2024年5月7日

仕事を午前で切り上げて大学病院へ。

電話で早く来てって連絡来てから
1週間。


この日までずっと考えてた
わたしって何の病気なんだろうって。


予約時間は15時で
親も県外からはるばるやって来てくれて

病院の待合室で待つ。


このときは癌だなんて思ってなくて

コンビニ行ったり煙草いったりする父、

スマホでゲームしてる母、

わたしもスマホ触ってた。



予約時間の15時を過ぎても全然呼ばれず

待ち時間が長いことに少しいらいらしつつ

不安と緊張も高まるばかり。


やっと呼ばれたのは、
もう17時半過ぎだった。


診察室に両親と揃って入り、

まずはお医者さんが両親に
4月22日に受けた検査入院について説明。

ポリープもしっかりあって、
取れるだけ取りました。と、

そしてそのポリープの組織を調べた結果

癌でした。と、

静かに、率直に伝えられました。


この瞬間から
わたしはもう時が止まったかのようで

隣で悲嘆する母、
冷静だけど慌ててそうな父

それを感じながら

ああ、癌だったのか、と

悲しいというか、ショックというか、
もう何も考えられないわたし。


なんのために遠くから両親を呼んだんだ。

こんな結果を聞かせるために
来てくれたんじゃない。

悲しませたくなかった。

ここまで何不自由なく育ててくれた両親に

娘が癌である、ということを

知らせたくなかった。


あーあ、1人で来ればよかった。

そしたら隠せたのに。


そう思ってた。


両親の前で泣きたくなくて

あと、あんまり涙出てこないのもあって、

わたしも冷静に、落ち着いた感じを出し、

お医者さんに聞けることは聞こう、とした。

子宮体がん、正式名称?は
類内膜癌。

ステージはこの病院で撮ったMRIからは
IB期(子宮筋層の1/2以上)、

病理検査から
グレードは3

とても顔つきが悪いがん細胞です、
と教えてもらった。

妊娠はもう無理です、

まず妊娠しないと思うこと、
子宮内膜が癌なので、受精卵が着床しにくいと考えられるって

妊娠したとしても
子が産まれるまでにわたしが死にます、と

子宮全摘出しか治療方法はありません、と。


わたしの未来が1つずつ潰されてく感じ


6月に入籍する予定だったのに

わたしはもう子どもを授かれないのか、

両親に孫を見せてあげられないのか、

旦那と我が子を抱けないのか、

結婚する意味あるんだろうか、

旦那は結婚してくれるのだろうか、


自分が癌ってことより

旦那のこと、将来の子どものことしか
考えられなかった。


この大学病院では癌の治療をしていないため、
転院が必要で、

ちょうど旦那と2人暮らしのために
引っ越したこともあり

引っ越し先の大学病院が癌治療をしていたため
そこを紹介してもらった。


帰り道、
ひどく沈んでいる両親を見て

わたしこそ明るく振る舞わなきゃいけない、と
話を振ったりするけど

やっぱり考えてしまう

両親と一緒に
わたしの家に帰ると
もう帰ってきてた旦那

どうだった?と聞いてくれる旦那に

癌だった。と
一言だけ伝え

両親が地元に戻るために

わたしと両親で駅までのタクシー探し。

全然捕まんなくて

結局バスで帰ったけど

それがもう19時過ぎとか。

途中から旦那も一緒にタクシー探してくれたけど

旦那の目は真っ赤だった。




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