舞台『ムサシ』
作:井上ひさし/演出:蜷川幸雄/出演:藤原竜也、溝端淳平、鈴木杏、六平直政、吉田鋼太郎、白石加代子 他]
渋谷コクーンに観に行ってきた。
今回は再再演なんだそうだ。
このあと、ソウル、広島、長崎、金沢で公演があるそうなので興味のあるかたは是非!
ちなみに、初演の時の小次郎は小栗旬さんで、再演(NY公演)の時は勝地涼くん。(涼ってこの字だっけ?)
今回が溝端淳平くん。
今回の演出はNYバージョン…らしい。
実はワタクシ昨年秋ごろだったかな?彩の国劇場で見てまして。
あまりの良さにコクーンでの追加公演をすぐさまGETしたんです。ワハハ
その時の、まァ今になって思うと、座席が良かったってのもあるのかな。
あと、雰囲気も良かった。
冒頭の竹林に誘われる感覚がとても刺激的で。
で、最後にネタバレして、あああ、と腑に落ちる感覚。
それを求めて再度コクーンへ行ったのだけど。
何かが微妙に違って。
まァ自分の体調不良も要因のひとつなのかもだけど、それほど入り込めなかった。
舞台はナマモノ。
それはcastだけでなく、お客も含めてなんだなーと。
愚痴ると、後ろの席のご年配の二人の笑いのつぼが違いすぎてイラッとした。
あとは、彩劇で女性多いなーってのがコクーンは男性が多く(それも年輩)。
それでも後ろの方いわく、今日は女性が多いなという感想で。
恐らく今日の客層の大半を占めてた人達とは普段見ている舞台が違うのかも。
蜷川さん演出にも一言ぶってて。
こういう演出してたら若いファンはついていかないよ~だとか。
…そうかなあ?
そういうズレもたぶんあるのだろう。
ま、体調不良じゃなければ集中して雑音関係なく楽しめたはず。
…なのか?
うーん。
でも何処かしらが彩劇の時と違ってた気がするんだよな。
この芝居は、芝居自体が大きな芝居のひとつ…な感じで。
っと、これは私の勝手な解釈だけど。
乙女さんは井上ひさしさんで、自らのスタンスを乙女に語らせてる部分を感じるってか。
格言めいたことやくそ真面目な気恥ずかしいことでも、みんなの好きな芝居という形をとって語ることで聞く耳をもって貰おう。
だから途中でみんなの興味をひくように演目を加えて…柳生の能狂言もそうだし、蛸もそうだし。
大衆演劇的というか、随所に日本の文化をっていうか。
実際、能狂言、特に能は武士の必須課目みたいなものだったらしく。
今でいう、国語の教科書みたいなもので、日本全国で同じ言語(方言じゃなくて標準語)を行き渡らせる事にも多いに関係してるらしい。←狂言見に行って聞き齧ったうんちくw
柳生始め、旦那衆が能狂言に詳しいというのはリアリティあるかもね。
(更に…一介の農民が狂言を作ってたというのもあるのかも。)
こうしてみると、NYバージョン前の演出を見てみたいかも。
演出の何が変わったのか。
興味あるな。
2回見たけど、吉田鋼太郎さんはとにかくいい。声がとにかく素晴らしい。通る。面白いし客もいじるし、アドリブというか芝居の反射神経?がきっとすごいんだと思った。
これは藤原竜也さんにも言えるかも。
白石加代子さんもほんとにいい。
ってか上手い。
溝端淳平くんの小次郎は彩劇で見たときの方が好きだった。
真面目で真っ直ぐでムサシに比べて若いのが。ちょっと上手くなりすぎて必死さが薄れた…まァこれは見る側の私の問題でもあるのかも。新鮮味みたいなこと。
藤原竜也さんは…とても顔が赤くて…病気?って心配になった。あれはメイク?
熱でもあるんじゃないかと。
声も嗄れてたし←いつもか?
