。

もしかしたら、このオオカミは昔はいい子だったのに、おじいさんが犯罪者だからとか、付き合いが悪いからとか、見た目の理由から、他の小動物から白い目で見られたり、冷たくされているのかもしれません。もしかしたら、自分の親から見捨てられたり、暴力をうけているのかもしれません。

性善説にたつと初めからイジワルな子はおらず、何らかの背景があり、小動物たちにイジワルという形でストレス発散してしまっていると考えられます。

そのいじめっ子は、はたしてちょっとやそっと、大きな動物(先生/先輩)から優しくされたところで、イジワルをやめるのだろうか。根本となっている差別や家庭の問題を解決してあげないといけないのではないだろうか。。。

このように多様な立場にたって人の気持ちを考え、多様な意見がでてくることを学校のディスカッションでは期待していました。

日本の人権セミナーなどでは、自分たちは差別をやめよう、という差別をしうる強い側の立場から述べられることが多いですが、実際には、私たちは誰だって差別を受ける弱者になりうると思います。

実際、私自身も職場では女性だからとか、ママの間では働いているからとか、何かしら嫌な思いをしたことがあります。
そして、海外、特に西洋諸国に入った途端、アジア人は間違いなく差別を受ける側になります。

差別を受けた時にどのように考え、自尊心を維持して、力強く自己主張していくか。
また、差別やイジメを受けていたり、している子どもたちの気持ちを一緒に考えて解決していく。
こういったことは、今後の子どもたちも身につけないといけない大切な生きる力だと思います。

懇談会で先生や他の保護者からはどう受け止めてもらえたかは不明ですが、前向きに捉えてもらえていますように。