こんにちは
今回は芝居に関するちょっと真面目な話。俳優として色んな作品に参加する中であらためて感じたことを備忘録的に書いておこうと思います
現場で演技をする上で何を準備して臨まなければならないか
今回は特に声優として陥りやすいなと感じた話です
それは、すべてを声で表現しようとすること
もちろん結果としてはそうなるんですが、その声の演技が生まれた理由を表面的な感情(ひどい時は感情すらなく綺麗な声で言葉を発しているだけになる人も)で結論づけてしまう
簡単に言えば
その時の気持ちを嬉しい、楽しい、悲しいなどの一言で言い表せてしまう、というかその後を紡ぐ言葉がない
よくいう「定型的な芝居」ってやつです
それはあくまで準備の最初期。本当の準備というのはそこからです
感情をどこまで具体的にして、体に落とし込むか。外国語の吹き替えで言えば、演じる俳優の感情にどこまでシンクロできるか
そこにたどり着いていくには
「なぜ」という疑問を解決し、それによって生じる次の疑問を解決していく
これをどこまでできるか
解決していくためには、そのキャラクターのバックグラウンド、相手との関係性など、複合的要素を駆使する必要がある
ということは、ここがどんなシーンなのか(どんなシーンにしたいのか)、自分の役柄が作品においてどんな役割なのか、そしてこの作品が何を伝えたいのか、を理解する読解力が必要となる
そうして疑問を解決していけばいていくほど、感情に具体性が増し、演じる自分にも自信と余裕が生まれる
そうして発せられた声がオリジナルで生きた演技なのです
そしてその声を効果的に表現するのに必要なのが技術なのです
「心・技・体」とよく言いますが、すべてを駆使してはじめて演技が完成します
すべて必要なのです
そうして自分の中での基準を作り、現場ではそこに固執しない
流れに身を任せる
一見矛盾してるように聞こえますが、準備はあくまで自分基準。現場では演出や相手役の演技含め常に変化します
その変化が自分基準とどう違うのか
どう修正すればマッチするのか
それを現場で瞬時に判断し修正する
これができるかどうか
常に変化するならそこまで準備する必要はないんじゃないか
そうではありません
自分基準があることによって、修正の内容をより深い位置から考えることができ、より演出意図に沿った演技に修正できるし、自分の演技に固執しないことによって相手の微細な変化にも気づくことができ、それに合わせてその場で修正することができるんです
でもその自分基準がないと、演出の言葉の真意を読みとることができないので、言われた通りの表面的な修正しかできないし、相手役の演技の変化にも気付けない(気にしてない)から、独りよがりになる
つまり、これって芝居ですか?みたいなことになります
すなわち、準備・自分の演技に固執しないとは
「対応できるようにしておく」ということなんだと思います
作品のテイストや与えられる役柄などによって準備の度合いは都度変わりますが、これを当たり前に意識しておくことによって作品の理解度や役作りが深まり、相手役とも芝居を通じて理解が深まるかと思います
そして何よりこうした準備を経て言葉を発することによって、声がその人だけの唯一無二の言葉になりより魅力的になる
慣れないうちは理詰めで考えてしまってうまく結果に表れないことがあると思いますが、ある瞬間感覚的に掴めるようになる時がきっときます
そのためには、普段の生活から
俳優として意識すること
これが大事なのかなと思います
一つ一つ課題を克服していくようで実は地続き
自ら考え、悩み、チャレンジすることで、俳優としてはもとより人間として成長していくのではないかなと思います
以上自分に向けた備忘録でした
では