昨日は神戸マラソン、三豊うらしまマラソン
等、お山メンバーを始め多くのラン友さん
の熱い走りに刺激をもらった私です。
皆さん、お疲れ様でした!
しっくりくる書斎が開拓できておらず、
ブログ執筆も連動して遅れています😅
さて、すっかり遅くなってしまいましたが、
下関海響マラソンの旅レポ⁉️
をお届けします。
この大会は7年前にエントリーするも
海外赴任が決まり無念のDNSとなった
大会で、満を持しての出撃と相成ったのですが、
今回もまた....転勤という巡り合わせ(;ω;)
着任後のバタバタの中、どうにかこうにか
下関へ向かう旅の人になることができました。
同じ場所で、1987年にはノーピープル、
ノーレフリー、お互いのプライドがルール....
というこんな激闘もありましたね。
ことができました。
そして
5さん、屋島合戦に続く源平合戦のハイライト!
お約束どうり行って来ましたよ(笑)
義経率いる源氏勢の猛攻に平家は敗色濃厚。
その折に平家に担がれていた安徳天皇は
......当時まだ6歳。
インターネットより抜粋↓
何も知らない安徳天皇は二位尼に尋ねます。
安徳天皇
「おばあちゃん、どこへ行くつもりなの?」
これに涙ながらに二位尼が答えます。
二位尼「君(安徳天皇)は前世の良き行いにより、帝となられましたが、悪縁によりその命運は尽きてしまいました。東の伊勢神宮に別れを告げ、西の極楽浄土に御念仏くださいませ。あの波の下には、極楽浄土と呼ばれる素晴らしい都がございます。そこへ君を連れてゆくのですよ」
安徳天皇も、流石に状況を察し涙ながらにこれに応じます。
二位尼が安徳天皇を腕から下ろすと、安徳天皇は手を合わせ東に向かって礼を、西に向かって念仏を唱えます。
それを終えると、二位尼は再び安徳天皇を腕に抱え、「波の下にも都がございますよ」と安徳天皇を慰めながら共に入水します。
こうして、安徳天皇は壮絶な死を遂げることになるのです。
天皇が入水するなど日本では前代未聞の出来事です。
抜粋おわり
もう涙なしでは語れません。。。
安徳帝を祀る赤間神社にも参拝
そして、
1185年の合戦、平家滅亡の地からほど近くに
〜1863〜1864年へ時空を超えて〜
西欧列強対長州藩の武力衝突
いわゆる下関戦争
関門海峡を睨むように配置された長州砲
でしたが、列強に敗北を喫した長州藩。
結果的にこの敗北がきっかけで維新へ
向けて世の中が動き出す.....
様々な歴史的ターニングポイントになった
土地を訪れ、走れる喜び、これこそが
7年前に夢見たことでした。
こんな所も。。。
海底で県境越え
ってことで
もう十分下関を堪能したのでDNSでも
良いかな⁉️
って思ってみたり
🤘30kmまではかなり正確にラップを刻む
🤘もしかして行ける⁉️
🤘30km過ぎから突然脚が鉛のように😭
🤘下関海響マラソンは30kmからが勝負
🤘2山×往復の計4山⛰
🤘膝上の内側に攣りの兆候
🤘脹脛はだましだまし走れるが
🤘膝上のヤツが執拗にまとわりつく
🤘run&walkモードに
🤘walk比率上昇⤴️
🤘前半「お先に」と挨拶したkおりさんに
抜かれるも
🤘大丈夫ですか?と温かい言葉をいただく
🤘虫の息でゴール
🤘出走前にエール交換したナンシーさんを探す
🤘残念ながら発見できず
とにかく次回に向けて一から出直しです。
修行とは出直しの連続なり(笑)
今後の予定
2.3 丸亀国際ハーフ
2.10 愛媛マラソン
3.17 とくしまマラソン
4.28 第Q会 岐阜清流マラソン
ご一緒いただける皆さん、
よろしくお願い致します。










