いつかはアジア、ヨーロッパ大会へ -2ページ目

いつかはアジア、ヨーロッパ大会へ

ソウル、香港〜シルクロード、イスタンブールを走ることを夢見る生涯現役ランナーのマラソンライフ

こんばんは。
少しだけ秋の気配を感じますね。
待望の週末に雨模様→意気消沈の私ですが、

皆さん、いかがお過ごしでしょうか?


そんな週末も日曜は天気にも恵まれまして、

恒例の?追憶活動に行ってきました‼️


そして今は地元cafeでまったり

読書、ブログ訪問、執筆等を....


さて、タイトルの件ですが、
テーマはかつて羽田空港内にあった
鳥居でして。。。


幾度となく計画された羽田空港の滑走路

拡張計画。

それに合わせた敷地内の鳥居撤去の段に

なると不吉な出来事が相次ぎ.....

『呪いの鳥居』

と呼ばれていたその鳥居を目指してRUN

してきました‼️


古くは戦後にGHQが羽田空港を接収し、

軍用地化を進めるべく、地域住民も含めた

大規模立退きを強行した際には....


鳥居を引き倒そうとしたロープが切れて

作業員が怪我を負い、工事責任者が病死。


昭和29年から始まった滑走路拡張工事でも

事故が相次ぎ.....


1982年に計画された拡張工事も

同年2月に日航機が羽田空港着陸寸前に

エンジン逆噴射→墜落→拡張計画が白紙に.....



そのような経緯もあり、触ってはならない

鳥居として空港内の駐車場に残されて

いたのですが......写真はお借りしました↓↓↓


時代の要請、流れもあり、羽田空港は

1999年に国際空港としての機能拡充を

意図した大規模な沖合移転を計画し、

大鳥居も移転を余儀なくされました。


その際には、これまでにない程の丁重な

地鎮祭が執り行われ、現在の場所への

移転が無事に完了したのです。↓↓↓↓

正面はフェンスに囲まれた飛行機の
整備場であり、位置関係的には現在の
『旧穴守稲荷神社門前鳥居』空港敷地外に
鎮座しています。


従って、ここから700m先にある穴守稲荷

神社門前の一の鳥居としての意味合い、

位置付けは既になく、かつて羽田が隆盛を

極めた時代の象徴としてその鳥居は今を

生きていました。



都市伝説はさておき、

現地に立って感じたのは、この鳥居を残して

おきたい‼️

との地域の方々の思いでした。


そして、合わせて訪れたのは穴守稲荷神社⛩



その後は羽田神社も参拝し、
ご朱印をいただきました!

欲を言えばリアルタイムで羽田空港敷地内に
鎮座していた鳥居を見たかったですが、、、

伝説の鳥居をしかと目に焼き付けましたニヤリ

そんな日曜日のラン↓↓↓


大井町〜羽田エリア〜蒲田駅で撤収の12km
→電車でgo(帰宅)

相変わらずの走力不足→疲弊っぷりが
まーまー酷い日曜日。
次の追憶はどこ?



さて、シルバーウィークを指折り数えて
また明日から頑張りますか?





あなたは?