私には、大好き友人がいる。
Aさんという。
Aさんとは、
小学校の支援員をしていた時に
出会った。
私が携わった支援員の仕事は
いわゆる発達障害児の支援だ。
特別クラスにいくほどではない
普通クラスにいる
境界線の
子どもたちの
生活や勉強の支援をする。
Aさんより
少し早く働きはじめていた私は、
同僚から頼まれて
子ども達の特性の申し送りを
Aさんにしようとした。
特性の申し送りとは、
ADHDや自閉症、学習障害など
診断がついた子どもの情報や
その疑いのある子どもの情報
起こした問題行動
その対処と反応
などについてだ。
申し送りをはじめようとした私に
Aさんはストップをかけた。
「私、先入観を持って
子どもに接したくないので
申し送り聞きたくありません。
やめてください。」
Aさんは、
キッパリと言った。
正直、びっくりした。
そして、心の奥を鷲づかみされた。
本当は、私も
申し送りを聞くとき
同じ違和感を感じていたからだ。
「え?でも、大丈夫ですか?」
私はAさんに聞いた。
「何がですか?」
Aさんに聞き返された。
……何がだろう?
私は、自分の心を
のぞきみた。
え?
申し送りって
聞いとくもんじゃない?
人間関係、波たつよ?
え?それに情報ないと
的外れな支援になっちゃわない?
的外れな支援になったら…
的外れな支援になったら……
的外れな支援てなんだ?
発達障害の子どもは
発達障害だからって
はたして本当に困っているのか?
発達障害じゃない子どもは
困り事がないとでもいうのか?
生きづらさを抱える
子どもって
そんなにわかりやすく
リストアップしきれるのか?
的外れな支援 ていうけど、
「 的」がないと
仕事しづらいのは
私たち支援員側の
問題ではないか?
「Aさん、すごいと思います。」
私はAさんに言った。
申し送りを受けた際に
同じ違和感を感じていたこと。
なのに
あなたみたいに
キッパリと断れなかったこと。
大事なサインの違和感を
深く観察せず
スルーしたこと
Aさんに話した。
そしたら、Aさんは
「何言ってるんですか。
申し送りは聞いておくもんですよ、
普通。」
と、笑ってサラリと言った。
いやさ、
もう、
大好きだよね(笑。
おかげさまで
Aさんと共に働いた数ヶ月間は
素晴らしいものだった。
申し送りを聞かなくても
Aさんは
自分の目で観察して
必要な子どもの支援に
きちんと入れていたと思う。
手を焼き、大人を困らせる子どもほど
Aさんに くっついた。
Aさんにくっついて
安心して
活き活きと
自分の話をしていた。
伝わるんだな、と
何度も感じた。
Aさんとは
職場は離れたが
今でも
友人として会っている。
いつでも
自分の心にまっすぐな
素敵な人だ。
そんな彼女と
友人になれた自分が
私はけっこう好きなのだ。


