愛というもの | すいかの想いごと

すいかの想いごと

摂食障害、解離性障害、発達障害(ADHD、ASD)などを抱えながら、介護業界で看護師をしています。
その時の想いごとなどを綴っています。

愛をしらずに育ったんだと思う。

与えられたのかも気付かずに。

だから、恵まれた、普通の、そんな家庭の中で幸せを感じなかった。


背中を押されても、いつも死ねなかったのは

死ぬつもりなんて到底ないからなのかもしれない。


見下されているくせに、人を見下す。

勉強のできないやつは、ばかなんだと思う。


最低だ。

そうやって、自分のプライドを守ってきたんだろう。


ありふれた言葉と感情をつなげずに、

「そんなこと言いたいんじゃないのに」「そんなつもりじゃないのに。」


それは、言い訳になる。

言い訳する奴はカッコ悪い。

だから、あたしはカッコ悪い。


死ぬわけにはいかない理由はある。

でも、死ねない理由とはちょっと違う。言い訳だけど。


大好きな人に抱かれている最中に死ねたら本望だろう。

でも、そんな願いをかなえてもらえるほど、あたしはいい人ではない。


嘆き、苦しみ、死んでいくのみ。


愛されているということは、抱かれて、つながれること。

繋がれている2人の体は、確かにそこにあるもの。それが愛。


愛というものを知ったとき、

誰のどんな愛でもいいから欲しいと思った。

ゆがんだ愛情と言われようが、遊ばれているといわれようが、

あたしにとって、それはかけがえのない愛なんだ。


また愛がなくなった。

でも、愛を求める年齢ではなくなった。魅力もない。


愛が欲しい。だれか、あたしに愛をちょうだい。