こんばんは。
少しだけ秋の気配を感じますね。
待望の週末に雨模様→意気消沈の私ですが、
皆さん、いかがお過ごしでしょうか?
そんな週末も日曜は天気にも恵まれまして、
恒例の?追憶活動に行ってきました‼️
そして今は地元cafeでまったり
読書、ブログ訪問、執筆等を....
さて、タイトルの件ですが、
テーマはかつて羽田空港内にあった
鳥居でして。。。
時代の要請、流れもあり、羽田空港は
その後は羽田神社も参拝し、
幾度となく計画された羽田空港の滑走路
拡張計画。
それに合わせた敷地内の鳥居撤去の段に
なると不吉な出来事が相次ぎ.....
『呪いの鳥居』
と呼ばれていたその鳥居を目指してRUN
してきました‼️
古くは戦後にGHQが羽田空港を接収し、
軍用地化を進めるべく、地域住民も含めた
大規模立退きを強行した際には....
①
鳥居を引き倒そうとしたロープが切れて
作業員が怪我を負い、工事責任者が病死。
②
昭和29年から始まった滑走路拡張工事でも
事故が相次ぎ.....
③
1982年に計画された拡張工事も
同年2月に日航機が羽田空港着陸寸前に
エンジン逆噴射→墜落→拡張計画が白紙に.....
そのような経緯もあり、触ってはならない
鳥居として空港内の駐車場に残されて
いたのですが......写真はお借りしました↓↓↓
時代の要請、流れもあり、羽田空港は
1999年に国際空港としての機能拡充を
意図した大規模な沖合移転を計画し、
大鳥居も移転を余儀なくされました。
その際には、これまでにない程の丁重な
地鎮祭が執り行われ、現在の場所への
移転が無事に完了したのです。↓↓↓↓
正面はフェンスに囲まれた飛行機の
整備場であり、位置関係的には現在の
『旧穴守稲荷神社門前鳥居』は空港敷地外に
鎮座しています。
従って、ここから700m先にある穴守稲荷
神社門前の一の鳥居としての意味合い、
位置付けは既になく、かつて羽田が隆盛を
極めた時代の象徴としてその鳥居は今を
生きていました。
都市伝説はさておき、
現地に立って感じたのは、この鳥居を残して
おきたい‼️
との地域の方々の思いでした。
そして、合わせて訪れたのは穴守稲荷神社⛩
その後は羽田神社も参拝し、
ご朱印をいただきました!
欲を言えばリアルタイムで羽田空港敷地内に
鎮座していた鳥居を見たかったですが、、、
伝説の鳥居をしかと目に焼き付けました
そんな日曜日のラン↓↓↓
→電車でgo(帰宅)
相変わらずの走力不足→疲弊っぷりが
まーまー酷い日曜日。
次の追憶はどこ?
さて、シルバーウィークを指折り数えて
また明日から頑張りますか?
あなたは?







