ぬうの最近は・・・そのスイッチをオフることに苦戦 ・・・
仮想な世界に
育ててきたキャラクターたちとお別れの時が・・・ なんてこともよぎってたりしたけど
なんだかんだと一か月くらい ログインはできるもののゲームの中には入れないでいたのが、ようやく・・
仮想世界を歩き回って、キャラクターを育てて、装備を育てるのも好きだけど、醍醐味といえば、パーティーでの共闘やレイドだけども、
それが、ある時カエルが旗印のギルド連中に、すこしの間追い回され、そんなに装備を持ったキャラクターではないのにね・・・
それ以来、パーティーに参加するのもおっくうになってたり、なんだかなぁ ・・・
TERAの世界観は不具合も重さも含めて嫌いじゃないけど、もすこし自分で自由を解放しなきゃだな・・・
さて、ひさしぶりに、鍛冶作業の傍らで、ホタテのバター焼きをチャチャっと仕上げて、冷凍トマトの皮をムキムキしてヘタを取った後、
トマトサラダに・・・栄養価が高くて、食べ易いらしく トマトが摂れない時期のために冷凍している。
歩いている自分には
何かに囚われの自分を解放たらしめるものは、立ち止まることにある
、そこにいる自分のまんまを、受け止める自由がない日常を、そこにいない自分は・・・その通常を離れる勇気が・・・
持てないままのそこにある
知らないで、穴に落ちていたり、同じところをグルグルまわっている そんな違和感に気が付くかどうか・・・
・・・そこに、立ち止まってみることの大事さがある。
人は、見えない道を歩いているから、そこがどこかを知ることが、いうなれば不可欠
脆弱な存在くんたちは、ちっぽけなことからも自分を見失って、人間としての自分すら、ないものにしてしまえる。
未来を見据える力がありながら・・・
では、どうすれば、立ち止まってみることができるようになるのだろう・・・
じぃちゃんのトマトの味を再現したくて、有機でトマトを作ってみようと野菜を育てはじめて、続けているけど、自然 知ってくには、あまりにも深くて広いから、目の前のものを見るだけでも大変。
無機な肥料や薬剤を使ったら、人主導な安易なものになりそうで、灰やらいろいろ工夫してたじぃちゃんのトマトにはなんないんだろうって思ったりしてしまう。
至福な時
トマトの表情も、いっしょに暮らしている魚たちや ココのこと 感じとれる自分でいたいから、一番は、そんな自分でいることが大切
ひとりじゃなきゃ もすこし楽にできることではあるけれど、手を放してしまった身としては・・・
それでもひとつひとつ探求できるのが、今は、一番の至福な時間ではある。
おいしいものや ココや魚たちの表情 野菜の表情も ・・・
何が至福かは人それぞれだけど、ただただ立ち止まっていたり、見えるものも見えてなかったり、
そんなことよりは、おいしいものを、そのままおいしいって味わえるのが、それはそれはいいんでないかい^^