下関海響マラソンレポ | いつかはアジア、ヨーロッパ大会へ

いつかはアジア、ヨーロッパ大会へ

ソウル、香港〜シルクロード、イスタンブールを走ることを夢見る生涯現役ランナーのマラソンライフ

おはようございます!

昨日は神戸マラソン、三豊うらしまマラソン
等、お山メンバーを始め多くのラン友さん
の熱い走りに刺激をもらった私です。

皆さん、お疲れ様でした!


しっくりくる書斎が開拓できておらず、
ブログ執筆も連動して遅れています😅

さて、すっかり遅くなってしまいましたが、
下関海響マラソンの旅レポ⁉️
をお届けします。


この大会は7年前にエントリーするも
海外赴任が決まり無念のDNSとなった
大会で、満を持しての出撃と相成ったのですが、
今回もまた....転勤という巡り合わせ(;ω;)

着任後のバタバタの中、どうにかこうにか
下関へ向かう旅の人になることができました。

瓦そばで腹ごしらえの後は

400年前の決闘の地、巌流島へ

同じ場所で、1987年にはノーピープル、
ノーレフリー、お互いのプライドがルール....
というこんな激闘もありましたね。

400年前と31年前の激闘の地に降り立つ
ことができました。

そして

平家滅亡の地、壇ノ浦‼️

5さん、屋島合戦に続く源平合戦のハイライト!
お約束どうり行って来ましたよ(笑)


義経率いる源氏勢の猛攻に平家は敗色濃厚。
その折に平家に担がれていた安徳天皇は
......当時まだ6歳。

インターネットより抜粋↓

何も知らない安徳天皇は二位尼に尋ねます。

安徳天皇

「おばあちゃん、どこへ行くつもりなの?」

 これに涙ながらに二位尼が答えます。

 二位尼「君(安徳天皇)は前世の良き行いにより、帝となられましたが、悪縁によりその命運は尽きてしまいました。東の伊勢神宮に別れを告げ、西の極楽浄土に御念仏くださいませ。あの波の下には、極楽浄土と呼ばれる素晴らしい都がございます。そこへ君を連れてゆくのですよ」

 安徳天皇も、流石に状況を察し涙ながらにこれに応じます。

二位尼が安徳天皇を腕から下ろすと、安徳天皇は手を合わせ東に向かって礼を、西に向かって念仏を唱えます。

 それを終えると、二位尼は再び安徳天皇を腕に抱え、「波の下にも都がございますよ」と安徳天皇を慰めながら共に入水します。

 こうして、安徳天皇は壮絶な死を遂げることになるのです。

天皇が入水するなど日本では前代未聞の出来事です。

抜粋おわり

もう涙なしでは語れません。。。


安徳帝を祀る赤間神社にも参拝


そして、

1185年の合戦、平家滅亡の地からほど近くに


〜1863〜1864年へ時空を超えて〜

西欧列強対長州藩の武力衝突
いわゆる下関戦争

関門海峡を睨むように配置された長州砲
でしたが、列強に敗北を喫した長州藩。
結果的にこの敗北がきっかけで維新へ 
向けて世の中が動き出す.....

様々な歴史的ターニングポイントになった
土地を訪れ、走れる喜び、これこそが
7年前に夢見たことでした。


こんな所も。。。

海底で県境越え

ってことで
もう十分下関を堪能したのでDNSでも
良いかな⁉️
って思ってみたり



🤘練習不足で記録は狙えないがサブ4だけは...
🤘30kmまではかなり正確にラップを刻む
🤘もしかして行ける⁉️
🤘30km過ぎから突然脚が鉛のように😭
🤘下関海響マラソンは30kmからが勝負
🤘2山×往復の計4山⛰
🤘膝上の内側に攣りの兆候
🤘脹脛はだましだまし走れるが
🤘膝上のヤツが執拗にまとわりつく
🤘run&walkモードに
🤘walk比率上昇⤴️
🤘前半「お先に」と挨拶したkおりさんに
     抜かれるも
🤘大丈夫ですか?と温かい言葉をいただく
🤘虫の息でゴール
🤘出走前にエール交換したナンシーさんを探す
🤘残念ながら発見できず

撃沈レース後の図


ふく入りスープが体に染み渡る〜


とにかく次回に向けて一から出直しです。

修行とは出直しの連続なり(笑)

今後の予定
2.3    丸亀国際ハーフ
2.10  愛媛マラソン
3.17  とくしまマラソン
4.28  第Q会 岐阜清流マラソン

ご一緒いただける皆さん、
よろしくお願い致します。