それでも通るっては不思議なんだけどね。
踏み石?に剣が引っ掛かって一度で取れないところとか、転がってる木刀の片割れを足で邪魔じゃないように寄せるとか、live感が漂ってた。(笑)
名前忘れたけど、寺の住職(沢庵さんじゃない人)の悔恨のシーンも前回の方が素直に泣けた。
うーん。
つくづく、座席運とか自分の体調って大事だな。
体調悪いときは無理せず行かないという選択肢も考えないといけないのかも。
とりま、この芝居のメインはやっぱり脚本なんで。
ここまでして言いたいこと伝えたいことを汲み取って欲しいな~と。
まァ私の解釈だけど。
あのシーンは笑うよりも息を飲むべきで、緊張感と不気味さ、リアルな肉のむごたらしさを見せつけてほしかった。
笑いが起きたらそれを叱責するくらいのアドリブがあってもいいのかも。
なんかね、あそこで笑いが出たことで芝居が壊れた気がしたんだよね。
恨みとか復讐とか仇討ちとか、言葉で言うとかっこよく、何て言うか…男らしく?武士道とかって言うとかっこよく聞こえるかもだけど。
実際はただの血だらけの汚ない肉で。
そこには現実の痛みと苦しみとか、グロテスクな醜さしかなくて。
その自らに課した因縁、呪縛、鎖を自らにやいばを向けて断ち切る難しさ。
想いが強いほどそれは難しい。
細筆で書いた怨みの文字を中筆で上から書いて、さらにその文字を太筆で殴り書きして、さらに…と続けば、黒々と塗りつぶされるだけ。
誰かが何処かで断ち切らないと。
それはとても苦しいことだけど。
自らにやいばを向けるほど覚悟と勇気がいるけれど。
そんなシーンだったのになー。
(そんなシーンじゃなかったのか?解釈間違ってるのか?そこまで重要じゃないとか?)
私の思ったよりもなんだかさらっと終わった感が。
笑うシーンは武術がダンス練習になったとことか。
蛸のとことか。
(でも意外と大切なフレーズを散りばめてるから笑っててハッとする。)
どうなんだろ?
彩劇の時から演出が変わったのかな?
誰か見比べてる人いないか探してみよう。
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作:井上ひさし/演出:蜷川幸雄/出演:藤原竜也、溝端淳平、鈴木杏、六平直政、吉田鋼太郎、白石加代子 他]
渋谷コクーンに観に行ってきた。
今回は再再演なんだそうだ。
このあと、ソウル、広島、長崎、金沢で公演があるそうなので興味のあるかたは是非!
ちなみに、初演の時の小次郎は小栗旬さんで、再演(NY公演)の時は勝地涼くん。(涼ってこの字だっけ?)
今回が溝端淳平くん。
今回の演出はNYバージョン…らしい。
実はワタクシ昨年秋ごろだったかな?彩の国劇場で見てまして。
あまりの良さにコクーンでの追加公演をすぐさまGETしたんです。ワハハ
その時の、まァ今になって思うと、座席が良かったってのもあるのかな。
あと、雰囲気も良かった。
冒頭の竹林に誘われる感覚がとても刺激的で。
で、最後にネタバレして、あああ、と腑に落ちる感覚。
それを求めて再度コクーンへ行ったのだけど。
何かが微妙に違って。
まァ自分の体調不良も要因のひとつなのかもだけど、それほど入り込めなかった。
舞台はナマモノ。
それはcastだけでなく、お客も含めてなんだなーと。
愚痴ると、後ろの席のご年配の二人の笑いのつぼが違いすぎてイラッとした。
あとは、彩劇で女性多いなーってのがコクーンは男性が多く(それも年輩)。
それでも後ろの方いわく、今日は女性が多いなという感想で。
恐らく今日の客層の大半を占めてた人達とは普段見ている舞台が違うのかも。
蜷川さん演出にも一言ぶってて。
こういう演出してたら若いファンはついていかないよ~だとか。
…そうかなあ?
そういうズレもたぶんあるのだろう。
ま、体調不良じゃなければ集中して雑音関係なく楽しめたはず。
…なのか?
