東日本大震災から今日で半年。







あの時、私はnutsを乗せて車を運転していました。




車のハンドルが大きく横にぶれてすぐ地震だと気付きました。更に揺れが増して車が跳ねました。それから暫くの間揺れが続きました。






揺れがおさまってから即帰宅。家の中はめちゃくちゃで、立ってる物は全て倒れていました。食器棚も冷蔵庫もラックもチェストも全て。私の住んでいる地域は震度7の揺れでした。





自宅は海から5㎞の場所です。







私は情報が欲しくて、ワンセグを見ながら片付けをしていました。そこに映ったのは空港が津波に飲まれる映像でした。空港でこの勢いなら我が家も安全ではない!





なんとしても子供は守らなくちゃ。




家族を必死で促して内陸に避難しました。この時テレビが見れなかったので津波の映像見てる人がほとんどいなくて。近所で逃げた人なんてうちくらいでした。





避難先で一夜を明かし、炎に包まれる気仙沼の映像をワンセグで見ていました。







翌日、水をもらうために並びました。奥には石油コンビナート火災の煙




配給のご飯






日中は片付けをしに自宅に帰っていましたが、予震が起きる度に近くの高層マンションに避難しました。









震災5日後、家族の体調と津波の危険性を考慮して東京へ移動。約一ヶ月間、東京で生活しました。











一ヶ月経って帰って来た時はまだこんな感じ。海から4㎞の地点にある父の畑まで津波が到達していました。






津波が走った方向に電柱が傾いています。





田んぼの中でよく目につくのは、車と船と浴槽でした。







ありえない光景があまりに広い範囲に広がっていて。更に沿岸部は全てが歪んでて、混沌とした世界でした。





震度7の揺れ、避難生活、物資の不足など、今までの人生にない非日常的な経験でした。






3.11以降自分の中の価値観が変わったと感じます。






半年経過した今は、あんなことがホントにあったのかな?って思うくらい日常が戻ってきました。







自分の中で、311に対する意識が風化しないように。津波がどこまで到達したのか、どんな風に押し寄せるのか、どうすれば逃げ切れるのか。映像を見、人の話を聞き、現地に足を運んで感じたいと思います。






後に子供に少しでも多くの情報を伝えて、深く認識して欲しい。









津波だけでは終わらない未曾有の災害。原発のこと、子供のいく末まで考えると未来が見えません。

























Android携帯からの投稿