うーん。
でも何処かしらが彩劇の時と違ってた気がするんだよな。
この芝居は、芝居自体が大きな芝居のひとつ…な感じで。
っと、これは私の勝手な解釈だけど。
乙女さんは井上ひさしさんで、自らのスタンスを乙女に語らせてる部分を感じるってか。
格言めいたことやくそ真面目な気恥ずかしいことでも、みんなの好きな芝居という形をとって語ることで聞く耳をもって貰おう。
だから途中でみんなの興味をひくように演目を加えて…柳生の能狂言もそうだし、蛸もそうだし。
大衆演劇的というか、随所に日本の文化をっていうか。
実際、能狂言、特に能は武士の必須課目みたいなものだったらしく。
今でいう、国語の教科書みたいなもので、日本全国で同じ言語(方言じゃなくて標準語)を行き渡らせる事にも多いに関係してるらしい。←狂言見に行って聞き齧ったうんちくw
柳生始め、旦那衆が能狂言に詳しいというのはリアリティあるかもね。
(更に…一介の農民が狂言を作ってたというのもあるのかも。)
こうしてみると、NYバージョン前の演出を見てみたいかも。
演出の何が変わったのか。
興味あるな。
2回見たけど、吉田鋼太郎さんはとにかくいい。声がとにかく素晴らしい。通る。面白いし客もいじるし、アドリブというか芝居の反射神経?がきっとすごいんだと思った。
これは藤原竜也さんにも言えるかも。
白石加代子さんもほんとにいい。
ってか上手い。
溝端淳平くんの小次郎は彩劇で見たときの方が好きだった。
真面目で真っ直ぐでムサシに比べて若いのが。ちょっと上手くなりすぎて必死さが薄れた…まァこれは見る側の私の問題でもあるのかも。新鮮味みたいなこと。
藤原竜也さんは…とても顔が赤くて…病気?って心配になった。あれはメイク?
熱でもあるんじゃないかと。
声も嗄れてたし←いつもか?
それでも通るっては不思議なんだけどね。
踏み石?に剣が引っ掛かって一度で取れないところとか、転がってる木刀の片割れを足で邪魔じゃないように寄せるとか、live感が漂ってた。(笑)
名前忘れたけど、寺の住職(沢庵さんじゃない人)の悔恨のシーンも前回の方が素直に泣けた。
うーん。
つくづく、座席運とか自分の体調って大事だな。
体調悪いときは無理せず行かないという選択肢も考えないといけないのかも。
とりま、この芝居のメインはやっぱり脚本なんで。
ここまでして言いたいこと伝えたいことを汲み取って欲しいな~と。
まァ私の解釈だけど。
あのシーンは笑うよりも息を飲むべきで、緊張感と不気味さ、リアルな肉のむごたらしさを見せつけてほしかった。
笑いが起きたらそれを叱責するくらいのアドリブがあってもいいのかも。
なんかね、あそこで笑いが出たことで芝居が壊れた気がしたんだよね。
恨みとか復讐とか仇討ちとか、言葉で言うとかっこよく、何て言うか…男らしく?武士道とかって言うとかっこよく聞こえるかもだけど。
実際はただの血だらけの汚ない肉で。
そこには現実の痛みと苦しみとか、グロテスクな醜さしかなくて。
その自らに課した因縁、呪縛、鎖を自らにやいばを向けて断ち切る難しさ。
想いが強いほどそれは難しい。
細筆で書いた怨みの文字を中筆で上から書いて、さらにその文字を太筆で殴り書きして、さらに…と続けば、黒々と塗りつぶされるだけ。
誰かが何処かで断ち切らないと。
それはとても苦しいことだけど。
自らにやいばを向けるほど覚悟と勇気がいるけれど。
そんなシーンだったのになー。
(そんなシーンじゃなかったのか?解釈間違ってるのか?そこまで重要じゃないとか?)
私の思ったよりもなんだかさらっと終わった感が。
笑うシーンは武術がダンス練習になったとことか。
蛸のとことか。
(でも意外と大切なフレーズを散りばめてるから笑っててハッとする。)
どうなんだろ?
彩劇の時から演出が変わったのかな?
誰か見比べてる人いないか探してみよう。
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